第62話 それはもったいないわよ、瀬良さん

 振り返れば、早見先輩が苛立ちを滲ませた仏頂面で腕を組んでいた。

 何も解決していない……か。確かに、そうだ。イカ焼きでだいぶ気が逸れてしまったが、目下、問題は継続中。俺は顔を引き締め、「そうですね」と津賀先輩と国平先輩へ視線を向けた。早見先輩が戻ってきていることにも気づいているのかいないのか、まだ小競り合いを続けている。


「国平先輩を説得――」

「NTRのこと、ちゃんと理解できたのかしら、瀬良さん?」


 そこ掘り返す!?

 一口かじったイカ焼きを手に、瀬良さんも「え」と面食らっている。そりゃ、そうだ!


「あの……早見先輩!?」と、瀬良さんを庇わんと俺はずいっと前に出た。「そこはもう良くないですか!?」

「何が良いっていうの? 結局のところ、瀬良さんがどう思うかなのよ?」


 ぎらりと俺を睨みつける早見先輩の眼差しの、なんとエロ……いや、冷たいこと。そんなことも分からない? とでも言いたげな蔑みの色を含んでいる。


「瀬良さんがどう思うか……ですか?」


 ぐっとたじろぎながらも、俺は負けじと訊ねた。すると、早見先輩は物憂げにため息つき、肩にかかった髪をさらりと手で払った。


「瀬良さんも国平とのキスシーンが嫌だって言うなら、他の方法を考えるべきでしょう。瀬良さんは助っ人として来てくれているだけで、部員でもないんだから。部外者にそこまでさせられないわ」


 せ……正論だ。


「そもそも、国平は浮気された時点で、ユミはそこまで自分に本気じゃなかった、て気づくべきなのよ」


 それも、確かに正論……って、ユミって言うんだー!? なんで、そっちの話になってんの!?

 ああ、知る必要も、知りたくもなかった情報がどんどん増えていく。だめだ、もう何も言えない……。これ以上、うっかり詳細を聞いてしまうのが恐ろしい。


「瀬良さんが気にしないって言うなら、国平には黙ってもらえばいい」と、絶句する俺を気にもかけずに、早見先輩は淡々と続ける。「瀬良さんの口からはっきり言ってもらいましょう、『演技なのにそこまで意識して、気持ち悪いのでやめてください』って。それで全て解決よ」

「解決してますか!? 国平先輩の傷口に塩を塗り込んでません!? それに……瀬良さんにそんなこと言わせるなんて……」


 やめてください――と心の底から言おうとした俺だったが、「あの」とおずおずとした声に遮られた。


「NTRは……やっぱり、分からないです」と、イカ焼きの串を両手でぎゅっと握りしめながら、瀬良さんがぽつりと言った。そのさまは、まるでマイクを手に会見する清純派アイドルのよう。


 そんな幼気いたいけなアイドルに、無慈悲なレポーター――もとい、早見先輩は「何が分からないの?」と畳み掛ける。

 いや、何がって……!?

 俺は早見先輩のその質問にぎょっとした。何がも何も……早見先輩はで瀬良さんが理解できると本気で思っていたのだろうか。そっちのほうが驚きだ。

 もういい。瀬良さんがNTRという単語を口にするだけでも罪悪感を覚えるというのに。

 瀬良さんはNTRなんて分からなくていいんだ。――自信満々に、そう瀬良さんに言おうとしたときだった。


「興味本位で他の男性と……なんて、そんな気持ち、私には分かりません。私は……永作くん以外の人とは……、したいと思えないから」


 瀬良さんー!? NTRが分からないって、そっちの意味で!?

 って、いや……それより……そんなことより、だ。瀬良さん、今、とんでもないことを口にしたような……? 俺の人とはしたくないってことは……いや、瀬良さんの言う『そういうコト』がどこからどこまでを言うのかは分からないけども……それでも――!

 恥ずかしさを堪えるように顔を真っ赤にして、瀬良さんはじっとイカ焼きを見つめていた。まるで、俺の視線を避けるように……。それがまたいじらしいというか、そそられるというか……あらぬ期待を抱いてしまって……。

 歓喜なんだか、なんなのか。何かが今にも爆発しそうで、走り出したい衝動にかられた。そんな、今にも暴走しそうな俺とは対照的な、ぞっとするほど冷静な声がした。


「それはもったいないわよ、瀬良さん」

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