第61話 やっぱり、幼馴染だね

 意外な声に振り返れば、瀬良さんがぎこちない笑みを浮かべていた。


「俺に……?」

「永作くんがイカ焼き好きだから、買ってきてくれたんだよ。ね、万里ちゃん!?」

「そう……なのか?」


 再び、万里に目をやれば、万里は口を引き結び、なんとも居心地悪そうに表情を険しくしていた。なんだよ、その顔? イカ焼きを差し出し、『はい、どーぞ』なんて言いそうにもないんだが。

 しかし、瀬良さんは疑う気配もなく、「やっぱり、幼馴染だね。すごいな」と感心したように続けた。


「永作くんの好きなもの、ちゃんと分かってて……。私、イカ焼きがあることも気づかなかった」


 恥じ入るように段々としぼんでいった声は、今にも、ごめんね、とでも言い出しそうだった。振り返らなくても目に浮かぶ。しゅんと元気のない瀬良さんの無理した笑み……。

 ああ、そういえば……俺、せっかく瀬良さんが買ってきてくれた夕飯に、まだ手もつけてなかった。熱かった焼きそばのパックの底は、いつのまにか、すっかり冷めてしまっている。話すのに夢中で……てか、もういろいろと胸いっぱいで空腹も忘れていた。

 せっかく、瀬良さんが俺のためにせっせとこんなに買ってきてくれたのに! 俺は「いや」と慌てて振り返り、


「何言ってんの!?」


 ――と、甲高い声が俺の言葉を遮った。

 あれ? 今のは……と、考えるより先に、その声の主は俺の横を通り過ぎ、瀬良さんの前に躍り出ていた。イカ焼きの先を瀬良さんの目の前に突きつけながら、そいつは偉そうにのたまう。


「圭が今、好きなのはイカ焼きじゃなくて、印貴ちゃんでしょう」

「へ……」


 いきなり、何を言い出すんだ、万里!? その言い方……ものすごく、こっぱずかしいんだが!? 俺……別に、そこまでイカ焼きが好きだったわけでもないぞ!? 瀬良さんとイカ焼きを比べないでくれ……!

 瀬良さんもぱちくりと目を瞬かせている。そりゃあ、イカ焼きを突きつけられて、イカ焼きと比べられたら……そうなりますよね!?


「ね?」と、さすがに万里も恥ずかしかったのか、照れ臭そうに苦笑した。「それだけ分かってたら、いいじゃん?」


 何が……? 何がいいんだ?

 困惑する俺をよそに、瀬良さんはしばらくぽかんとしてから、ふっと安堵したように微笑んだ。


「うん。そうだね――ありがとう」


 『ありがとう』?

 なんだ? 何が起こったんだ? なんで、瀬良さんがお礼を……?

 この感じ、懐かしいな。俺だけ蚊帳の外で、瀬良さんと万里だけで話が進んでいく、この疎外感……。こういうときは、きっともう諦めたほうがいいのだろう。どうせ、『どういうことだ!?』とか言っても、万里に『うるさい、アホ』と邪険にされるだけだ。

 とりあえず、二人の間に和やかな空気が漂っているし、何かしら解決したのだろう。それだけ分かれば、充分か。 


「これ……よかったら、食べてみる?」


 ふいに、万里はニッといたずらっぽく笑って言った。


「これって……」と瀬良さんは目の前に突きつけられているイカ焼きを興味深げに見つめる。「でも……永作くんに買ってきたんじゃ……」

「いいの。圭には、もう印貴ちゃんがいるんだから……」


 哀愁漂う、どこか大人びた笑みを浮かべて、そうつぶやいて――万里は急にハッとして、「あ、いや」とあたふたしだした。


「だから……ほら、圭には、もう印貴ちゃんからの差し入れがあるんだから……て意味で……! ねえ、圭!?」


 いきなりこっちに振り返り、万里は話を振ってきた。


「全部……それ、食べるんでしょ!?」


 なにそれ、唐突な……!? と思いつつ、


「も……もちろん! せっかく瀬良さんが買ってきてくれたんだ。残さず最後の焼きそば一本、鰹節一枚、あんこ一粒まで味わいます!」


 万里に答えるつもりが……途中から、瀬良さんへの宣誓のようになっていた。

 話の流れが全くもって分からないが、とりあえず――俺からも、ありがとう、万里。知らぬ間に、俺はまた瀬良さんを不安にさせていたようだ。嬉しそうに、はにかんだ笑みを浮かべる瀬良さんを見て、それに気づいた。

 俺がいつまで経っても瀬良さんからの差し入れを口にしないから、イカ焼きしか食べない人なのかもしれない……と、きっとそう思ってしまったに違いない。どさくさ紛れではあったが、その誤解が解けたようでよかった。

 万里から受け取ったイカ焼きを一口齧って、驚いたように目を丸くし、何やら万里とくすくす笑う瀬良さんを見ていて、いや――と思う。少し、違うな。たとえ、俺がイカ焼きしか食べない変態……いや、偏食野郎だったとしても、だ。瀬良さんが買ってきてくれたものなら雑草でもなんでも食べているだろう。

 ああ、なるほど。

 ――圭が今、好きなのはイカ焼きじゃなくて、印貴ちゃんでしょう。

 そう言った万里の言葉の意味をなんとなく理解した気がして、俺は一人、苦笑した。


「一丁前にほくそ笑んでるんじゃないわよ、永作」


 のほほんとしそうになった空気を凍らせるような冷たい声が背後からした。


「勝手に満足してるようだけれど、何も解決してないから」

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