第34話 君は、救いようがないわね

「あのー……部長」と、呆れがうかがえる声で口を挟んだのは、万里だった。「もういいですか?」

「おお、そうだな。時は金なり、石田三成、てな」


 歌うようにつぶやいた部長のダジャレに、唯一、「三日天下」と言ってぷっと噴き出す早見先輩。いつも無表情に近い早見先輩だが、なぜか部長の血迷ったような寒いダジャレには笑うんだよな。その背後で、「石田三成って何部の人?」とすっとぼけた表情で佇むイケメン。毎度ながら、息が合ってるんだか、まとまってないんだか、よく分からない三人だ。

 一年半の付き合いになれば、スルーするしかない、と学ぶわけで。


「メールでお知らせした瀬良さんです」


 さらっと部長のダジャレを無視して、万里は瀬良さんのほうに視線を向けた。


「ヒロイン役、演じてやってくれる、て」

「あ」と、瀬良さんは我に返った様子で慌ててペコリとお辞儀した。「瀬良印貴です! お願いします」

「君が瀬良さんかー」まるで営業マンのようなどこかお堅い笑みを浮かべ、部長は瀬良さんに歩み寄った。「協力、感謝するよ。弓道部とかけもちだっけ? 大変かもしれないけど、よろしく頼むよ」

「こちらこそ! 演技なんて初めてで、うまくできるか分かりませんが……足を引っ張らないよう、がんばります」

「大丈夫、大丈夫。気楽にやってよ。映画は楽しむためにあるんだから」

「はい……」と、微笑む瀬良さんはまだ少し緊張気味だ。

「台本は読んだ?」


 ふと、早見先輩が穏やかな声色で訊ねた。


「はい、読みました。すごく良かったです!」

「ね。良いよね」


 つい、万里をちらりと見てしまう。

 万里は珍しく、頬を染め、落ち着かない様子でモジモジとしている。照れている……んだろうか。恥じらいとはかけ離れた存在の万里のことだ、「でしょー!?」なんて威張りそうなもんだが。


「幼馴染に片思いし続けて、なかなか素直になれないやんちゃなヒロイン――が、リアルよね。まるで実体験みたい。ね、乃木さん?」

「はあい!?」


 急に話を振られたからか、万里は飛び跳ねるようにびくっとした。


「な……なんで、急に、私にそんな……」


 万里はますます顔を赤くして、あたふたと慌てだした。


「ほんと、リアルだったなぁ。みっちーにこんな繊細な恋愛ものが書けるとは思わなかった」


 国平先輩が背後でそう言うのが聞こえて、俺は思わず「あれ?」と口を挟んでいた。


「これ、書いたのって部長じゃなくて万里ですよね?」


 すると、「えー!?」という驚愕の声が、国平先輩――ではなく、万里からあがった。


「ちょっと……なんで、あんたがそれ知ってんの!? ぶ、部長!?」


 ばっと血相変えて部長に振り返り、睨みつける万里の迫力といったら。部長も身を強張らせて、見るからにたじろいでいる。


「いや、俺は誰にも言ってないぞ。早見にだって言ってない!」

「乃木さんが書いたの? びっくり」と、大してびっくりした様子もなく、早見先輩は手を口に当てた。なんて雑なリアクションだ……わざとらしいというか、演技じみている。


「そっかー! 乃木ちゃんが書いたんだ!? いいじゃん、良かったよ」


 キラキラと目を輝かせ、締め切った部室に春風でも巻き起すかのような爽やかスマイルで、国平先輩は声高らかに絶賛した。

 万里はもはや、次から次へ、多種多様な集中砲火を浴びているような状態だ。右へ左へ、せわしなく振り返っている。見事に先輩たちに振り回されてるな……。


「なるほどなぁ。どうりで、いつものみっちーのシナリオと違うと思った。俺は好きだなぁ。宇宙人が出てこないのは斬新だったけど」

「そうね。全員地球人っていうのは新しかった」


 したり顔で映画評論みたいなのしてるけども。いや。あなたたちの感覚が、俺には斬新です――とは言えるわけもなく、俺は聞かないふりをした。二人は中学校から部長と一緒だったという。その間に、すっかり部長の映画に感覚が毒されたのだろう。


「あの……万里ちゃん」そんな中、おずおずと、遠慮がちに瀬良さんが口を開いた。「ごめん。この脚本、万里ちゃんが書いたんだって、私が永作くんに言っちゃったの。秘密だったんだね」


 瀬良さんはすっかりしゅんとしてしまっていた。

 あ、そうだった――と俺もそのとき思い出した。そうだ、瀬良さんに教えてもらったんだった。……瀬良さんの部屋で二人きりで台本を眺めながら、そんな話をしたんだ。


「いやいや、いいの、印貴ちゃん! こっちこそ、ごめん。私、秘密にして、とか言ってなかったし。秘密だなんて思わないよね!? 気にしないで!」


 万里は瀬良さんに駆け寄ると、俯いている瀬良さんの顔を覗き込んだ。二人の間で「でも」と「いいの」の押し問答が始まり、それを見守りながら、俺はやり場のない罪悪感に襲われていた。

 この状況を招いたのは、おそらく俺なのだろう。しかし、何も間違ったことをした覚えがない。ここで俺が入っていって、謝るのも変な気がするし。何に謝ればいいのかも分からない。この脚本を万里が書いたと聞いて、それを言っただけで。まさか、万里がここまで取り乱すとは……。

 万里はいったい、なぜそんなにこの脚本を書いたことを恥ずかしがっているんだ? 部長に口止めまでしていたようだし。

 一人できょとんとしていると、すっと誰かの気配がすぐ隣でした。はっとして振り返ると、早見先輩が涼しげな顔で俺を見つめていた。


「な……なんですか?」

「永作はどう思ったの? 『あまのじゃくの恋』」

「どうって……」


 読んだのは一ヶ月前。瀬良さんと読んだのが最後だ。それから、ぱたりと瀬良さんと会えなくなって、そのことばかり気にかかって、読み返してもいなかった。せっかく万里が初めて書いた脚本。ちゃんと読んでやらないと、と台本を出してはみても、表紙を見るだけで瀬良さんの涙がよぎってしまって、ページをめくることもできなかった。

 俺は「うーん」と一ヶ月前に抱いた感想を思い出し、


「最後、告白して返事も聞かずにキスするって……ケイスケはすごいな、と思いました。一歩間違えば事件だよな、と……」


 記憶の中で瀬良さんに言った言葉を手繰り寄せるようにしてそう答えた。

 すると、早見先輩は眉尻を下げ、蔑みすら感じさせるものすごくつまらなさそうな顔をした。


「そんなこと聞いてない……」

「え!? いや……今、感想聞いたじゃ……」

「君は、救いようがないわね」

「ええ!?」


 なんで? なんで、いきなり、すごい貶されたの!? 感想言っただけなのに!?

 あまりに理不尽な扱いに反論の言葉も出ずに愕然としていると、早見先輩はふらっと部長の方へと向かって去っていってしまった。

 なんだったんだ……?

 謝罪の押し付け合いのようなものを続ける万里と瀬良さんの傍で、なすすべもなく立ち尽くす部長。石像のようにかっちりと固まっているその肩にポンと手を置き、早見先輩は部長の耳元に吐息でも吹きかけるように優しく囁きかけた。


「そろそろ、いいんじゃない?」

「あ……ああ、そうだな」と部長は咳払いのようなものをして、眼鏡をくいっと掛け直した。「カット、カット! 君たち、もう席について。さっさと配役決めるぞ」

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