第105話 変なことしちゃいそうでこわいの
「蘭香さんは!?」
あたりを見回し、我妻さんが野放しになってますよ!? と今にも叫びそうになった。
「コンビニに行ってくるって」
さらりとそう答え、だからね、と我妻さんが差し出してきたのはスマホだった。――さっき見せてもらった瀬良さんのスマホだ。
「返しそびれてたから、僕だけ渡しに戻ってきたんだ。これがないと、蘭香とも連絡つかないだろ」
「あ」と瀬良さんが隣で弾むような声をあげ、我妻さんの手からスマホを受け取った。「ありがとう、トキオちゃん!」
と、トキオちゃん!? なんだ、その親しげな呼び方!? しかも、我妻さん、結構年上な気がするんだが……『ちゃん』って?
「約束通り、傷一つつけてないよ。大事に扱っていたからね」
「そんなこと、最初から心配してなかったよ。拾ってくれたの、トキオちゃんでよかった」
傷つけない、大事にする――そのフレーズに聞き覚えがあった。
そういえば、言ってたよな。昨日、我妻さん、電話で『大事にするから。決して傷つけたりしない』って……。あれは、ケータイのことだったのか。てっきり、口説き文句のようなものかと……。
ぐわっと罪悪感と自己嫌悪に襲われた。勝手に邪な意味に捉えて、悪夢まで見てしまった自分が恥ずかしすぎる。
じゃあ、他の愛がどうのという会話は? いったい、どういう関係なんだ? 瀬良さんは我妻さんに心を許しているようだし…… 少なくとも、親しい間柄に違いないが。
ちらりと見やれば、瀬良さんはホッと安堵したような穏やかな笑みを浮かべて、ケータイを見つめていた。
その横顔に、ああ、よかった……と、つい、見惚れた。ギスギスとした張り詰めた空気はすっかり無くなっていた。ふわりと柔らかで、そばにいるだけで心が軽くなる。俺の知ってる……俺の好きな瀬良さんの『空気』だ。――と、ふと、顔を上げた瀬良さんとバチリと目があって、瀬良さんはかあっと顔を赤らめ、そっぽを向いてしまった。
って、しまった。そうだった! 顔を見てほしくないんだったっけ。
「す、すみません!」と、俺も咄嗟に顔を背けた。「いや、でも……その、しっかり見たわけではないので、腫れてるかどうかまでは見えなかったっていうか……」
「もう、それはいいの」
え、いいの?
「そんなことより、今は……恥ずかしすぎて、身体、すごい熱くて……。顔見てたら、変なことしちゃいそうでこわいの」
へ、変なことしちゃいそうなの!?
ちょ……それは……そんなことを言われたら、こっちまで……。
まだ体にほんのりと残っている瀬良さんのぬくもりが、じわじわと高熱へと変わっていくようだった。その持て余したエネルギーが腹の奥底に溜まっていくようで、いてもたってもいられなくなってそわそわしていると、
「あ、そうだ」と我妻さんが思い出したように言った。「実は、うっかり、永作くんの電話を取っちゃったんだ。とてもいい電話で感動したんだよ」
ん……? いきなり、何を……言い出すつもりですか?
ばっと見やれば、我妻さんはメガネの奥で優しげな目を細め、邪気など微塵も感じさせない朗らかな笑みを浮かべていた。菩薩かな? なんて思ってしまうほどのいい人オーラ。もはや、後光が見えるよう……だが。嫌な予感しかしないんだけど!?
「『嘘ついてごめん。二週間どころか、この先一歩でも、傍に居られないのは耐えられない。夢のようなひとときだった、で満足したくない。ずっと、一緒にいたい。本当の俺を知って、こんな人だとは思わなかった、てがっかりされるんじゃないか、てずっと不安だった。でも、今はがっかりされてもいいから、知って欲しいと思う。それで、瀬良さんの気持ちを知りたいから教えて欲しい』」
さらさらと機械のように平坦なトーンで言い切って、我妻さんは人の良さそうな笑みを俺に向けてきた。
「――で、合ってたかな、永作くん?」
いや。合ってたかな……て、留守電並みの再生力だよ! なに、その記憶力? 俺でさえ、そこまで事細かに覚えてないんですけど!?
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