第32話 永作くんに会いたくて、来たわけじゃないから
言いたいこと……てなんだ?
確かに、瀬良さんと話したい。何を話したいっていうわけじゃなくて、漠然と……瀬良さんに会いたい。また、瀬良さんの隣で瀬良さんの笑顔を見たい。ほんのひとときでもいいから、瀬良さんと一緒にいたい。瀬良さんと会えないだけで、物足りなくて、何も手につかなくなる。
いつのまにか俺は、瀬良さんのいない日々に耐えられなくなっていたんだ。瀬良さんに会えなくなって、それに気づいた。
でも、それをなんて伝えればいい? とりあえず、謝ったほうがいいんだろうか。泣かしてしまったことを謝って……で、どうすればいいんだ? いや、その前に、なぜ泣かしてしまったのかを聞くべきか? なんで泣いたんですか――って、それもどうなんだ!?
「おい、こら」
げし、と尻を蹴られて、俺は前につんのめった。
「何するんだ!?」と振り返ると、ミニスカートにも限らず、上履きの底を俺に見せつけるかのように堂々と片足をあげ、万里が突っ立っていた。
「あんたがぼうっとアホ面さらして、とろっとろ歩いてるからでしょ! 鬱陶しいなぁ」
「さっきは、眉間の皺が似合わないとか、アホが取り柄とか言ってきだろうが!? 俺はどんな顔してればいいんだ!?」
「うだうだうだうだ、ガラにもなく考え込むな、てことよ!」苛立ちもあらわに、万里はため息ついて俺の横を通り過ぎていった。「男らしく、そろそろ覚悟を決めな」
ずいっと俺の前に出て、万里は扉に手をかけた。――映研の部室の扉に。
「うわあああ」と取り乱す俺に構わず、がらっと万里は容赦なく扉を開けた。
時代遅れのブラウン管のテレビ。壁に所狭しと貼られた、『名作』と呼ばれる映画のポスターの数々。過去の先輩たちがせっせと部費で集めてきたのだろう、遺産と呼ぶにふさわしいVHSやDVDが並ぶ棚。見慣れた――いや、もう見飽きたその景色の中に、たった一人、すらっと背筋を伸ばして姿勢良くパイプ椅子に座る少女の姿が。長机に台本を開き、じっとそれを見つめる横顔の、なんと麗しいこと。哀愁漂うそのさまは、繊細で脆く、柔な美しさに満ちている。ただ台本を読んでいるだけなのに、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのように絵になる。彼女が居る――それだけで、その場が彼女の魅力に彩られる。
ほんの一瞬が悠久にさえ感じるほどに、ぼうっと見惚れてしまう。
そうだ。初めて会ったときだってそうだった。
よく通りがかる、なんでもない公園なのに。ふと、立ち止まってしまったのは、彼女がいたからだ。公園で佇む彼女を、天使のようだ、と思って見入ってしまった。あのときから、俺の日常は変わったんだ。気づけば、彼女のことばかり考えるようになって、億劫なだけだった朝は彼女に会えるだけで至福のひとときになった。
いつのまにか……瀬良さんがいることが当たり前になって、俺の日常は瀬良さんに染まっていたんだ。
久々に会えただけで、どっと波のように感情が押し寄せてくる。ただ、嬉しいという一言では言い表せない、入り乱れた感情が……。この気持ちを、どう伝えたらいいんだろう。ただ、謝ればいいだけじゃ済まないような気がする。
考えがまとまらず、黙りこくる俺に、ちらりちらりと万里が刺すような視線を送ってくる。
分かってる。何か言わねば。
そうこうしているうちに、瀬良さんは俺たちに気づいて、台本をぱたんと閉じるとおもむろに立ち上がった。そうして向かい合い、何もかも見透かしているかのような聡明そうな眼差しでじっと見つめられ、焦りに焦った俺は、
「久しぶり!」と片手を挙げていた。
視界の端で、ドン引きする万里の顔が見える。せめて、つっこんでくれりゃあいいものを。ドン引きって……!
しかし、言ってしまったものはしかたない。挙げてしまった手もどうしようもない。センスのない銅像のように固まる俺に、瀬良さんは表情を険しくして、
「別に……永作くんに会いたくて、来たわけじゃないから」
その瞬間、ふさぎこんでいた心にぱあった光が差し込んできたようだった。
「もちろんです!」と、今や懐かしい合いの手のような文句が口から条件反射のように飛び出していた。
「万里ちゃんと約束したから。映画を手伝いたくて来ただけ」
「そうでしょうとも!」
「そっか」と瀬良さんは、つと視線を逸らした。「分かってるか、そんなこと」
「は……い……?」
よかった、前と何も変わってない――そう安堵しかけて、すぐに違和感を覚えた。
あれ。こんな感じだったっけ? 瀬良さんとのやり取りって、こんな冷え冷えとしてたっけ。何か……違くない?
ざわっと嫌な胸騒ぎに襲われた。
「あの、瀬良さん――!」
たまらず、言いかけた俺の声を、
「お、ちゃんと来てんな。ナガサック」
そんな緊張感のない間延びした声が遮った。
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