第66話 少なくとも、俺は好きだ

 それに……と、国平先輩の説得へ向かった瀬良さんのほうを見やった。


「嫌がる瀬良さんを無理やり……みたいなのはさすがに見たくないけど、これは違うんだろ?」


 津賀先輩と早見先輩が見守る中、瀬良さんは何やら国平先輩と向かい合って話し込んでいる。真剣な表情だ。きっと、必死に国平先輩を説得してくれてるんだろう。

 思い出されるのは、あの日。瀬良さんの部屋で二人並んで台本を眺めたあの夕方のひととき。ページをめくりながら、物語の中へ想いを馳せるようにうっとりとする瀬良さんの横顔をまだ覚えている。隣に座っているだけで、心臓が爆発しそうなくらい波打って、平静を保つのが精一杯だった。あのときから……いや、あのときにはもう、瀬良さんのこと、俺は好きだったんだな。

 まさか、そんな瀬良さんと――接触事故ではあったが――キスする日が来るとは。

 好きだ、て告白されて、キスするの――そう呟く瀬良さんの声が脳裏に蘇って、なんだか照れ臭くなって苦笑していた。


「グッときた、て瀬良さんも言ってたよ。最後のキス、嬉しくなった、てさ」

「印貴ちゃんが?」

「ああ」と俺は万里に振り返る。「アケミの気持ちが分かるんだってさ」


 すると、それまでどことなく堅かった万里の表情がゆるんだ。目を丸くして、ぽかんと口を開けたその表情は、まるで子供みたいで気が抜けた。今まで、どぎまぎしてしまったのはなんだったんだ、と騙された気分になった。


「アケミはケイスケのこと、幼稚園のころからずっと好きだったんだろ。こんな全身タイツの妖怪に邪魔までされたんだ。キスの一つでもなきゃ、報われないだろ」

 

 もはや、全身タイツも体に馴染んできている気がする。俺は胸を張って、悪役っぽく、カカカ、と笑って見せた。

 しかし、だ。俺がそこまでしてやっているというのに、


「なによ、分かったようなこと言って。ちゃんと読んでもいないくせに」


 万里は口を尖がらせ、つんとして言った。

 黙っていれば、爽やか美少年。誰もいない音楽室で、一人、ピアノを弾いていそうなものなのに。その顔をよくもそんなにクソガキみたいに変えられるものだ、と感心すら覚える。


「読みましたー」と俺も俺で、まるで小学生みたいに言い返していた。「撮影始まる前に全部読んだよ」


 で……と、万里相手だとムキになってしまう自分を押さえ込み、改まって「良かったよ」と俺は素直に口にした。


「少なくとも、俺は好きだ」


 すると、ぼっと火が灯るように万里の顔が赤く染まった。『偉そうに、うざ!』とでも言ってくるかと思ったが、予想に反して、健気にも恐縮したように固まってしまった。

 意外な反応だ。作品褒められて、赤面するなんて。万里にこんな一面があったとは。可愛いところもあるじゃないか。


「だからさ」とこつんと俺は万里の頭を軽く小突いた。「変えるなよな」

「え……偉そうに、うざ! そんな簡単に、好き、とか言うな。腹立つ」


 前言撤回。全然、可愛くない!

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