第三章

第42話 服、もう脱いだ?

「服、もう脱いだ?」


 夕暮れ時、地平線は赤々と滲み、夜が迫り来るコバルト色の空に淡いグラデーションを作り出していた。いわゆる、ゴールデンアワーという時間帯。太陽が沈み、まだ星が姿を見せない、一日の中で言えばほんの一瞬、昼と夜の狭間で世界は神秘的な色合いに包まれる。

 そんな中、高校の近くにある小さな神社の境内で、子ども会主催のこぢんまりとした夏祭りが行われていた。参道を挟むように出店が並び、食欲をそそる芳しい香りがそこかしこに漂う中、老若男女の楽しげな声がこだまする。

 どこを撮っても画になる情緒溢れる光景の陰で、俺は身を焼かれるような羞恥心に耐えながら服を脱いでいた。

 鳥居の柱の陰に隠れているから、人目につくことはない。――とはいえ、神聖なる境内でこんな格好をするなんて……背徳感に押しつぶされそうだ。


「ほら、早く見せてよ」と急かす声に、俺はぎくりとして振り返った。

「ちょっと待て……! まだ……心の準備が……!」

「心の準備ってなによ。いまさらじゃん」


 確かに。いまさらだった。

 腕を捕まれ、否応なく柱の陰から引っ張り出された俺は――、


「やっぱ、似合うね。もはや、しっくりくる」

「いや、おかしいだろ!」


 溌剌とした笑顔の万里に、真っ赤な全身タイツ姿で怒鳴った。


「これ……ただの変態じゃん!? すげぇ蒸し暑いし! 通気性悪すぎだよ!」

「慣れる慣れる」


 耐えきれなくなったように万里は吹き出し、腹を抱えて笑いだした。

 自分は半袖Tシャツにショートパンツという涼しげな格好で、よくもそんな無責任なことを言えたもんだ。

 わなわなと怒りに震えつつも、何もできない。あまりに騒ぎ立てれば、周りの注目を呼び、祭りを楽しむ良い子たちに気づかれてしまう恐れがある。日が落ちて薄暗いのもあって、今は子供達は出店の明かりに惹きつけられている。その裏に全身タイツの男子校生がいることなど思いもしないだろう。このまま、息を潜めて暗がりに溶けこむのみ、だ。真っ赤だけども。

 それにしても……腑に落ちない!

 なぜだ。なぜ、俺はたった一人、罰ゲームみたいな格好で祭りに来なきゃならんのだ。


「いい加減、観念すればいいのに」


 隣でスマホの明かりがぱっとつき、優しげな顔立ちを照らし出した。おっとりとした印象のたれ目がじっとスマホの画面を見つめている。――早見先輩だ。


「あまのじゃくの役なんだから仕方ないでしょう」

「いや、仕方なくないですよね!? あまのじゃくが当然、全身タイツを履いてるみたいな言い方やめてくれますか!? 他にやりようはたくさんありますからね!?」

「ナガサックは、やっぱ全身タイツが映えるわー」

 

 早見先輩の隣で、津賀先輩が心のこもってない声でそんなどうでもいいフォローを入れてくる。

 なに、このコンビ芸。腹立たしいほどの息の合い方だ。この二人を敵に回すと、厄介と言うか……ただただ面倒臭い。


「全然、嬉しくないですよ!」


 くそう。四面楚歌だ。

 理不尽この上ない扱いにも、ぐっと耐えるしかないとは。縦社会の恐ろしさが全身タイツを着込んだ身に沁みるよう。

 いやだいやだ、と言いつつ、律儀に全身タイツにアイロンをかけ、服の下に着込んで、のこのこやって来た俺も俺かもしれないが――。


「さすがに雑なんじゃないかな、みっちー?」と、意外な声が加勢してきて、俺はぎょっとして振り返った。


 え、うそ。


「国平先輩……?」


 浴衣姿のイケメンが腕を組み、くっきり二重の目を鋭く光らせ、津賀先輩を睨み付けていた。きりっと真剣な表情のなんと様になることか。さらさらとなびく長めの髪が、いい具合に浴衣とマッチしている。大河ドラマを3Dで観ている気分だ。お忍びで城から出てきた若君様、てところだろうか。民衆に紛れていても、その品性溢れるやんごとなきオーラは隠せない……みたいな。


「去年の映画でもナガサックは、火星人役でこの全身タイツ着てたじゃん」

「そうなんですよ、国平先輩……!」


 まさか……まさか、国平先輩が俺の味方を!? 俺の扱いの雑さに気づいてくれた!?

 ジーンと胸の奥が熱くなるのを感じた。今にも、若ー! と叫んでひれ伏したくなってしまう。


「おかしいですよね!? 俺だけ、二年連続で全身タイツ着るなんて……」 

「うん。前作に出てきた火星人と同じ役者が同じ全身タイツで出てきたら、混乱を招くんじゃないかな。前作との繋がりを深読みする人も出てきちゃうと思うんだよね。あまのじゃくが実は火星人!? なんてオチを期待する人も出てくるだろうしさ」

「いませんよ!」


 そんな心配してたの!? そんな凛々しい顔で!?

 そもそも、前作も観て、今回も観てくれる人なんて津賀先輩の身内くらいだよ!

 しかし――、


「なるほど……」


 津賀先輩と早見先輩は顔を見合わせ、渋い顔でつぶやいた。


「じゃあ、火星人ってことにしようか」


 そんな津賀先輩の提案に、「は!?」と俺と万里の声が重なる。


「いや、ちょっと待ってください! 今から撮影なのに……そんなとんでも設定いれるんですか!? 話、全然変わっちゃうんですけど!?」


 万里が途端に顔色を変え、津賀先輩に詰め寄った。


「いや、大丈夫だろ。最後変えるだけで。映画のラストは、宇宙人だった、でだいたい皆、納得するもんだし」

「全然大丈夫じゃないんですけど! それ、津賀先輩だけですから」

「私も納得できるけど」

「じゃあ、津賀先輩と早見先輩だけです! どんな映画見てきたんですか!?」


 わいのわいのと低レベルな映画談義を繰り広げ始めた三人。それをもはや他人事のように見守っていたときだった。


「遅れてごめんなさい!」


 ふいに、そんな鈴の音のような涼やかな声が辺りに響いた。

 どくん、と心臓が飛び跳ねるように大きく波打つのを感じた。ゆっくりと振り返ると、境内に灯り始めた灯篭の柔らかな光の中、カランと下駄の音を鳴らして駆けてくる姿があった。長い髪を結い上げ、紺の浴衣に身を包んだ瀬良さんだった。

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