第59話 NTR要素なんてどこにもないじゃないか!

「何を言ってるんだ!?」と食い下がる津賀先輩の声は、心なしか上擦っていた。「NTR要素なんてどこにもないじゃないか!」

「どう考えてもNTRじゃん!? だって、彼氏の見てる前で彼女とキスするんだろ!?」

「キス……のフリだ! 本当にするわけじゃないんだから! 演技だ、演技」

「演技でも嫌だ! それを見る彼氏の身にもなってみろ!」


 気のせいだろうか、国平先輩の声が震えているような……?

 

「分かった、分かったから落ち着け、昇!」


 その場を去ろうとする国平先輩に、必死にすがりつく津賀先輩。嫌だ嫌だ、待て待て、の不毛な言い合いを繰り広げている。やがて、「みっちーは童貞だから分からないんだ」とか「自分が浮気されたからって、俺の映画にそんな私情を持ち込むな」とか、知りたくもない情報までが飛び交い始め、修羅場……というよりも、小学生の喧嘩を見ているようだった。殴り合いとかになるような二人ではないが、このまま放っておくわけにもいかないだろう。騒音というか、公共の福祉に反しそう……。こういうとき、早見先輩がいてくれたら、さらりと冷たい一言で二人を宥めてくれそうなものなんだが。俺にはそんな芸当は無理だ。

 どうしたものか……と頭を悩ませていると、


「永作くん……」


 不安げな声が背後からした。

 ハッとして振り返ると、瀬良さんが心配そうに眉を寄せ、歩み寄ってくるところだった。


「大丈夫……かな?」


 俺の隣で立ち止まると、わちゃわちゃやっている国平先輩と津賀先輩を見つめて、瀬良さんは小声で訊ねてきた。


「んー……大丈夫、とは言えないかな。いろいろと」


 はは、と乾いた笑いがこぼれた。

 国平先輩の言いたいことは分かる。確かに、俺と瀬良さんが付き合ってるとなれば……国平先輩はやりづらいだろう。彼氏の目の前で、演技とはいえ、彼女とキスをするフリなんて――ちょっとしたプレイだよな。なにやら、国平先輩はNTRに個人的なトラウマを抱えているようだし、余計に嫌だろう。

 俺だって――。

 ちらりと、隣にたたずむ瀬良さんを見やる。胸元をぎゅっと掴み、怯えたような表情で先輩たちを見守るその様の、なんと健気で可憐なことか……。ぞくりとして、抱きしめたい……! と、つい手に力が入ってしまう。さっきからそんなことばっかり考えて、我ながら呆れるけど……衝動なのだから、仕方ない。愛おしいものは愛おしいし、この胸の中に閉じ込めたい、と思ってしまうのは男の性というものだろう。これが、独占欲、てやつなんだろうか、と我ながら驚きつつも……。

 だから、俺だって嫌だ。演技とはいえ、瀬良さんが国平先輩とキスするのを見るのは……たとえ、フリだと分かっていても耐えられる気がしない。

 とはいえ、万里がせっかく作った話だし、台無しにしたくもない。津賀先輩の言う通り。部の映画に私情を挟むのは良くない。かといって、国平先輩に「我慢しましょうよ」と俺が言うのもおかしいし……。


「国平先輩、どうしちゃったんだろうね?」ふと、瀬良さんが小首を傾げてつぶやいた。「NTR……てなんだろう?」


 ぐさりと何かが胸に突き刺さったようだった。気のせい……気のせいだよね?

 聞き流そうとした俺に、「ねえ、永作くん?」とまるで邪気のない、幼気な探究心のみ、純度百パーセントの不思議そうな瀬良さんの声が訊ねてきた。


「NTRってなんだろうね?」

「なんでしょうね!?」


 迷いなく、俺はとぼけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る