番外編【初めての……】

前編 二人はどこまで進んだの?

「で? 付き合って一年経つけど……二人はどこまで進んだの?」

「ちょっと、花音。そんなこといきなり聞くの!?」

「いいじゃん、万里だって気になってるくせに」

「はあ? 気になってないし。まあ……心配はしてるかも、だけど」


 夏休みも半月が経ち、映研は文化祭用のショートフィルムの撮影に入っていた。今年は撮影は学校でやると聞き、差し入れを持って体育館までやってきた……だけだったんだけど。

 保冷バッグから出した飲み物を皆に配り終えた途端、花音と万里ちゃんに囲まれて、質問責めにあってしまった。


「進んだって……」と私は視線だけ逃げるように体育館の入り口を眺めて、曖昧に返事をした。「特に、何も……」

「圭はちょうど森宮に呼び出されて出て行ったから、すぐには戻ってこないわよ」

「え……」


 考えを見透かしたような花音の言葉に、私はぎくりとして振り返った。


「残念だったわね。王子様は助けに来ないぞ!」ふふんと花音は怪しく笑んで、「観念して吐きなさい!」


 私をビシッと指差し、声高らかにそう言った。

 どうしよう、困ったな。すごい期待されちゃってるみたいだけど……。


「そう言われても……本当に……特に、何も」

「そんなこと言っちゃう奴は、身体で思い出させてやろう」

「へ?」


 ほい、と持っていたペットボトルを放り投げるようにして万里ちゃんに渡し、花音はいきなり私の脇腹をくすぐってきた。


「ひやっ!? ん……ちょっと、や……やめて、花音」

「ほらほら、こんなふうに触られたんだろ〜」

「おっさんか」と呆れ返った万里ちゃんの声がしたけど、止めてくれる様子はなく。


 コショコショと花音の指が這い回るように脇腹を弄るのが、薄手のワンピースの生地を通して肌に直に伝わってくるよう。ゾクゾクと体が痺れるような刺激に身をよじり、たまらず、


「んん……待って、花音! 言うから……ちゃんと!」


 降参するようにそう言うと、ぴたりと花音の手が止まった。

 助かった、と乱れた息を整えていると、


「で?」と花音が腰に手をあてがい、勝ち誇ったように微笑んだ。「さあさあ、事細かに話してごらん?」

「あんたのノリはいったい、なんなの?」


 隣でげんなりとしながら万里ちゃんがそう言うと、花音は「うるさいなぁ」といじけた子供みたいにむっとしてそっぽを向いてしまった。

 今年は――どうやら津賀先輩に勧められたらしく――花音が助っ人としてヒロイン役をることになり、打ち合わせや練習で万里ちゃんと顔を合わせるようになって、たしか一ヶ月……くらいなのかな。二人とも、すっかり仲良くなってる――と、その様子を微笑ましく思いつつ……私はすうっと息を吸った。

 言うって言っちゃったんだし。ちゃんと言わなきゃ。またくすぐられちゃう……。

 覚悟を決めて、グッと拳を握りしめる。

 何か進んだことがあるとすれば――。


「私からも、キス……できるようになりました」


 言った途端、あまりの恥ずかしさにかあっと顔が熱くなって、ただでさえ蒸し暑い体育館の中で、今にも体が蕩けてしまいそうだった。

 二人の顔を直視できなくて……せめて、少しでも顔を冷やそうとぺたりと両頬に手を当て、私は身体ごとそっぽを向いた。

 真夏の日差しが差し込んで、灼熱――とは言わないまでも、立っているだけでも汗が滲んでくる蒸し暑い体育館の中、校庭から流れ込んでくる運動部の声が響き渡り、端っこに座っている映研の新入部員らしき一年生の三人組の話し声だけがかすかに聞こえてきていた。

 そんな静けさが漂う体育館に、


「進んだの、それだけ!?」


 突然、そんな甲高い声が響き渡った。

 え、と振り返れば、


「キスの先……何もないってこと!? 何も……してないってこと!?」

「一年よね? 一年も付き合って、隣に住んでて、何もないの!? あのアホ、何を目指してんの!? 出家でもすんの!?」


 あまりに血相変えて二人が詰め寄ってくるから、不安になって、


「変……かな?」


 と訊ねていた。

 二人はあんぐり口を開けて固まって、示し合わせたかのように顔を見合わせた。それから、何やら二人の間で無言のやりとりがあったのか、しばらく間を開け、


「あー……ごめん、印貴ちゃん」と最初に万里ちゃんがこちらに振り返って、気遣うように微笑んだ。「変じゃないよ、全然。いたって健全。二人の……ていうか、印貴ちゃんのペースが大事だよ」

「そうそう。ただ、ちょっとびっくりした、ていうか。よく、圭は一年も手を出さずにいられるなーて……もはや、尊敬? 相当、我慢してるよね」

「花音!」きっと花音を睨みつけ、万里ちゃんは鋭い声を響かせた。「そういうことは言わなくていいの! 印貴ちゃんの気持ちが一番大事なんだから。印貴ちゃんのためなら、あのアホは喜んで我慢するわよ。それでいいの」

「我慢……」


 思わず、そうつぶやいていた。

 すると、うわあ、と万里ちゃんは慌てた様子で両手を左右に振った。


「印貴ちゃん、ほんと気にしないで! ごめんね、余計なこと聞いて。印貴ちゃんは意識しないほうがいい! ――ったく! 花音が調子乗るからよ!?」

「万里も止めなかったくせに。てか、一年だよ? まだ手も出してないとは思わないじゃん」

「花音の恋愛観はそうなのかもしれないけど……そういうのは、人それぞれなの! 早いも遅いもないんだから」

「それ、どう言う意味!? 私の恋愛観が爛れてるとでも言うわけ!?」

「そこまで言ってないわよ!」


 花音も万里ちゃんも私のために討論してくれてるようだったけど、その言葉が全然頭に入ってこなかった。

 頭を埋め尽くしていたのは、我慢――て言葉で……。

 ぞわっと胸騒ぎのようなものがした。

 そういえば、夏休み入ってから、圭くん、デート中も上の空なときがあって……。様子が変だな、とは思ってたけど――もしかして、私……我慢させてる?

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