第2話 いい意味で!
初めて、彼女に出会ったのは一ヶ月前。高二の新学期が始まって間もない頃。辺りは桜の花が散り始めていた。桃色の花びらが雪のように舞い落ちる中、近所の小さな公園の前で彼女はぼうっと立っていた。
公園の真ん中に佇む大きな桜の木。それを見上げる彼女の横顔は美しくも哀愁を帯び、ノースリーブのワンピースから伸びる手足はほっそりとして華奢で、今にも花びらと一緒にどこかへ飛んでいってしまうのではないかと思えた。
その様はあまりにも絵になっていて。幻想的で。
見入ってしまった。天使だろうか、とさえ思った。
やがて彼女はそんな俺の視線に気付いたようで、こちらに振り返ってにこりと微笑んだ。
「迷子なんです」
そう頬を赤らめて言った彼女に俺は心臓を鷲掴みにされた気がした。
「ソーナンですカ。そのお歳で」
あまりにも緊張して、カタコトになりながらそんなことしか言えなかった。
そのまま「最近は景気がいいですね」なんて大して盛り上がらない話題を振りつつ、俺は彼女を駅まで案内した。その間も、彼女はコロコロと鈴を鳴らすように笑いながら、律儀に相槌打って俺のつまらない話に付き合ってくれた。
何を話したのか、もはや覚えていない。沈黙が恐ろしくて、とにかく思いつくもの全てを口にしていた気がする。思い出したくもない。
別れ際、彼女はぺこりとお辞儀し、それから、
「私、セラインキです」
そう名乗った。
セラインキ――慎ましやかに、それでいて愛くるしく微笑む彼女に見とれながら、まるでどこかの神話に出てくる女神のような名前だなあと思って、
「まるでどこかの神話に出てくる女神のような名前だなあ」
と俺はつぶやいた。
大きな目をぱちくりと瞬かせ、「え」ときょとんとする彼女に、俺はハッとした。己の失態に気付くやいなや、「足元にお気をつけて!」と裏返った声で何の役にも立たない言葉を残して逃げた。
ものすごく後悔した。恥ずかしさに悶え、もうちょっとこううまいことは言えなかったものか、と猛省した末、何も思いつかずに自己嫌悪に陥って一夜を明かし、遅刻ギリギリで家を飛び出した俺の目の前に、彼女は立っていた。見慣れた真っ白なセーラー服を着て。
「あれ」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。実は寝落ちして、まだ夢の中なのかと思った。
彼女もしばらくぽかんとしてから、「お隣さんだったんですね」とふわりと笑った。
「こんなことあるんですね。驚きました」
そういえば、一昨日、誰か引っ越してきて、挨拶に来たとか親が言ってたな、と思い出しながら、「はあ」と俺はぼんやり生返事しかできなかった。
運命とか……そんな言葉が脳裏をよぎらなかったと言えば嘘になる。
あまりにもぼうっとしていたからだろう。「大丈夫ですか?」と彼女は怪訝そうに俺を見上げてきた。
「体調、悪そうですけど」
輝く水面のように澄んだ瞳にじっと見つめられ、俺の鼓動は一気にスピードを増し、全身がかあっと熱くなった。この高ぶりをどうしたらいいかも分からず、焦りに焦った俺は、とにかくごまかさなければ、と必死に口を動かした。
「いえ、全然! 大丈夫です! ただの寝不足なんで!」
「ああ、寝不足」
「そうなんすよ、ずっと、君のこと考えてたら寝れなくて!」
頰を赤らめ、きょとんとする彼女の表情にものすごく見覚えがあった。前の日に見たそれと全く同じだった。
あー! と今にも、叫びそうだった。めちゃくちゃはっきり、俺、何言っちゃってんの!?
俺は慌てて、
「い……いい意味で!」
と付け加えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます