第7話 俺を信じて

 拐われちゃった……てそれだけ?


「いいんですか……?」


 肩透かしというか。あっけない反応にぽかんとして訊ねると、瀬良さんは微笑を浮かべたまま、小首を傾げた。


「なにがですか?」

「皆の前であんな目立つようなことしちゃって……また、変な噂を立てる奴がいるかも」

「噂って……私が永作君のことを好きだ、ていう噂だよね」


 ふいに瀬良さんはくるりと身を翻し、背を向けた。


「今朝も、言おうか迷ったんだけどね」

「はい?」

「その噂……本当だ、て言ったらどうする?」

「本当……?」

「つまり、ね。私が本当に永作君のことを好きだ、て言ったら、どうするのかな、て――」

「本気にしません! 大丈夫です!」


 俺は迷わず、即答した。一瞬のためらいも、瀬良さんを不安にさせる。ここは、しっかりとはっきりと断言しておかねば。

 瀬良さんはばっと振り返り、「ええ?」となぜか戸惑った声を漏らした。

  

「本気に……しないの!?」

「誰になんと言われようと、そんな噂は信じません!」

「うん、あのね。そうじゃなくて、えっと、だからね……その〜……!」


 うーん、と瀬良さんは何かを言いたそうに身じろぎした。

 俺は心底、思った。ものっそい、かわいい――と。

 いやいや、だめだ、だめだ。何考えてるんだ。きっと、こういうのがよくないんだ。瀬良さんの一挙一動に、いちいち俺が鼻の下をのばしているから、こうして瀬良さんにいらぬ心配をかけてしまうんだ。

 今にもスマホを取り出して、迷子のようにあたふたする瀬良さんの動画を撮りたい衝動を必死に押さえ込み、俺は瀬良さんに歩み寄った。

 背だけは高い俺の影は、華奢な瀬良さんの体をすっぽりと覆ってしまった。ハッとして振り仰ぐそのあどけなく清廉そうな顔立ちに心をかき乱されながらも、俺はあくまで平静を装って力強く言った。


「俺を信じて」


 俺の影の中で、瀬良さんは瞠目して固まった。

 二人きりの屋上はしんと静まりかえり、通り過ぎていく風が瀬良さんの髪をいたずらに乱していく。その度に、さらさらとなびく瀬良さんの長い黒髪から甘い香りが漂って、俺の鼻腔をくすぐった。

 じいっと向けられる視線があまりにまっすぐで清らかで、今にもひれ伏したくなってくる。俺が悪霊だったら、一瞬にして除霊されてしまっているだろう、なんて考えながら、俺は視線を逸らしたいのを我慢して見つめ返していた。

 信じて、なんて言っといて、見つめられただけで赤面して取り乱していたら、元も子もない。

 ご褒美のような、修行のような、なんとも言えないにらめっこが続いて、どれくらい経ってからだろう。


「もうホームルーム始まるよー」


 そんなのんきな声が俺たちの緊張感をばっさり断ち切った。

 その瞬間。はっと瀬良さんが息を呑むのが分かって、あれ、俺近寄りすぎじゃね? とそのとき気づいた。とっさに俺は一歩後退って、瀬良さんから体を離すと、声のした方を見やった。

 誰かは、飄々としたその声でもう分かっている。

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