第29話 付き合って……くれる?

「保健室で?」


 いろいろ話した気がするが、どの発言のことだろうか。敬語禁止のこと? それとも……俺のことを何やら心配してくれていた話か?

 ええと、と考えあぐねている間にも、瀬良さんは焦っているかのような早口で続けた。


「思わず、だったけど、あんな中途半端な言い方しちゃって。卑怯なことしちゃった、て後悔してたの。思わせぶりだったよね。あんな風に言われても、永作くん、困っちゃうよね」


 困る? 俺が? ちょっと待って。ほんと、何の話だ?

 見るからにあたふたとしているはずだが、瀬良さんはいつのまにか視線を落としてしまっていて、そんな俺の様子にも気付いていない。着ているロングTシャツの裾をぎゅっと掴んで、張り詰めた表情でじっと下を見ている。


「伝えるならちゃんと伝えなきゃ、て思って……お姉ちゃんにも相談して、一緒にメール考えてもらったりして……」


 ああ、そういえば、さっき、蘭香さんが瀬良さんのケータイをチェックして、メールがどうのと話していたっけ。それで、「本人に直接言ったら?」といきなり、俺の存在を瀬良さんに明かされたんだった。

 あれは……俺へのメールだったのか。


「でも、ダメだよね。メールで伝えるなんて。お姉ちゃんの言う通り、ちゃんと直接伝えなきゃ!」


 まるで独り言のような瀬良さんの決意表明に、俺の気持ちが焦る。

 待って、待って。なんの話か、俺、全然分かってないから!


「永作くん、私ね……」

「あの!」と、本題に入りそうな瀬良さんの気配を悟って、俺は慌てて遮った。「ごめん、何の話……なんでしょう?」

「何の話って……」


 見事に出鼻をくじいてしまった。顔を上げた瀬良さんはすっかり勢いをなくして、きょとんとしている。

 すみません!


「えっと……ほら……私、保健室で言ったでしょ? 好きだから……頑張る、て」


 しゅんと尻窄みに声をしぼませながら、瀬良さんはポツリと言った。

 眼鏡の奥で伏せた瞳が自信無さげに潤んでいた。一段と顔は赤らみ、髪をお団子にまとめてあらわになった耳まで真っ赤に染まっていくのが分かった。

 かすかに差し込む夕焼けの陽が、恥じらうように縮こまる瀬良さんの姿を暗がりの部屋の中に浮かび上がらせていた。その情景に、ぎゅうっと胸が締め付けられる。熱した鉄でも喉の奥につっかえているような。身体の芯から熱が込み上げてきて、息苦しくなってくるような。

 これはなんなんだ? やばい。やっぱり、何かおかしい。もしかして、俺……風呂でのぼせたのか!? 冷水ばっかかぶってたのに!?


「永作くん?」とふいに、瀬良さんが上目遣いで俺を見つめてきた。「聞いてる? あの……もしかして、覚えてない、とか?」

「え、いや! 覚えてる、覚えてる!」


 だめだ、だめだ。しっかりしろ。この瀬良さんの深刻な様子。間違い無く、これは重要な話なんだ。集中しなくては。

 好きだから、頑張る――だったよな。何の話だっけ。たしか、体育館に先に戻ってていいよ、て俺が言ったら、瀬良さんが、大丈夫だ、て……ああ、そうだ。バスケの話だっけ。バスケが好きだって分かったから頑張る、と。たしか、そういう話だったよな。


「大丈夫! ちゃんと覚えてるし、よく伝わったよ。瀬良さんの……情熱?」

「え!? 伝わってた……の? あんな言い方で?」

「見てたら分かるよ」


 体育館でバスケやってる瀬良さんはすごく楽しそうだったからな。

 瀬良さんは「ふぇええ」と気の抜けた声を漏らして、くたっと姿勢を崩した。


「バレバレ、だったんだ……」


 バレバレ、て。隠したかったんだろうか? 家の方針でバスケ禁止だったり? いまいち事情がつかめず、ポカンとしていると、


「あの……それで……返事は?」

「返事!?」

「付き合って……くれる?」


 今にも泣きそうな、消え入りそうな声だった。

 どうしよう。話が読めん。瀬良さんは俯いてしまって、表情が伺えないし。ことの重大さがいまいち、把握できていない。バスケだよね? バスケの話でいいんだよね? 付き合うって……瀬良さんのバスケに? 練習相手、てことか?


「いや……うーん」


 まさか、こんな展開になるとは。どうしたものか。

 俺はスポーツというものがあまり好きではない。球技全般、得意じゃないし、バスケなんて俺がやったら玉転がしだ。練習に付き合えるような腕前では全くない。よく分からないけど、こんなに思い悩んでるんだ。瀬良さんの様子からして、何か深い事情があるんだろう。生半可な気持ちで安請け合いなんてしちゃ、まずいよな。


「あの、ごめん。俺、実は……そういうの苦手でさ」

「え……」と顔を上げる瀬良さんの、なんと切なそうな顔!


 うわー、と罪悪感が波のように押し寄せてきた。


「いや、瀬良さんとやりたくない、てわけじゃなくて。ただ、俺は向いてない、ていうか。本気じゃなくて、遊びとかで付き合うくらいなら――!」


 情けないほどベラベラと必死に釈明していた俺だったが、ハッとして口を噤んだ。

 さっきまで、艶やかに色づいていた瀬良さんの顔が青白く変わっていた。表情は消え、見開いた瞳からポロリと何かがこぼれ落ちるのが見えた。

 え。泣いてる……?

 どうしたの、と俺が言うより先に、瀬良さんが掠れた声でつぶやいた。


「そんな人だとは思わなかった」

「へ……?」


 そんな人って……どんな人?

 状況が全く掴めないまま、それ以上、会話できる雰囲気ではなくなっていた。ようやく口を開いた瀬良さんは「もう帰ってもらっていい?」とだけ言って黙り込んでしまった。

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