第119話 印貴は嫉妬なんてしないだろ

「印貴ちゃんはどう言ってたの? 嫌がってたんじゃない?」

「困ってた……というか、困惑してたな。なんで、お客さんにひどいこと言わないといけないんだろう、て」

「でしょうね」と万里は呆れ気味に鼻で笑う。「印貴ちゃん、アケミ役のときは演技も上手だったけど……蔑む役なんて、フリでもできないんじゃない? 絶対、経験ないでしょ」

「そうなんだよな。――だから、練習したい、て言われて、喜んで付き合ったよ」

「喜んでんじゃん!」


 あ、しまった――と、慌てて俺は振り返り、「違うぞ!」とぴしっと手を挙げた。


「別に蔑まれて喜んでたわけじゃないからな!? 無理やり言わされてる感じがたまらなかっただけで……!」

「なんのフォローをしようとしてんのよ、それは!? 結局、変態じゃん!」


 嫌悪感もあらわに顔をしかめ、まさに蔑むような眼差しで睨みつけてくる万里。もともと、冷たい印象の顔立ちもあって、ばっちりと様になっている。万里なら練習なしでも完璧にこなせそうだな、サド喫茶……。

 口を滑らせるどころか、聞かれてもない余罪まで自白してしまった気分で、もう釈明のしようもなく。ぐうの音も出ずに固まる俺をしばらく睨んで、万里は頭を抱えてため息ついた。


「とりあえず、需要があるのはようく分かったわ。通りで、印貴ちゃん目当ての客が映画見に来ないわけね。本人が自分のクラスでそんな体張ってちゃ、映画ウチに勝ち目ないわ……。今ごろ、印貴ちゃん、きっと忙しく罵ってることでしょうね」

「あんま、考えたくないけどな……」


 無意識にぽつりと漏らしたその一言に、万里が「へえ」と興味深げにこちらを見てきた。


「ちゃんと嫉妬するんだ、あんたも……」

「嫉妬……?」


 サド喫茶に……か? いやいや……さすがにそれはない。サド喫茶なんて、ノリの産物。おもしろければ大成功、な若気の至りの集大成。趣旨はどうあれ、良くも悪くも所詮は健全な文化祭の出し物だ。くらいで、いちいちムキになってたら印貴も息苦しいだろう。


「そういうんじゃなくて」と手を横に振り、俺は微苦笑を浮かべた。「ただ、俺以外の男を蔑んで欲しくないっていうか……恥ずかしそうにしたり、戸惑ったり、躊躇うように笑ったり――そういう姿を、他の奴に見せて欲しくないってだけで……」

「お手本のような嫉妬じゃない」


 ええ!? とギョッとして硬直した。

 嫉妬なの? これが……? 今朝から胸がモヤモヤするこれは、胃もたれではなく……!?

 なんてことだ。印貴は戸惑いながらも練習までして、この日のため、頑張ってきたというのに……俺はそれを快く思っていなかったということか? 練習に付き合っておきながら、心のうちではそんな負の感情を抱いていたなんて……印貴に合わせる顔が――。


「何を一丁前の武闘家みたいに悔しい顔してんの。またアホなこと考えてるでしょ」


 罪悪感に引っ張られるようにして俯いていた俺の頭を、ペシンと小気味良い音を鳴らして、万里がひっぱたいた。

 一丁前の武闘家みたいな悔しい顔って、どんな顔……!? って、いや、そんなことより。「何するんだ!?」と文句を言おうと振り返って、


「いいじゃん、嫉妬くらい。ていうか、普通じゃない? だって、好きなんだもん。仕方ないじゃん」


 叩いた手を腰にあてがい、クスリと呆れたように浮かべた万里の笑みには、どこか哀愁のようなものが漂っていて、怯んでしまった。


「印貴ちゃんだって……今のあんたと同じ立場なら嫉妬してると思うよ」


 俺と同じ立場なら……? ぼそっと万里が覇気もなく零した言葉に、思わず、想像してしまって「そうか?」と冷笑が溢れた。


「印貴は嫉妬なんてしないだろ。俺がメイド服着て、客を罵ってても……」

「そういう意味じゃないわよ! ただの危ない人じゃん、それ」

「お前が言ったんだろ!? 俺と同じ立場ならって……」

「言葉通りに取るな! それは、だから……例えば、あんたが他の女の子と仲良くしてたらって意味で――」


 カッと目を釣り上げ、いつもみたいに威勢良くがなり立ててきたかと思えば、急に万里ははたりと言葉を切った。

 一瞬にして、声は搔き消え、その表情はたちまち曇る。

 ふっと冷たい風が通り過ぎていったかのような、うすら寒い不気味さを覚えた。

 ここだけ、時が止まってしまったかのような――そんな錯覚さえした。視界の端に見える人の波は絶え間なく流れ続けているのに。万里だけは凍りついたように身動き一つ取らずにそこで固まってしまったのだ。

 いつも涼しげに小憎たらしい笑みを浮かべていたその顔には苦悩の色が浮かんで、その張り詰めた表情は今にも泣き出すんじゃないか、とさえ思えて……ぞっと胸騒ぎがした。


「どうか……したか?」


 さすがに心配になって傍に寄ろうとしたとき、


「圭くーん! 見ーつけた」


 がばっと後ろから飛びかかるような勢いで抱きつかれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る