第60話 お前、なんでイカ焼き持ってんの?

「そんな格好で純情ぶらないでくれる、永作? 逆に引くわ」


 藪から棒……いや、藪から氷柱つららだ。いきなり、鋭く冷たい一言が背後から飛んできた。

 ぎょっとして振り返ると、早見先輩が万里とともに立っていた。


「NTRっていうのはね、瀬良さん」と、早見先輩はとろんと垂れた目を薄め、抑揚のない声で切り出す。「たとえば、瀬良さんが他の男と興味本位でやってみたら、どれほど永作が下手くそか思い知ってしまって、そっちの男を身体が求めるようになることよ」

「どんな例え話ですか!? 悪意しかない!」


 そして、不必要に生々しすぎる! 瀬良さんの反応を見るのも怖い!


「心外だわ。どの辺に悪意を感じるというの? 現実に最も起こりうる例え話をしたまでよ。あんなキスをしといて、その先は自信があるなんて言わせな――」

「あんなキスもこんなキスもありません!」


 あんたもかー! と叫びそうになりながら、俺は慌てて早見先輩の言葉を遮った。

 まさか……まさか、あの場面に津賀先輩と国平先輩だけでなく、早見先輩に万里まで居合わせていたのか!? もう二度と……もう二度と、こんな死角だらけの林でキスはしまい……!


「いつから……いつからいたんですか?」

「君がその大量の差し入れを瀬良さんから受け取っているところからね」

「ほぼ最初ですね!?」

「だって」と早見先輩は悩ましげにため息ついて、ちらりと横にいる万里に視線をやった。「乃木さんが早々と戻りたい、て言うから」


 万里が……? と、思い出したように万里を見て、俺は「ん?」とおかしなことに気付いた。万里の手に不自然なものが握られていたのだ。


「お前、なんでイカ焼き持ってんの?」

「え!?」と、万里はガラにもなくぎょっと飛び跳ねて、なぜかイカ焼きをパタパタとうちわのごとく振りだした。「これ!? これは……その……台本読みながら、食べようかなーと思って……」


 やはり、おかしい。俺は眉根を寄せて万里を疑るように見つめた。


「いや、でも、お前……イカ焼き嫌いだろ」

「へ」


 万里の切れ長の目が見開かれ、イカ焼きを振り回していた手がぴたりと止まる。

 なんだ、その……意外そうな反応は?


「祭りに行くたび、俺がイカ焼き食べてる横で散々、『グロい』だの『クサい』だの言いまくってたくせに。あんだけボロクソ言っといて……いつから好きになったんだよ?」

「覚えて……んの? 一緒にお祭り行ってたのなんて、ずっと昔……子供のときで……」

「覚えてるよ。毎年、楽しみにしてたんだ。万里の浴衣姿」


 ん――?

 あれ、何か……今、妙なことを言ってしまったような……? いや、大丈夫だよな?

 子供のころ、いつもやんちゃで、生傷だらけだった万里。早々と伸びていった背はさっさと俺を追い抜かし、髪は常に俺と同じくらいに短く切って、小学校では誰よりも男らしくてモテていた。ほぼ、女子から……。そんな万里が、祭りのときだけ、浴衣を着て、短い髪に簪つけて、着慣れない浴衣のせいか、やけに大人しく振舞って……それが新鮮だった。下駄に苦戦しておぼつかない足取りで歩くのも可愛らしく見えて、女の子なんだな、て幼心に思ったのを覚えている。だから――物珍しかったからなんだろうか――楽しみだったんだ。そんな万里の浴衣姿を見るのが……。

 ――という、それだけの他愛もない思い出話なんだが。何もおかしなことはないはず。

 なのに、なんでだ? なんで、万里はこんがりぷりっぷりに焼かれたイカ焼きよりも真っ赤に顔を染めて黙り込んでいるんだ? 今にも湯気が頭から立ち上りそうな……。

 もしかして、怒ってる……のか?


「そ……そんなこと、一度も言わなかったじゃん!?」

「言う必要……ないだろ? 変だったら、変だ、て言うよ」

「そういうことじゃ……」


 あーもう、と万里は短い髪を掻きむしった。


「今更、そんなこと言うな、アホ!」

「アホってなんだよ!? お前こそ、今更、イカ焼き食べるな!」

「はあ!? これは、私のじゃなくて――」


 と、何か言いかけた万里は、突然、ハッとして口を噤んだ。


「私のじゃなくて……?」と訊き返すと、万里は視線を泳がせ、「だから、これは……」と困った様子で口ごもる。


 なぜイカ焼きでこんなに気まずい空気になっているのか分からないが……しんと静まり返り、ややあって、「もしかして」と呟く声が聞こえた。「それ永作くんに?」

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