第126話 エピローグ
「あ」と、そこで俺は重大なことに気づいて、印貴をまじまじと見てしまった。
そういえば、印貴、セーラー服なんだな。サド喫茶の印象が強すぎて、メイド服で来るものと勝手に
罵る練習には付き合ったけど、メイド服姿は見れていなかったから……。
「ん? どうかした、圭くん? ジロジロ見て」
「いや……メイド服じゃないんだ、て思って」
――って、思わず、馬鹿正直に言ってしまった!
パッチリとした目を大きく見開き、明らかに表情を強張らせる印貴に「違うぞ!?」と慌てて俺は右手を挙げた。
「どんな格好でも、印貴に会えたらそれだけで嬉しいんだが、メイド服姿なんて二度と見れないかもしれないから見ておきたかったっていうか……俺も見たことない印貴の姿を他の奴に見られたと思うと、悔しいっていうか――」
もう黙れ、俺!
あけっぴろげに答えすぎだー! そこまで言わんでよかっただろうに。メイド服姿、見てみたかったな――なんて言って、はは、て冗談めかして笑っとけばよかっただけなのに。何をメイド服姿に熱い情熱を語ってるんだ!?
恥ずかしいっていうか……格好悪っ。
うわあっと喉の奥から焼けるような熱がこみ上げてきて、たまらず、印貴の視線を避けるように俺はそっぽを向いた。
「と……とりあえず、行こっか。休憩終わったら、また戻らなきゃいけないんだろ? どこか行きたいとこある?」
そう言ってごまかして、そそくさと歩き出した俺の手に、するりと冷たいものが滑り込んできた。指の間に滑らかな肌が擦れる感触がして、ぞくりと背筋が震える。
指を絡めるようにしてしっかりと繋いだその手は華奢で小さくて、どれほど強く握り返していいのか、と不安になる。何度、繋いでも――。
「衣装、もらえるから」と隣で恥ずかしそうに囁く声がした。「今度、二人きりの時に……着るね」
思いっきり、心臓に拳を叩き込まれたようだった。狂おしいほどの愛おしさに息が詰まる。
今、印貴の顔を見たら、何かが爆発してしまいそうで……何かしでかしてしまいそうで……。「あ……あざす」とアホの真骨頂のような返事をして、兵隊のごとく、まっすぐ前を見て進み続けた。
印貴は印貴で照れているようで、「あ、そうだ」と話題を変える声は不自然に上擦っていた。
「上映会……どう? お客さん、たくさん来てる?」
「たくさん――とは言えないけど、結構来たかな。去年よりは多いと思う」
「そっか。よかった。ごめんね、何も手伝えなくて……。クラスで宣伝しようとしたら、怒られちゃって。『現実に戻すな』って……よく分からないけど」
「ちょっと分かるな。『おととい、来やがれ』とか言うんだろ? それで、『映画見に来てね』って言ったら世界観台無し」
「確かに、そうだね。気をつけなきゃ」
「うまく罵れてる?」
「うん、がんばってるよ。練習のおかげ。ありがと」
「あんなんでよければ、いつでも……って、いや、決して、罵られたいわけじゃなくてね!?」
「分かってるよ。『貶し合う関係なんて良いもんじゃない』って、圭くん、前にも言ってたもんね」
「そんなこと……言ってたっけ?」
「言ってたよ。初めて、私が万里ちゃんに会ったとき。圭くんと万里ちゃんって仲良いんだね、て言ったら……」
「あー……確かにそんなことを言った覚えがあるような……。よく覚えてるな?」
「えっと……それは、ね? ――あ、そういえば、万里ちゃんは? 上映会の係で、ずっと一緒だったんだよね?」
「さっきまでな。シフト終わって先輩たちと代わった途端、どっか消えた。腹でも空いてたんじゃないか?」
そこまで言ってハッと思い出し、俺は足を止めて振り返る。
「そういえば、どこ行く? 気になるとこある?」
つい、話に夢中でうっかりしていた。このままあてもなく歩き続けていたら、あっという間に印貴の休憩時間が終わってしまう。
「印貴の行きたいとこならどこでもいいよ」
そう言うと、印貴は嬉しそうに微笑んだ。知性溢れる顔立ちが、たちまち無邪気な子供みたいに変わる。悪戯でも企んでいるかのような、そんな笑みを惜しみなく振りまいて、
「イカ焼き、見つけたの」
「へ……」
イカ焼き?
「縁日やってるクラスがあるって聞いて、もしかして……と思って、クラスの友達と覗きに行ったら、やっぱりイカ焼きもあったんだ」
なんで、イカ焼き――なんて聞く必要もない。
星空をぎゅっと詰め込んだようなキラキラと輝く瞳で、期待いっぱいに俺をじっと見つめる印貴を見れば、一目瞭然だ。
俺のため……だ。撮影で行った夏祭りで、俺がイカ焼きが好きだ、て万里に聞いたから……。
あまりに予期していなかったことに、俺は何の反応もできずに固まってしまった。だって、まさか……イカ焼きを探してくれてるなんて思いもしなかったから。俺さえ、文化祭でイカ焼きなんて頭の片隅にも浮かばなかったのに。あのとき――あの夏の日まで、印貴はイカ焼きなんて食べたこともなかったのに。
呆然とする俺に何か悟ったのか、ぎゅっと強く手を握り直し、印貴はさっきとは打って変わって大人びた微笑を浮かべた。
「文化祭始まって……一番最初に、イカ焼きのこと探しちゃった。それがね――嬉しかったんだ」
忙しく行き交う人混みの中、慌ただしい喧騒にかき消されそうな囁き声だった。それでも、その慈愛に満ちた声は、胸の奥にまで染み入るようにはっきりと聞こえてきた。
別に、イカ焼きがそこまで好きだというわけではない。昔、よく祭りで食べていたというだけで、万里の勘違いだ。でも……そんなことはどうでもよくて……。そこまで、印貴が俺を想ってくれていることが嬉しくて――。
「大好きだ……」
込み上げる気持ちが、そう口から溢れていた。
すると、印貴は小首を傾げて俺の顔を覗き込み、
「ね。イカ焼き、大好きなんだよね」
「いや……イカ焼きじゃなくて!」
「いいの、圭くん。大丈夫!」急に真面目な顔をつくったかと思えば、印貴は不自然なほどはっきりとした口調でそう言った。「私、ちゃんと分かってるから」
全然、分かってないぞ!? ――って、ん……? なんだろう。そのセリフ、聞いたことあるような……?
