第35話 瀬良ちゃんはいいの?
ふいに、呆れ返った部長の声がして、万里と瀬良さんはぴたりと動きを止めた。
「ヒロインのアケミは……瀬良でいいんだよな?」
持っていたカバンから台本を取り出し、それを長机に置きながら、部長は奥の席――俗に言う『お誕生日席』――にガタッと座った。その斜め横に早見先輩も腰を下ろし、部長と向かい合わせに国平先輩が席に着く。いつもの並びだった。あと残った席に、俺と万里が適当に座るだけ……なのだが。万里が「印貴ちゃん」と促し、二人で並んで座ったもんだから、残る席は瀬良さんの前の席。万里は素知らぬ顔をしているが……わざとか? わざとなのか?
まるで関節が錆び付いてしまったかのように、俺はカクカクと不自然な動きで、瀬良さんの向かいに座った。ぴりぴりと嫌な緊張感に締め付けられる。おかしいな。いつも、瀬良さんと一緒にいるときは夢見心地だったのに。ものすごい、居心地悪い。瀬良さんの顔を見ることもできずに、俺はうつむいていた。
「ケイスケ役は、国平な」と当然のように決定して、部長はぺらぺらと台本をめくった。「あとは……アケミとケイスケの友人役か。乃木と早見と俺で十分だよな。足りなかったら、適当に誰か引っ張り込もう。昇が言えば、大抵の女子は協力してくれるだろ」
「え!?」と国平先輩は身を乗り出した。「ちょっと待って! また!? やだよ、俺、もう勧誘するのー」
「国平!」おっとりとした目をきっと鋭く細め、早見先輩は国平先輩を睨みつけた。「あなたの顔は何のためにあるの?」
「生きるためだよね!? 深く考えたことないけど!」
「鶴の一声、国平の笑顔、てな」
メガネを光らせ、ふっと不敵に笑う部長。その傍らで早見先輩はぶっと吹き出した。
「何もうまいこと言ってないよね、それ?」
ぶつくさ不満げにそう言ってから、「てかさ」と国平先輩は長めの栗色の髪をかきあげた。
「最後、キスシーンあるんだけど、瀬良ちゃんはいいの?」
「ふえ!?」
いきなり話を振られたからだろう、瀬良さんはすっとんきょうな声をあげた。
「いいって……なにが、ですか!?」
「なにがって……だって、ほら……」
なぜか、焦りだした国平先輩のくっきり二重の大きな目が俺のほうへと向けられた。
なんで……俺を見るんです!?
え、と俺も国平先輩も言葉に詰まる中、
「国平」気まずい空気を切り裂くように、ぴしゃりと早見先輩の鋭い声が割り込んできた。「慣れないことはしないでいいから。あなたが気を利かせてロクなことになったことないでしょ」
「うそ!? そうなの!?」
「自覚がないんだから重症よね」
「黙ってるだけでいいのにな。昇は喋ると面倒くさい」
「みっちー、何気にひどいこと言ってない!?」
耳に膜でも張られていくようだった。わいわいと言い合いを始める三人の声が、遠のいていく。自然と視線が落ちて、俺の意識は目の前の会話ではなく、全く違うことへと向いていた。
キスシーン……か。そうだった。アケミ役を本当に瀬良さんが演じるというなら、最後は国平先輩とのキスシーンがあるんだ。ただの演技だとは分かっているし、騒ぎ立てるほうが幼稚というもの。そもそも、俺が気にするようなことでもない。それなのに、なぜだろう。胸がざわつく。他人事とは思えないのは、俺が一応、映研の部員だからなのか? 映画の出来を気にしてるわけでもないのに。心穏やか、というわけにはいかない。落ち着かない。これはなんなんだ?
瀬良さんと国平先輩のキスシーン……考えただけで――。
「嫌なの? 永作?」
「嫌じゃないです!」
ぎくりとして、俺は思わず、顔を上げ、そう答えていた。
答えて……はたりと固まった。あれ。何の話? とっさに答えちゃったけど、今、何を聞かれたんだ?
きょとんとして早見先輩を見やると、早見先輩は「じゃあ、決まりね」と部長につと目をやった。
「あまのじゃく役は永作で」
「はい!?」
あまのじゃく役って……!?
「ま……待ってください! なんですか、あまのじゃく役って……」
「妖怪あまのじゃくだろ」と、当然のように部長は答えた。「アケミに呪いをかける妖怪だよ」
「それは分かってるんですけど……妖怪の役ってなんですか!? どうするんですか!? 着ぐるみでも着るんですか?」
「いやー、そんな予算ないから……全身タイツでいいだろ」
「よくないですよね!? 全身タイツの妖怪って、ただの変態ですよね!?」
すると、はは、と軽く部長は笑った。
「まあ妖怪なんて変態みたいなもんだからな」
「全然、うまいこといってませんからね、それ!?」
「嫌じゃない、てさっき自分で言ったじゃない」と、すかさず早見先輩が戦艦大和並みの助け舟で、部長の援護にまわった。
「それは……」
キスシーンのこと考えてて、話を聞いてませんでした――とは言いづらい。
俺は反論できずに、口ごもった。その隙を見逃す早見先輩ではない。
「決まりでいいわよね?」とさらっと――しかし、脅すような低い声で早見先輩は言った。
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