第43話 見過ぎ!

 俺たちの輪に加わるや、浴衣の胸元を押さえて息を整え、瀬良さんは恥ずかしそうに微笑んだ。


「浴衣着るの、手こずっちゃって。――変じゃないかな?」


 さあっと周りの喧騒が消え去り、瀬良さんを囲む世界が輪郭を失った――ようだった。音はくぐもり、視界はぼやけて、息苦しさに襲われる。突然、水の中に放り込まれたみたいに……。

 全てがぼんやりとする中で、瀬良さんの姿だけははっきりとしていた。ほんのりと紅潮した頬も、うっすら紅く塗られた唇も、真っ白な首筋も、不安げに伏せた瞳の煌めきも……瀬良さんだけが、鮮やかな色を纏ってそこにいた。浴衣のせいなんだろうか、普段の慎ましやかな佇まいが今日はぞくりとするほど艶やかに感じて、甘く漂う香りが目に見えるようだった。はだけた襟を整える指先の動きにさえ、ぞくりとしてしまう。

 なんだろう、この胸騒ぎにも似た高揚感は。身体の中にじわじわと熱がこもっていく。今にも何かが爆発しそうで、逃げ出したいのに体がぴくりともしない。

 ああ、まずい。目が……瀬良さんから離れない。


「おい。――おい、圭!」


 急に、がん、と頭に衝撃が走って、俺はハッとした。その途端、ぶわっと祭りの熱気が波のように押し寄せてきて、たちまち、周りの景色が輪郭と色を取り戻す。

 白昼夢でも見ていた気分だった。

 まだぼうっとする頭で周りを見渡すと、皆の訝しげな視線が俺に向けられていた。瀬良さんも――いつからだったのだろうか――眉をひそめて俺をじっと見ている。


「え……?」と惚けた声がこぼれていた。


 すると、ぺしんと軽快な音ともに再び頭に衝撃が走る。


「いて……!?」 


 ばっと隣を見やれば、万里が丸めた台本をぺしぺしと自分の手のひらに当てながら、いじけた子供みたいにむっとして俺を睨みつけていた。気のせいか、頬を赤らめながら……。

 異様な雰囲気に圧されながらも「なんだよ?」と訊ねると、万里はびしっと台本を俺に向け、


「見過ぎ!」


 一言、ぴしゃりと言い放った。

 見……見すぎ? 何のことだよ――と、言いかけ、すぐにその言葉を飲み込んだ。

 聞く……までもない。全てを悟るや、さあっと血の気が引くのを感じた。


「まあ、仕方ないわよね。男子のナマの反応というものよ」

「ナマ、とか言うな、早見」

「いや、でも、気持ちは分かるよ、ナガサック」


 ダラダラと背筋を流れる汗を感じながら、を振り返れずにじっと万里を見つめていた。そんな俺の肩をぽんと叩いて、「な!?」と促す国平先輩の声が聞こえた。


「セラちゃんの浴衣姿、すごい綺麗だもんな。そりゃ、見惚れるよ」


 やめてー! と叫びたかった。

 しかし、もう遅い。かなり手遅れだ。あきらかに、皆にバレている。どんだけ、俺は瀬良さんを見つめていたんだ。

 瀬良さん、ドン引きしてるよな。それでなくても、バスケの件をまだ謝れてなくて、気まずいままだってのに……。浴衣姿を黙ってジロジロ見て、しかも、俺……ただ、見惚れてただけじゃないんだ。綺麗だな、とかそんな純粋な目で見てなかった。

 冷静になって、腹の奥底にあるそれをはっきりと感じていた。高揚感が消え、代わりに消し炭のように残った――罪悪感。

 俺……瀬良さんのこと、色っぽい、て思ってたんだ。

 ああ、やばい。今、自分がどんな顔してるのかも分からない。


「ほら」と万里が押し殺した声で急かして、ちらちらと視線で俺を促してくる。「いつまで私のこと見てんのよ。でしょ」

「いや……」


 待て、待て! どうしろっていうんだ? 何を言えって言うんだ? 振り返って、瀬良さんに……色っぽいですね、て? だめだよね!? だって、俺、今、全身タイツだし!? 気持ち悪すぎだろ。こんな格好で、で瀬良さんを見ていたなんて知れたら、瀬良さんに――嫌われる!?


「べ……別に、瀬良さんの浴衣姿見ても、なんとも思ったりしねぇよ!」


 ん――? あれ……俺、今、なんて言った?

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