第69話 泣きつく相手、間違ってるから!
「それじゃって……」
まだ諦めないんですか!? 今日はもう帰りません!? ――と、言いたいのは山々だったが……俺はぐっとこらえて、林の中へと消えていく早見先輩の背中を見送った。
駄々をこねる国平先輩、それに手をあぐねる津賀先輩、そんな津賀先輩の代わりに口八丁で国平先輩を丸め込める早見先輩。この部ではもはやお決まりの流れで、俺や万里には慣れっこ……というか、飽き飽きといったところなのだが。
瀬良さんはそうはいかないよな。だからこそ……。
「ごめんね!」と張り詰めた瀬良さんの声が辺りに響いた。「国平先輩を説得するはずだったのに、私、状況を悪化させちゃったみたいで……」
「何言ってんの。そもそも、印貴ちゃんは助っ人なんだから。国平先輩の説得までしなくてよかったんだよ」
「でも、私、国平先輩のこと怒らせちゃったかもしれない。今夜どころか、私とのキスシーンなんてもう演じてくれないかも」
「怒らせた……わけじゃないと思うけど」となだめる万里の声も呆れ気味だ。
しかし、すっかり責任を感じてしまっている様子の瀬良さんは聞く耳持たず、
「せっかく、万里ちゃんのつくったお話なのに。このままラストシーン撮れなかったら、どうしよう!?」
「どうしよう!? ってさ……」困ったように苦笑を浮かべて、万里は瀬良さんの肩を掴んだ。「泣きつく相手、間違ってるから! 私の胸に飛び込んでどうすんの」
「ふぇ?」と涙声で惚ける瀬良さんの体をぐるっと反転させると、万里は「はい、どーぞ」とその背をとんと押した。
いきなり押されてつんのめった瀬良さんの体が、ふわりと俺の胸の中に飛び込んでくる。あ――と、とっさに伸びた手がその背を抱き寄せていた。
危ないじゃないか! と万里に文句の一つでも言おうとして……瀬良さんの甘い香りが鼻をくすぐり、その気を削いだ。そして、すぐに気付いてしまう。焼きそばその他、大事な瀬良さんからの差し入れを落とさないように、とそちらに気を取られたからだろうか――うまく加減ができなかった左手は、必要以上に瀬良さんの身体を抱き寄せ、ぴたりと密着したその生々しい感触が、全身タイツを通して……薄い布一枚隔てて熱を帯びて伝わって来る。華奢なその身体からは想像もつかない、ふにっとやわらかなものが胸元に――。
「あ……ありがとう」
ふいに、苦しげな声が聞こえて、頭から何かが吹っ飛びそうになった。
「こちらこそ――じゃあなくて、すみません!」
危ない! いろいろ、危ない!
慌てて、瀬良さんの身体から飛び退き、当然のごとく俺はぴしっと頭を下げた。
「すみませんって……なにが?」
顔を上げれば、はだけた浴衣の襟からほっそりとした首筋をのぞかせ、涙目で小首を傾げる瀬良さんが。まさに、純真無垢。眩しすぎて、もはや神々しい。聡明そうな顔立ちに浮かぶ、戸惑うような幼気な表情が……たまらない。そして、なんとも言えない背徳感を掻き立てる。
すみません、と言いつつ……さっきの感触を思い出そうとしている自分がいる。情けないというか……仕方ない、というか。
そんな俺を見透かしているかのように、
「ほんとアホね〜、あんたは」
心底呆れた……いや、蔑むような万里の声がして、俺はぎくりとして振り返った。
「付き合ってるんだから、堂々とすりゃいいのに。逆にいやらしいわ」
「な……なんのことだ!?」と我ながら苦しい言い逃れだ。「そ、そもそも、お前がな……人をいきなり突き飛ばすようなことをだな……」
「滑舌悪すぎ。酔っ払いか」
鼻で笑ってそうかるくあしらって、万里はニッといたずらっぽく笑って見せた。
「しっかりしてよね。今から撮影するんだから」
そんなことを言って、ひょいっと万里が掲げて見せたのはハンディカムカメラ。ついさっきまで、そばの木の根元に皆の荷物と一緒に津賀先輩が置いておいた映研のカメラだ。
「今からって……?」
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