第75話 永作くん、こっち向いて?
こ、恋人らしいこと……!?
「ちょっと待っててね」
待ってて……!? って、いや……いやいやいや……!?
このシチュエーションでそんなこと言われたら、妙な期待を抱かずにはいられない。ちらりと脳裏をよぎるのは、今朝見た夢のあられもない瀬良さんの姿で……。
いや、いかん、と俺は膝の上で固く握り締めた拳を睨みつけた。
瀬良さんがはだけたワイシャツ姿で俺にまたがるなんて、あり得るわけもない。完全なる妄想の産物だ。己の邪な妄想を現実と混同して、瀬良さんの純情を穢すようなことがあってはならん。
まるで暴れ馬の手綱でも握りしめている気分だった。すぐにでもたがが外れてしまいそうな、心の奥底からこみ上げてくる何かが今にもあふれ出してしまいそうな……そんなギリギリな状態で、暴走しそうな衝動をなんとか押さえつけていた。
熱いほどの昂りを逃がすように息を吐き、修行僧のごとく、心を落ち着かせようとする俺のすぐそばで、
「永作くん、こっち向いて?」
瀬良さんがそんなことを囁き掛けてくる。
まるで俺の内なる欲望を猫じゃらしであやすかのごとく、無垢で愛らしいその声たるや! どんな厳格な僧侶でも修行をやめて振り向くに違いない。
もう……いいよな? 我慢する必要なんてない……んだよな? だって、実際、もう恋人なんだし。恋人らしいことしたい――て、瀬良さんだってそう言ってるんだ。俺の部屋にまで来て……。
ここで何もしないのは、全世界の修行僧に申し訳ないというもの。もはや、罰当たりだ。そうだよ、この前はノーカンで終わっちゃったんだし、今度こそ、ちゃんとキスくらい……。
「瀬良さん――!」
荒れ狂う海に逆らおうと必死に漕いでいた
「はい、チーズ」
チーズ?
その瞬間、シャキーンと引き締まったシャッター音がして、威勢良く振り返った俺はすっかり勢いを奪われた。
「撮っちゃった」とスマホを手に嬉しそうな瀬良さん。「これでちょっとは寂しくなっても大丈夫……かな」
冗談っぽく言うその無邪気な笑顔……バーストモードで上限いっぱい撮りまくりたいです。
って、え!?
「写真……!?」
「そういえば、永作くんの写真、持ってないなー、て思って。お姉ちゃんは、彼氏の写真はいつも壁紙にして、スマホのケースにプリクラまで貼るの。今朝、必死に剥がしてたけど」
「ああ、そっか……」
別れてしまえば、目障りでしかないもんな。ベタベタまできれいに取れただろうか……てどうでもいいか。
それよりも、だ。
『恋人らしいこと』って……写真撮ることだったのか。瀬良さんらしい、なんと清らかで健全な行為だろう。微笑ましく思いながらも、危なかった……と、安堵していた。あのまま、勢いに任せて何かしていたら、と思うとゾッとする。
そんな人だとは思わなかった――と、胸に突き刺さるような声が脳裏にこだました。
もっと理性を鍛え、鋼の精神を手に入れなくては。
とはいえ……。若干ながらも落胆は残る。期待が大きかっただけに、まだ心は漣立つように落ち着かない。そりゃあだって、期待……はするよなぁ。
「さて、永作くんの写真も撮れたし」と、瀬良さんは満足そうにスマホをベッドに置き、こちらを振り返った。「もう時間もないから……早くしないと、だね」
言われて、あ――と、慌てて俺は立ち上がった。そっか、ゆっくり話してる場合じゃないのか!
「飛行機、何時!? そうだよな、早くしないと! 乗り遅れたら大変だ!」
「え!? 違……」
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