第19話

 眠れていない状態で歩く街はどこか彩度が高く、春の柔らかな日差しすら目に毒のように思えた。現実感がない。まだ夢の中にいるようだ。

 そんな状態で歩を進めていると、背後から声がかかった。


「おはようございます」


 昨日会ったばかりなのに、その声で安心している自分がいる。それを悟られたくなくて、王子様の仮面を被る。


「おはよう、日鞠さん。今朝のニュース見た?」

「ええ」


 肯定した彼女に、声を潜めて問いかける。


「……十夜か?」

「わかりません」


 彼女のリアクションは平坦だった。隠す声色も挙動も見られない。

 校門をくぐり、教室のドアを開ける。ここにきて登校していなかったことに加え、クラスメイト達と連絡すら取っていなかったツケが回ってきた。突き刺さる視線、驚きの表情を浮かべたクラスメイト達が一気に駆け寄ってきた。質問、同情、励ましなどなど様々な言葉を浴びせられる。もちろん、どれもこれも心には響かない。

 濁り切った目で教室を見回し、内心でため息をついた。変わっていない、なにもかも。それが憎くて苦しくて、同時に安心した。俺は笑顔を張り付けてロボットのように自動的に返答する。大丈夫、元気だよ、なんとかやってる、ありがとう。

 ホームルームのチャイムで悪夢から解放された。周囲に悟られぬよう肩の力を抜く。久しぶりの授業は、俺の本業が探偵ではなく学生であることを思い出させてくれた。


 *

 二日前に、ようやく放課後の部活動や委員会活動が禁止された。だからだろうか皆、警戒の度合いを跳ね上げたらしい。終業のチャイムが鳴り終わってから、校内が無人になるのに十五分もかからなくなった。身近な生徒が被害者になったという事実も手伝ったのかもしれない。

 図書室で参考書を返却し、帰ろうと廊下を歩く。

 周囲には私の足音しか聞こえない。病院もそうだが、普段から人で賑わっている場所が静かだと不気味さが倍増する。誰かが、私の背中を狙っている。危害を加えようと虎視眈々と機会をうかがっている。そんなありもしない予感が頭の中にちらついて離れない。こんなこと冬夏くんが聞いたらなんて言うだろう? 自意識過剰だな、と鼻で笑われそうだ。

 少しの安堵感を覚えつつ、私は階段を下ろうと一歩、踏み出した。

 ――気が付いたら、私は地面にいた。

 数秒呆けたのち状況を把握するべく、手を動かす。右半身を床に着け、階段に背を向けるかたちで倒れていた。痛む体を起こして思考する。転げ落ちた……? いや、私は確実に一段、下ったはずだ。踏んだ段差の感覚を足裏が記憶している。

 情報と状況を組み合わせれば、嫌でも真実が推察できる。


(突き落とされた)


 頭の中に、今最も犯人に近い人物の名前が浮かぶ。知らず、私は己の肩を抱いていた。



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