第四章

第58話 ナガサックとセラちゃんってさ、付き合ってるの?

 え、と見やれば、いつからそこにいたのか、林の暗闇の中、少し離れたところで二つの人影が立っていた。

 のそのそと出てきた人影は、やがて月光の下にその姿をさらす。きらりとメガネを光らす痩身の男と、端正な顔立ちをきりっと凛々しくしかめた浴衣姿の男。――津賀先輩と国平先輩だ。

 二人は俺たちのそばまで来ると立ち止まり、


「長ぇっ!」


 くわっと津賀先輩が目を釣り上げて怒号を上げた。

 身に染み付いた縦社会のなせる技か。俺は反射的にばっと立ち上がり、「すんません!」と謝っていた。


「何を話してたんだか知らないが、いつまでも入りづらい空気を出しやがって! 男二人で暗闇の中、息を殺して待ち続ける虚しさよ! 分かる!? どんだけ、蚊に刺されたと思ってんの!?」


 ぼりぼりと真っ赤に腫れた首筋を掻きながら、津賀先輩はがなり立てた。


「国平の顔が無事で良かったよ! いきなり、顔に虫刺されなんて出来てたら、撮り直しよ!? コンティニュイティが……」


 ぶつくさ続ける津賀先輩の隣で、国平先輩は憮然としていた。何も言わず、じっと瀬良さんを見ている。

 そっちの方が気になって、津賀先輩の小言は全く頭に入ってこなかった。

 国平先輩の様子が明らかにおかしい。

 たまに、津賀先輩の横暴に振り回されて不機嫌そうにしているのは見たことはあるが、いつも早見先輩にいいように言いくるめられてすぐにケロッと元通り。細かいことは気にせず、常に飄々として、「ナガサック〜」と人懐っこく寄ってくる。それが国平先輩だ。そんな先輩が、今、不穏な空気を醸し出して、黙り込んでいる。引き締まった表情に険しくひそめた眉。浴衣姿も相まって、まるで居合の達人のよう。今にも切り捨てられてしまいそうな緊張感に、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 もしかして……怒っている? なんで? 津賀先輩と同じで、暗闇の中、待たされたから? いや……国平先輩らしくない。待たされたことよりも、興味が勝って「何の話してたの?」と聞いてきそうなものなのに。

 顔だけ津賀先輩の方へ向け、しっかりと目では国平先輩の様子を伺っていた。――と、そんな視線に気づいたのか、国平先輩がふいに俺のほうへ射るような眼差しを向けてきた。 


「ナガサックとセラちゃんってさ、付き合ってるの?」


 え、と思わず瀬良さんに振り返って、ちょうど立ち上がったところだった瀬良さんと目があった。

 瀬良さんは困った顔を一瞬浮かべてから――ほんのり頬を赤らめ、遠慮がちに微笑む。「どうしよっか、バレちゃったね」みたいな……?

 うおおおお! て腹の底から勇ましい声が沸いて出てきそうだった。

 なにこれ。たまらなく……イイ。瀬良さんの一挙一動が、全て愛おしい。今まで以上に、可愛くてたまらない。これが――『彼女』か。

 ああ……俺、幸せです。

 ヒャッホーイ、て飛び上がってしまいそうになるのを堪えながら、ムズムズする口元を必死に引き締め、「実は……」と答えようとしたときだった。


「そりゃ、そうだろ」まだ棘の残った口調で、津賀先輩が言った。「さっき、ばっちりキスしてたじゃん。お前も見てたろ?」


 って、津賀先輩ー!?

 見られてた!? いや、そんなことより……!

 俺は咄嗟に津賀先輩に詰め寄ると、


「ばっちりはしてません! ばっちりはしてません!」

「はあ? なんだよ、してただろ」

「ほっぺにチューのことですか!? ほっぺにチューのことですよね!?」

「ほっぺ? いや、あれは……」

「ほっぺですからね! あれはほっぺですよ!」


 背は津賀先輩よりずっと高い俺。そのタッパの違いを未だかつてないほどに有効活用して、俺は脅すように津賀先輩を見下ろしていた。俺が不良で、立派なリーゼントでもあれば、津賀先輩の額にグリグリと押し付けていたことだろう。残念ながら、全身タイツの妖怪でしかないんだが。ある意味、リーゼントよりずっと凶器……いや、狂気か?


「なにを言ってるんだ、お前は!?」

「お願いします! ほっぺと言ってください!」と、俺は声を押し殺してしつこく迫る。

「意味分からん。なんでだよ!? お前の顔はどこまでほっぺ……」

「――やっぱ、あの噂は本当だったんじゃん。みっちー」


 ふうっとため息つくのが横から聞こえて、一人、冷静な声が割って入ってきた。

 ハッとして振り返ると、国平先輩がさらりと髪をかきあげ、気怠そうな表情を浮かべていた。「やってらんねぇ」と今にも言いそうだ。国平先輩らしくない。ヤケクソ感さえ漂う不機嫌っぷり。


「あの噂って……?」とぽかんとして津賀先輩が訊ねると、国平先輩は責めるような鋭い眼差しで津賀先輩を睨みつけた。

「セラちゃんがナガサックのこと好きだ、て。ただの噂でデタラメだから大丈夫だ、て言ってたじゃん」

「ああ……そういえば、言ったな。全く信じていなかった」


 あっさりそう言ってのける津賀先輩の、モテない俺への信頼感よ。頼もしいやら、腹立たしいやら。まあ、全校生徒が同じ気持ちだったんだろうが……。

 いや、そんなことより。


「『大丈夫』って……? 何がですか?」


 ざわっと胸騒ぎのようなものを覚えて、口を挟まずにはいられなかった。

 すると、国平先輩は俺と瀬良さんを見比べるように交互に見やって、「やっぱ、無理だ」と苦しげにつぶやき、身を翻した。


「俺……この役、降りるわ」

「は!?」と俺と津賀先輩の声が重なった。

「ちょっと、待て。国平!」


 津賀先輩が大慌てで国平先輩の背に追いすがる。


「お前に降りられたら困る! この映画はお前と瀬良が売りなんだぞ!? お前ら二人のキスシーンが見せ場で――」

「だから……!」と聞いたことないほど張り詰めた国平先輩の声が辺りにこだました。「そのキスシーンができない、って言ってんだろ! 俺は……NTRネトラレだけは無理なんだよ!」


 は? NTR……?

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