第94話 君は、一番になっていいんだ

「違います!」兵隊のごとくびしっと立ち上がり、俺は即答した。「浮気じゃなくて……」

「妹です!」


 妹なの!?

 ぎょっとして振り返ると、花音がキメ顔を浮かべて津賀先輩に振り返っていた。鼻高々で自信満々。キラリンと輝く眼光が目に見えるよう。

 ああ、そうだ。そういえば……あったね、そんな設定!? いや、しかし……本気だったなんて。無謀だ。無理がある。

 ちらりと津賀先輩たちの様子を伺えば、案の定、三人は揃って眉根を寄せて、疑いの目で俺たち二人を見比べている。

 当然だ。俺と花音は、全く似てないし。そもそも……。

 津賀先輩は何やら悟ったようにため息ついて、渋い顔を浮かべると、


「ナガサックって、一人っ子だったよな。なんでノンノンが妹なの?」


 ですよねー……。

 瀬良さんが編入してくるまで、学校の唯一無二のアイドルとして君臨していた花音。去年の文化祭の企画で結成した、なんちゃってアイドルグループでもセンターを務め、文化祭の期間中、校内のそこら中に花音のポスターが貼られていた。その花音の顔を、津賀先輩たちももちろん知らないはずなどなく、いくら帽子を深く被ろうと、こんなに近く――会話が出来る距離まで――来てしまえば、変装の意味もない。

 俺に実際に妹がいたとしても、『妹だ』という嘘が通用するはずもなかったのだ。


「お前なぁ……女の子にそんな嘘を吐かせちゃだめだぞ」


 津賀先輩の言葉が、ぐさり、と胸に突き刺さる。容赦ない正論に、今にもよろけそうになった。


「お、おっしゃる通りで……」


 やましいことはないとは言え、こうして事態をややこしくしてしまったのは、間違いなく俺だ。プロポーズの噂が流れることになってしまったのも俺のせい。こうして、花音にいらぬ嘘を吐かせてしまったのも、確かに、俺だ。

 『運命の人』だ、幸せにしたい――なんて言っといて、蓋を開けてみれば、俺は花音に迷惑しかかけていない。

 己の不甲斐なさを腹立たしく思いながらも、だからこそ、と俺はきっと津賀先輩たちを見つめて息を吸った。――ここは、俺がしっかりと誤解を解かなくては。


「違うんです、私が勝手に嘘吐いただけで……圭は何も悪くないんです!」

「違うんで……て、ええ!?」


 気づいたときには、俺よりほんの数秒早く、花音が言い終えていた。

 なんだか……ものすごく、意味深な感じになってしまったような……。

 津賀先輩の顔色が……みるみるうちに悪くなっていく。メガネのレンズの奥で目を落ち着きなく泳がせ、青ざめた顔は胃痛でもするかのようにひきつり、今にも逃げたそうにそわそわとし始めている。これは……この兆候は、とてつもなく良くない。嫌な予感がする――。


「ナガサック!」


 ばさりと空気を切り裂くような鋭い声がして、ずいっと津賀先輩を押しのけ前に出てきたのは……国平先輩だった。

 くっきり二重の目は釣り上がり、頬は強張り、唇は固く引き結ばれて――見たこともないほど険しい表情で、ずかずかと俺のもとへと歩み寄ってくる。

 正統派……とでも言えばいいのか、万人がイケメンと認めるだろう、その眉目秀麗な顔立ちに、雅と言うに相応わしい高貴なオーラ。それでも、近寄りがたいと感じたことはなかった。雲の上の人、というよりは、地に足つけた……たまに、早見先輩に踏みつけられて地面に埋まってしまっているような、親しみやすい温和な人――の激昂する姿を目の当たりにして、身が竦んだ。

 すっかり気圧され固まる俺の胸ぐらをぐっと掴むと、国平先輩は苦しげに顔をしかめ、悲痛な声を響かせた。


「浮気するようなやつだとは思わなかったよ、ナガサック。今頃、セラちゃん、ベッドの下で泣いてるぞ!」

「なんで、ベッドの下なんですか!?」


 そのときになって、ようやく己のやるべきことを思い出し、俺は「話を聞いてください」と国平先輩を落ち着かせるように両手を挙げた。


「全部、誤解なんですよ!」

「皆、最初はそう言うんだ」

「皆って誰!?」

「いいか、ナガサック!」


 乱暴に俺の胸ぐらを離すと、国平先輩はどんと机に拳を叩きつけた。


「傷つくのはセラちゃんだけじゃないんだ」


 そう言って、国平先輩がちらりと視線を向ける先には――ただでさえ大きな目を見開き、呆然としている花音が。


「この子や……俺まで悲しませることになるんだぞ!?」

「いや、なんで国平先輩まで入ってるんですか!?」

「相葉ちゃんも!」


 聞く耳持たず、国平先輩は今度は花音の両肩をがっしりとつかんだ。


「自分を大事にするんだ。二番目に甘んじなくていい。――君は、一番になっていいんだ」


 なんだ、これは。自己啓発セミナー? いや、もはや催眠術を見ているような……。

 良いことを言っているような、言っていないような……もはや、よく分からない――が、とりあえず、国平先輩の魂の叫びだということは伝わってきた。おそらく、自分へのメッセージでもあるのだろう、と……あの一件を知っているからか、悟ってしまった。

 いきなりそんなものをぶつけられ、花音もすっかり面食らった様子で、ぽーっと国平先輩を見つめて硬直している。

 ええと……どうしよう、これ。

 とにかく、国平先輩を落ち着かせないと。


「あの、国平先輩――」


 と言いかけたときだった。


「国平」と、それまでずっと静観していた早見先輩が前に出て、国平先輩の肩に手を乗せた。「シャツの表裏、逆よ」

「どんなタイミングなの、のりちゃん!?」

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