第70話 じゃ、決まりね

 きょとんとして、俺は辺りを見回してしまった。


「先輩たちもいないぞ? 俺たちだけで何を……」

「あ」俺と同じくぽかんとしていた瀬良さんが、何か思いついたように声を上げた。「そっか。私たちだけのシーン、まだ残ってたね」


 言われて、「ああ」と俺も思い出す。

 そうだった――と言おうと瀬良さんに振り返って、俺は言葉に詰まった。

 まだ涙の残る目を細め、「がんばろうね」と朗らかに微笑む瀬良さん。ああ、だめだ。愛おしさがこみ上げて、胃痛のようなものまで感じる。たまらずぐっと胸を掴んで、俺は顔を逸らした。

 言えねぇ……! こんないじらしさ満開な彼女に、演技とはいえ、冷たい言葉を吐くなんて。想像しただけで胸が張り裂けそうだ。

 しかし……言わねば。俺も一応、役者としてここにいるんだ。もう二年の付き合いになるこの全身タイツに賭けて、演じきるしかない。万里の処女作を台無しにしないためにも――。


「そうだ、圭。あのセリフ、もう忘れていいから」


 せっかく決意を固めた矢先、万里はカメラをいじりながらさらりとそんなことをしれっと言った。


「忘れていいって……?」

「セリフ変えるから」

「変える!?」

「なんだかんだで、圭も国平先輩も役者じゃないんだし、演技はド下手でしょう」

「そう……なんですか?」と思わず、敬語になっていた。


 さすがにうまいとは思ってはいなかったが、ド下手だという自負はなかった。誰か言ってよ!?


「演技力ないのは当然だし、いいんだけどさ。ただでさえ下手なのに、言いたくないこと言わせたり、逃げ出すほど嫌なことやらせても、いいものが撮れるわけないよなーて思ったの。見るも無残なものになって台無しよ。だったらさ……」


 カメラに向けていた顔をこちらに向け、万里はため息まじりに微笑んだ。


「言いたいこと言わせて、好きなことさせたほうが、リアルな演技が撮れる、てもんじゃない?」


 そう自信満々に言われても、ピンとこない。

 俺と瀬良さんは顔を見合わせた。――って、息ぴったり!? なんてちょっと嬉しくなってニヤけそうになってしまった。

 そんな俺たちに「つまりさ」と呆れ気味に万里は続ける。


「本当に好きな二人のキスシーンを撮った方がいいよね、てこと」


 ああ、なるほど……って、ん!?

 二人でキョトンとしてから、俺と瀬良さんは「え!?」と万里に振り返った。


「ちょっと待て! 何を……何を言い出してるんだ!?」

「ほらほら、いいリアクションじゃん」


 万里はニヤニヤしながら、構えたカメラを俺たち二人に向けていた。


「さては、からかってるな、お前!?」

「大真面目よ」

「でも」と隣で瀬良さんも戸惑いがちに声を上げた。「私たちのキスシーンにするって……そんなことしたら、話、変わっちゃわない? せっかく、素敵なお話なのに」

「うん……でも、もういいの」カメラを下ろし、万里は気恥ずかしそうに苦笑した。「好き、て言ってもらえたから。報われた気がする」

「報われた……? アケミのことか? いや、だから、キスシーン変えたら、ケイスケからの告白も無くなるんだぞ。報われなくならないか?」

「あーもう、うるさい! 真面目か!」

「ええ!? 真面目に話してるんじゃなかったのか!?」


 理不尽な。面食らう俺を放ったらかし、万里は元気溌剌、意気揚々とカメラを掲げて声を張り上げた。


「さあ、先輩たち戻ってくる前に撮っちゃおう! また面倒臭いことになったら嫌だし」


 いや……撮っちゃおうって、そんな簡単に!? 俺と瀬良さんのキスシーン……? いやいやいや、まだキスもしてないのに、カメラの前で……!? 考えただけで、心臓が燃えそうだ!


「ちょっと待て! そんな、急に……! って、そうだ、先輩たちだってそんなのオッケーするわけがない! 先輩たちの了承も得ず、勝手に変えるなんて……」

「大丈夫よ」とさらりと万里は答える。「映画のラストは、宇宙人だった、でだいたい皆、納得するものらしいから」

「あ……」


 まるで津賀先輩の座右の銘のようなその一言で、縦社会という俺の盾はあっさり破られた。

 確かにそうだ。結局のところ、最後に宇宙人を出せば津賀先輩は納得するだろう。津賀先輩が納得すれば、早見先輩も満足。国平先輩はNTR要素がなければハッピー。円満解決してしまう。

 しかし……しかし……だ。心の準備というか、いろいろと準備が……!


「なーによ、圭。嫌なわけ? 印貴ちゃんとキスするの」

「そんなわけないだろ! めちゃくちゃしたい!」


 しっかり拳を握りしめて大声で言ってから、「あ」と我に返った。

 うわああ……と、恥ずかしさに体が焼けるように熱くなる。見れない……。瀬良さんを直視できん。

 もはや前を見ることしかできない俺の目には、勝ち誇ったような万里の笑みが映っていた。


「じゃ、決まりね」

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