第22話 安心したよ

「どうしたの? すごい寒そうなんだけど!?」


 風呂から出て、帰る前に挨拶をしようとリビングに入るなり、蘭香さんがぎょっとしてソファから腰を上げた。

 確かに、ものすごく寒い。ガタガタと震えが止まらない。


「お風呂入ってきたんだよね? ちゃんとお湯につかったの?」

「はい……」と小刻みに震える唇の間から、俺はか細い声で答えた。「お湯にはつかったんですが……邪念がよぎるたび、冷水を浴び続けていたら、芯まで冷えてしまって」

「君、うちに何しに来たの?」


 仕方ないじゃ無いですか。

 瀬良さんがいつも入っているお風呂だと思うと、どうしても……どうしても、よからぬ想像が脳裏をよぎってしまうんです。そのけしからん画を消し去るためには、もう己を清めるしかない、とそれくらいしか思いつかなかったんだ。


「修行僧じゃ無いんだから」


 もー、と呆れたようにため息をつきつつ、蘭香さんはだぼっとした大きなスウェットを俺にかぶせて、淹れたての暖かい紅茶を渡してくれた。

 暖かい……ジーンと蘭香さんの気遣いが身に沁みる。ただティーカップを両手で抱いているだけで、じんわりと心から暖められていくようだ。

 麦茶とは違う芳しい香りを堪能しつつ、紅茶をありがたくいただいていると、L字型のソファの斜め横に蘭香さんが腰を下ろした。


「で、どうだった? 『赤穂の恵み』は?」


 組ませた足の膝に頬杖つきながら、蘭香さんは俺をじっと見つめて訊ねてきた。


「なんか……すーすーします」


 そう答えた途端、蘭香さんはぶっと噴き出した。


「ごめん、やっぱり我慢できない」と蘭香さんはソファの上で膝を抱え、苦しそうに笑い出した。「まさか、本当にパパの全身シャンプー使うなんて」


 俺は恥ずかしくなって、身を縮こませ、紅茶を啜った。

 『赤穂の恵み』という聞いたことの無いその全身シャンプーのパッケージには、『育毛効果あり』とか『加齢臭とさよなら』だとか、聞こえのいい文句がずらずら並んで、実に怪しかったが……瀬良さんのお父さんが愛用しているというなら、俺も信じるのみだ。誘惑に打ち勝ち、お父さんのシャンプーを選んだことを、俺は絶対に後悔しない。


「ほんっと、君っておもしろいね。印貴が言ってた通りだ」


 一通り笑って落ち着いてから、蘭香さんはそう切り出した。


「瀬良さんが……俺のこと、おもしろい、て言ってたんですか?」

「んー。『おもしろい』て印貴が直接言ってたわけじゃないけど。あの子の話聞いてればね、おもしろい子なんだろうな、てのは分かるよ」


 それって……どういうことだ? 恐ろしいことに、俺は瀬良さんの前でおもしろいことをした覚えが無い。それなのに、蘭香さんはクスクスと思い出し笑いのようなものまで始めた。そんなにおもしろいの? どんな話されたんだろう、と不安になってきた。


「うん」と、しばらく間をおいて、蘭香さんはどこか安堵したように微笑んだ。「安心したよ」

「はい? 安心?」

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