第65話 嫌だよ、好きな人がキスするとこ見るの

 ときに厄介だとさえ思うギラギラとみなぎるような活気もそこにはなく、意気消沈、といったところだ。

 常に自信たっぷりで、やる気満々、竜巻のごとく周りを巻き込みながら我が道を突き進む――そんな万里がこんなんだと、気味が悪いというか……こっちも調子が狂う。


「そんな簡単に変えるなよ」と俺は頭をかきながら、ぼそっと言った。「せっかく、考えた話だろ」

「だって……やっぱ、気まずいでしょ」

「いや、だから……今更だろ。瀬良さんも言ってたけど、キスシーンは最初から決まってたわけだし、お前だって大張り切りで瀬良さんのキスシーンを宣伝してたじゃん」

「あのときは、まだ……付き合ってなかったし……」

「は……?」

「付き合うことになったんでしょ」万里はなぜか責めるように俺を睨みつけ、遠慮がちに言った。「おめでと」

「あ、ありがとう……?」


 祝われている気が微塵もしないが。てか、突然だな!?

 なんなんだ、万里は? 明らかに様子が変だ。支離滅裂だ。よっぽど、気にしてるのか? キスシーンのこと……?


「あのさ」と一呼吸置いてから、俺は諭すように落ち着いた声で切り出した。「付き合っていようがいまいが、何も変わらないだろ。瀬良さんはヒロインで、俺は全身タイツだよ」


 そう、どんなに嫌だ、と言おうと俺は結局全身タイツさ。


「そんな気にしなくていいって」

「気にする!」

「なんで、そこまで意地になってんだ?」

「だって……」と何やら言いかけ、万里はぐっと堪えるように口を噤んだ。


 見覚えがある。ムキになって、今にも噛みつかんとこちらを睨みつける万里の顔。でも……昔と何も変わらないはずのまっすぐな瞳には、どこか躊躇うような翳りが見えた。怯えるような、そんな眼差し。

 小さい頃から一緒でよく知っているはずなのに。いつもこうしてそばにいたはずなのに。なのに、なんだろう、落ち着かない。淡い月明かりのせいだろうか、今夜の万里はやけに大人っぽく見えて、危うい感じがした。

 まるで高飛車なワガママ王子のごとく、常に勝ち誇った笑みを浮かべて憎まれ口を叩くその唇が、ふっと弱々しく開くと、


「嫌だよ、好きな人がキスするとこ見るの。結構、キツイんだから……」


 風に消し去られてしまいそうなか細い声で、万里はそんなことをつぶやいた。

 悲痛……とでも言えばいいんだろうか。痛々しく胸に迫るような万里の言葉に、「そう、か」と俺は間の抜けた返事しかできなかった。なんだよ、知った風な口聞いて――なんて、茶化すことも躊躇われた。それほど、真に迫る言い方だった。まるで、経験したことあるみたいな……。

 もしかして――と、口を開きかけた俺に、万里はニッと笑った。情けなく、自嘲でもするかのように。


「だからさ、圭も嫌なら嫌でいいんだよ。こんな誰も見ないような映画のために、無理しないでいいからさ」


 ひらひらと手を振り、あっけらかんと言う万里の声はいつもの調子に戻っていた。もうこの話は終わり、とでも言いたげな投げやりな感じだ。

 でも……そういうわけにはいかないだろ。


「そりゃ、嫌といえば嫌だけど……それよりも俺はお前の作品を台無しにするほうが嫌だ」


 はっきりとそう言うと、万里は振っていた手をピタリと止めて、「は?」ときょとんとしてしまった。

 

「誰も見ないかもしれないけど、お前が初めて作った話だろ。俺には大事な映画だよ」

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