中編 すげぇ溜まってる

 体育館を出て、校舎をぐるりと回るようにして校庭にたどり着き、その姿を見つけた。

 野球の練習着を着た小柄な背中。その隣で、すらりと背の高い人影が、校舎の壁にもたれかかるようにして立っている。その姿を見つけただけで、心が安らいで、ほっと安堵のため息のようなものが漏れた――。

 ワイシャツに黒のスラックスの、夏服姿がもう懐かしいくらい。夏休みに入ってから、制服姿も見てなかったから。

 だらしなく開けた襟元を暑そうにぱたぱたと扇いで、気怠そうにギラギラと照らす太陽をふり仰ぐその横顔に、胸がぐっと締め付けられる。なんだろう、見てるだけでそわそわしてくる。前髪、少し伸びたかな。背は……変わらないよね。大人っぽく見えるのは……久しぶりに会うからなのかな。

 出会ったころは、まだ幼い印象もあったけど……この一年で彼は顔立ちさえ変わっていくように、面持ちは凛々しくなって、佇まいは落ち着いて、なんだか頼もしくなった。男らしくなった――て言うのかな。傍にいるだけで、今でもドキドキさせられる。見つめられるだけで、身体が熱くなってきて、落ち着かなくなってしまって。そんな自分が、ちょっと情けなくも感じてしまうくらいに……。恋い焦がれる、て言葉の意味を彼に会うたび、身を持って知るんだ。

 早く逢いたくてたまらなかった。たった一週間離れてただけなのに。我慢できなくて、差し入れなんて見え透いた口実つくって撮影現場にまで押しかけてしまうくらい。その気遣うような声を直に聞きたくて、優しげに私を見つめるその眼差しが恋しくて――我慢できずに、圭くん、て呼びかけようとした、そのときだった。


「全然、進んでねぇの!?」


 鼓膜に刺さるような声が響き渡って、私は思わず、校舎の陰に引っ込んだ。

 ――て、なんで隠れちゃったんだろ。何もやましいことはないはずなのに……と思いつつ、無視はできない胸騒ぎを覚えていた。まるでデジャブみたいな……。

 ちらりと校舎の角から顔を出して覗けば、野球帽をうちわのようにして扇ぐ森宮くんの坊主頭がきらりと光って見えた。


「まさか、まだ手も出してないとは。てっきり、もうとっくにやってんのかと……。お前、大丈夫なのか?」


 心配しているというよりは呆れた声色で、森宮くんは圭くんに言った。

 ドクンドクンと心臓が騒がしく鳴り響いているのを感じる。嫌な予感、なんてものじゃない。デジャブのようだった胸騒ぎは確信に変わっていた。

 間違いない。同じ話だ。さっき、万里ちゃんと花音に私が聞かれたことと同じ――。

 どうしよう、と私は辺りを見渡した。このまま、盗み聞きなんて良くないよね。とりあえず、ここを離れないと……と足を踏み出したとき、「大丈夫じゃねぇよ」という苦しげな彼の声がして、私はぴたりと固まってしまった。


「すげぇ溜まってる」


 溜まってる……? 思わぬ言葉にぎょっとしてしまった。

 ストレス? それとも――。

 以前、お姉ちゃんから教えてもらった気がする。その言葉の意味は……と思い出すだけで、かあっと顔が赤らむのを感じた。


「早くやればいいのに」

「簡単に言うなよ。やろうとしても……何からどう始めたらいいかも分かんなくて手が止まるんだよ」

「救いようのないバカだな。俺じゃ荷が重いわ。あ……てか、今日だよな? セラちゃん、合宿から帰ってくんの。セラちゃんにもちゃんと言えよ」

「印貴に言えるわけねぇだろ? 気遣わせたくないし……。せっかく会えるのに、いきなりこんな話も嫌だろ」

「こんな話……てな、こういうことこそ、カノジョに話しといたほうがいいんじゃね? 俺たち、受験生なんだぞ。時間は限られてるんだ」

「だからこそ、だろ。印貴と過ごせる時間、大事にしたいんだ。こんな話して不安にさせて……会うの躊躇われるようになったら――」

「ああ、そっちが本音だな? 情けない奴め。いい気味だ。存分に悩め、バカめ」

「お前、ひどい奴だな、ほんと」

「ひどいのはお前だろ。セラちゃんと付き合ってること、ずっと隠しやがって」

「隠してなかったからな!? お前がずっと信じなかっただけだろ!」


 気づけば、私はしゃがみこんで聞き入っていた。

 そんなふうに、ずっと悩んでたんだ――。ここ最近、一緒にいてもどこか上の空に感じていたのは、やっぱり私の勘違いじゃなくて……。

 そっか、とため息が溢れていた。万里ちゃんや花音の言う通り。圭くん……我慢してたんだ。キスだけじゃ物足りないって――もっと触れてみたい、て思ってたの……私だけじゃなかったんだ。

 鳩尾の奥に熱がこもっていくのを感じる。でも……。

 どうしよう。何からどう始めたらいいかも分からないって……私も同じだよ、圭くん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る