ぽかんとしていると、印貴はふふっと面白がるように笑った。
「行こ。早くしないと、イカ焼き、売り切れちゃう!」
「いや、イカ焼きは売り切れるほどの人気はないと思うけども……」
印貴に手を引っ張られるようにして歩き出した、そのときだった。
「お、永作!」
背後から、そんな聞き慣れた掠れた声に呼び止められた。
この声は……と嫌な予感を覚えつつ振り返ると、
「映画見たぞ、ひでぇな!」
一休さんが絵本から飛び出してきたような、坊主頭の小柄な男が憎たらしい笑みを浮かべて立っていた。
さっきまでの幸せ浮かれ気分が一気に沈む。楽園のような花畑に、いきなり、学ラン坊主頭が「こいつを現実に戻してご覧にいれましょう」と縄を持って迎えにきたような……。
「森宮……」
落胆たっぷりに言うと、森宮は気にするどころか、勝ち誇ったようににんまりと笑んだ。
この学校で、こいつだけだろうな。あの映画を俺目当てで見た人間は……。
「森宮くん、見てくれたんだ」
「はい!」印貴に話しかけられるや、森宮は背筋をぴんと伸ばして、別人のようにきりっと表情を引き締めた。「セラちゃ……瀬良さんのお美しさだけ3Dのように画面から飛び出してくるようでした」
どんな褒め方だよ。「ありがとう」と礼を言う印貴も困惑気味だ。
印貴に会うといつもこれだ。呆れつつもツッコメないのは、類は友を言う――という諺が脳裏をよぎってしまうからに他ならない。印貴に話しかけられ、空回りする森宮の姿は、以前の自分を見ているようで……なんとも言えない歯痒さを覚える。
「それにしても……永作よ」と森宮は俺たちの繋いだ手をチラリと見て、情け深い僧侶のごとく慈しむような笑みを浮かべた。「まだ、付き合ってるフリしてんだな?」
「え……?」と驚く印貴の隣で、またか……と俺はげんなりとしていた。
「お前な、何回言えばいいんだよ? 本当に付き合ってるんだ、て」
「いいんだ、永作!」みなまで言うなとばかりのしたり顔で、森宮は俺を制すように手を挙げた。「何か嘘をつかなきゃいけない理由があるんだろ? 瀬良さんがお見合いさせられそうで、困ってるとか……良からぬ野郎に付き纏われてて、追い払おうとしてるとか」
「無ぇよ! そんな複雑な状況!」
「安心しろ。誰が何と言おうと俺だけはちゃんと分かってるぞ。お前と瀬良さんが付き合ってる、なんて噂、俺は絶対に信じないからな」
「いや、信じろよ! 噂じゃなくて、本当に……」
「何も言うな、永作! 俺の前では嘘はつかなくていいんだ。お前たちが本当は付き合ってないなんて俺は誰にも言わない。大丈夫だ。――俺を信じろ」
あーもう……どうしよう、こいつ。
言葉も出ずに渋い顔しかできなくなった俺に、森宮はなぜか満足げに親指立ててきた。何もグッドじゃないからな!?
「それじゃ、瀬良さん!」無駄にくりっと愛嬌ある目に使命感を燃え上がらせ、森宮は今にも鼻の下が伸びそうな赤らんだ顔を印貴に向けた。「俺にできることがあれば、いつでも言ってください」
「あ……ありがとう、森宮くん」
まあ、『ありがとう』って言うしかないよな。
困ったような笑みで手を振り森宮を見送る印貴を横目に、腹立たしさというか、もどかしさというか、やり切れない思いにかられる。
思わず、ため息交じりに「森宮のやつ……」と愚痴が溢れていた。
「どれだけ言っても、信じやしない。ああいう奴こそ、『あまのじゃく』って言うんだよな。困ったもんだよ」
な? ――と、同意を求めるように振り返って、俺はハッとした。
まるで待ち構えていたかのように、印貴はじいっと俺を見つめていた。無垢な輝きを放つ純真そうな瞳が、まるで未知のものでも見るように不思議そうに俺を映しこんでいる。熱い視線……というよりは、好奇な眼差しに近いそれに、観察されているような気分になって俺はたじろいだ。
たまらず、「どうかした?」と引きつり笑みで訊ねると、印貴は少し間を置いてから、「んーん」と首を横に振った。そして、
「ほんと……困っちゃうよね」
そう言って、彼女は隣でふわりと微笑んだ。
*お知らせ*
お読みいただき、ありがとうございました。
ここまでお読みくださった皆さま、そして、応援、応援コメント、レビュー等をくださった皆さま方に、この場を借りて御礼申し上げます。おかげさまで完結まで書き上げることができました。
本編はここで完結ですが、その後の二人の小話を『番外編』として更新する予定です。本編を補完するような内容ではないですが、一年後の二人も見守ってやろうかな、という方、引き続き、お読みいただければ嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます