第92話 それじゃん
「圭のバカ」ぷうっと唇を尖らせて、ポニーテールの髪を帽子に押し込めた花音がぶつくさ言った。「あのお店、しばらく行けないじゃん」
「すみません……」
少し距離を開けて並んで歩いて、俺たちはモールの中をあてもなくさまよっていた。
当然と言えば当然の結果だったが――わいわいと騒ぐ俺たちのもとに、店員が蝋で固めたような笑みを顔に貼り付けやってきて、「
花音はごまかすようにその辺にあった帽子――キャスケットというらしい――を買って、俺たちはそそくさと店を出て……今に至る。
ちらりと横目で花音の様子を見れば、歩きながらもきょろきょろとあたりを見回し、挙動不審。屋内だというのに帽子を目元まで深くかぶって、怪しいことこの上ない。コソコソとしているようで、ミニスカートから伸びた白く長い足は周りの視線をこれでもかと集めまくり。子供連れのお父さんまで「仕方ないんだ」「仕方ないんだ」と言いたげにちらちら振り返っている。
「なんか……変装でもしているみたいですよね、その帽子。髪まで隠して……」
さりげなく、そう聞いてみると、
「変装してるの!」
帽子のツバの下で大きな目を見開き、花音は押し殺した声でぴしゃりと言ってきた。
「学校の人に見られたら、また変な噂立っちゃうでしょ。火に水を注ぐようなもんじゃん」
消火活動……?
「もし、知っている人に会ったら……そうね、私は『妹』ってことで」
くいっと曲げた腰に手を当てがって、得意げに花音は言った。
自信満々だけども……。
「でも、俺、ひとりっ子なんですけど」
「細かいことは気にしないの!」
ええ……細かいか? また違った噂が立ってしまいそうなんだが。俺ではなく、うちの父親にあらぬ疑いがかけられてしまいそうな……。
「そんなことより、そろそろ話してよ」そっと俺に寄り添うように近寄って、ぼそっと花音は聞いてきた。「何があったの? 瀬良さんと」
ハッとして振り返ると、花音は困ったような苦笑を浮かべて俺を見上げていた。
「相談乗ってあげる。――私、圭の『運命の人』だもんね」
* * *
花音が咥えるストローの中で、数珠つなぎになったタピオカが『上に参ります』と言わんばかりに次々と花音の口の中に吸い込まれていく。
ちょうど、三時のおやつの頃合いで、クレープの甘い香りに誘われたかのように人が集まり始めたフードコートで、俺と花音は窓際の端っこの席で向かい合って座っていた。
そういえば、ドーナツ屋でもこんな感じだったな――なんて懐かしくも情けなく思いながら、俺は懺悔でもするように昨日の出来事を語った。
話し終わる頃には、両手で握り締めていた水のペットボトルはすっかり温くなり、中の水もなくなっていた。
花音はといえば、俺の話を聞き終えても、何を考えているのか、ミルクティーの底に沈むタピオカを見つめて黙りこむのみ。あまりに真剣な顔で花音がタピオカを見つめているものだから……タピオカ占いでも流行りだしているんだろうか、なんて思い始めたときだった。
「なるほどねー」と花音がぼんやりと口を開いた。「瀬良さんが『恋人らしいことしたい』って言って、部屋まで来て……スマホで圭の写真を撮って、そのまま怒って帰っちゃった、と」
花音は頬杖つくと、タピオカよりもずっと黒々と輝く瞳を俺に向けてきた。
「それでメールで謝ったけど、既読もつかず、身を案じていたら、家の前で部活の先輩が瀬良さんと電話で話しているのを偶然聞いちゃって……しかも、会う約束までしていて、大パニック――で、今に至る、てわけね」
「その通りです」
すばらしいあらすじでした、と頭を下げたくなってしまった。
花音は躊躇うように逡巡してから、
「それってさあ……」ちらりと辺りを伺い、おもむろにテーブルに身を乗り出した。「瀬良さん、やりたかったんじゃないの?」
「は?」
やりたい……?
思わぬ言葉に、ぎしっと体が全身筋肉痛にあったかのようにこわばった。
「何を……言ってるんでしょうか? やりたいって……何を……?」
「何って、決まってるでしょ」テーブルに胸を乗せるようにして身を屈め、花音は頬を染めて小声で言う。「恋人らしいことって言ったらさ……ほら、裸で激しくぶつかり合う――」
「相撲ですね!?」
「なんでよ!?」とすかさず、花音は声を荒らげた。「さすがに、わざとでしょ! そんなわけないじゃん!」
「いや、だって……瀬良さんが……そんな……!」
「てか、瀬良さんが相撲を取りに来るほうが驚くでしょ!」
確かに。ぐうの音も出ない、とはこのことか。
瀬良さんが『一緒にぶつかり稽古しない?』とか言って突然現れたら……いや、それはそれでときめくかもしないけども。『しましょう!』と俺は大喜びで四股を踏み出すかもしれない。
「まあ、やりたい、て言うのは言い過ぎたかもしれないけど」花音はため息ついて、椅子に座り直した。「抱きしめるくらいはしてほしかったんじゃない? 俺は印貴と片時も離れたくないんだ、行くなー! て後ろから抱きついちゃったりしてさ。充電だ、て耳元で囁かれちゃったりしたら、もうたまらないよね〜!」
「二週間会えなくても平気だ、て言っちゃいました……」
子供みたいに無邪気に声を弾ませ、きゃっきゃと楽しそうに語っていた花音の顔が、一瞬にして凍りついた。とてつもなく冷たい眼差しで俺を見つめて、「それじゃん」と聞いたことないほどの低い声でつぶやいた。
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