第64話 じゃあ、キスシーンはやめよう!
そんな感じ?
「そんな感じって……なんだ?」
訝しげに万里に訊ねると、万里は「別に」とそっぽを向いた。「お似合いだ、てことじゃない?」
「なんだよ、その言い方? 絶対、思ってないだろ」
「あー、うるさい、うるさい」と万里は俺に唾でも吐きかけるような態度で言って、すぐに瀬良さんに顔を向けた。「NTRがどうのは置いとくにしてもさ……印貴ちゃんはキスとかするのはこのアホだけがいい、てことだよね?」
「アホってなんだ」
息をするように俺を貶すよな、万里は。
「うん」と瀬良さんはまだ頰を赤らめたまま、おずおずと頷いた。
すると、万里は「だよね」とカラッと笑って、
「じゃあ、キスシーンはやめよう!」
さらっとなんでもないかのようにそう言い放った。
いや、やめようって……そんなあっさり!?
「おい、万里、いいのか!?」
「いいのか、て……あんたもそっちのほうがいいんじゃないの? 嫌でしょう、彼女のキスシーンを見るのとか」
「嫌……といえば、そりゃあ嫌だけど……」
「じゃあ、喜べばいいじゃん。印貴ちゃんも安心して。ね、これで解決!」
「解決って……」
ちらりと瀬良さんへと視線をやれば、瀬良さんも心配そうに眉をひそめて万里を見ていた。キスシーンがなくなって、ラッキー! みたいな様子はさらさらない。それよりも――、
「だめだよ、万里ちゃん!」
瀬良さんは表情を険しくして、万里に詰め寄った。
「私は全然平気! ただの演技なんだし! そもそも、キスシーンあるの分かってて引き受けたんだから。今更、嫌だなんて言わないよ。そんなの無責任……」
言いかけ、瀬良さんはハッとして口を噤んだ。
そうだよね……それを言っちゃうと、立場がなくなる人が約一名ほどいらっしゃるので。
しかし、瀬良さんのそんな心遣いも虚しく、
「ほんと無責任よね、国平は」
とはっきり早見先輩が口にした。
「いえ! あの……そういうつもりで言ったわけではなくて……」
「正しいコトを言ってるんだから、胸を張りなさい」
早見先輩はふっと目を細め、瀬良さんに歩み寄った。緊張の面持ちでたたずむ瀬良さんの肩にポンと手を置くと、重みのあるゆっくりとした口調で訊ねる。
「本当にいいのね? キスシーン、嫌じゃない?」
「はい」と瀬良さんは屈託ない笑みで頷いてから、「あ、でも」と思いだしたようにその笑みを歪めた。そして、ちろりと俺を上目遣いで見つめ、「永作くんは……目、瞑っててね?」
あざす! と大声で叫びそうになった。
その戸惑った表情といい、聞いてるだけでこちらが緊張してしまうような不安げな声といい、そんな……そんないじらしく『目、瞑っててね』なんて言われたら――!
じーんと体の芯がしびれるようだった。
ああ、なんで今すぐ抱きしめられないんだ!? と、狂おしいほどの衝動を抑え込むのに必死で、言葉も出ない。これが悶絶というやつなのだろうか。
「――そう、永作を目潰しすればいいのね」
「目潰し!?」
いきなり、頭からバケツで冷や水をぶっかけられたようだった。恍惚とした気分が一気に冷めて、現実に引き戻される。
「なんで目潰しなんですか!?」と、俺は早見先輩に振り返った。「勝手にそんな物騒な方法にしないください!」
「これで解決ね」
分かってはいたが……聞く耳持たず、だ。俺の言葉など、どこ吹く風。反応すらない。
なるほど、アケミ以外の人間にはその姿も声も認知されず、相手にされることもないあまのじゃくの気持ちをこうして理解させようと――て、絶対、そんなわけはない。ただの完成度の高いシカトだ。
早見先輩は瀬良さんの体をくるりと回転させると、その背を両手で押しながら「一緒に来て」と連れ去っていく。
「国平にも言ってもらえる? さっきの話、全部」
「さっきの話って……」
「『国平先輩は無責任です、気持ち悪い』て」
「私、そんなこと言ってません!」
瀬良さんにも容赦ないんだな、あの人……。
すっかり早見先輩のペースに翻弄されておろおろとする瀬良さんの背を、俺は気の毒に思いながらも見送った。
すみません、瀬良さん。その人も悪い人ではないんです。
「とりあえず、これで国平先輩はなんとかなりそうだな」
国平先輩の心の傷がどうなってしまうのかはさておき……。
「で?」と俺は万里を横目で見た。「キスシーンはやめる……なんて、なんだったんだよ? お前らしくない」
いつもはぴんと張っている背筋を丸め、万里はいじけた子供みたいにしゅんとしていた。
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