第89話 似合いそうだよね
幸せ……とは、かくも短いものである。
あらわになった真っ白な太ももをまじまじと見つめて感慨にふけってしまった。ぴったりとしたデニム生地のタイトスカート。少しでもずれたら、見えてしまうんじゃないか、という期待と不安に胸が揺れ……。
「ね、どう?」
せかすような声に、俺ははっとして、
「あ、はい! とても、短い……じゃなくて、似合うと思います!」
「んー、そう?」
開いた試着室のカーテンの向こうで、花音はくるりと身を翻し、姿鏡に映る自分の後ろ姿を確認していた。
着てきたミニスカートもなかなか悩ましい丈だったが、今、試着しているタイトスカートもそれに負けないきわどさだ。それを着こなしてしまう花音のスタイルたるや。すらりと長い手足に、きゅっとひきしまった腰。腕にも脚にもほどよく筋肉がつき、花音の努力がうかがえる。後ろ姿だけでも絵になる。いやらしいというよりも、美しいというか……。
見とれていると、ばちりと鏡越しに花音と目が合った。意見が欲しい、と花音に頼まれてついてきたわけで、やましいことなど何もないのに。なぜかぎくりとしてしまった。無性に後ろめたい気分になって、俺は慌てて目をそらし、「あっちで待ってます」と試着室が並ぶエリアを出た。
店の中へ戻ると、眩しい照明に照らされて、色鮮やかな洋服が所狭しと並べられている。どれもこれも丈が短く、水着だろうか、と疑いたくなるようなものもある。派手というか、大胆というか……。そんな中で、大した個性もないよれたTシャツにジーンズ姿の俺は明らかに浮いている。ある意味、目立っている。場違い感、半端ない。
服を畳みつつ、こちらを見ている店員の、貼り付けたようなにこやかな笑顔が怖い。
その視線を避けるようにマネキンの影へと逃げ込み、あ――と俺は足を止めた。
目の前の壁に飾られていた真っ白なワンピースに、なぜか、目を引かれた。
他のとは違って、露出度は控えめで、丈も長め。地味、と言ってもいい。でも――真夏の浜辺に合いそうな洋服が並ぶ中、それだけは春の野によく映えるだろう、と思えて……見ていてホッと落ち着いた。
「そのワンピース、圭の好み?」
急にそんな声が背後からして、俺ははっとして振り返った。
すると、さっきのタイトスカートだろうか、ここのお店のロゴが入った紙袋を持って、花音が立っていた。どこか、元気のない笑みを浮かべて……。
「似合いそうだよね――瀬良さんに」
「へ……?」
なんで……いきなり瀬良さん? 確かに、似合いそうだけど……間違いなく、似合うだろうけど……。
「やっぱり、そうかー」そっと俺の隣に並ぶなり、花音はワンピースを見上げたまま呟くように言った。「私の勘違いだったのかも、とか期待してたりもしたんだけど……今日、会ってみて、ハッキリしちゃった」
「勘違い? 何の話……ですか?」
「経験なのかなー。私、分かっちゃうんだよね。一緒にいても、相手が自分のこと見てないのとか。あ、この人、他の子のこと考えてるなー、て……そういうの、感じちゃうの」
ドジでもした子供みたいに苦笑いでそう言ってから、花音は俺に向かい合った。
笑みを消し、まるで人形のようなぱっちりと大きな目で俺をじっと見つめ、花音は満を辞したように息を吸う。そして――、
「プロポーズまでしてくれた圭の気持ちは嬉しい。でも……圭は私を幸せにはできない。だって、圭は他に好きな人がいるんだもん! 私、もう浮気されたり、二番目になるのは嫌だから……だから、ごめんなさい!」
ポニーテールを鞭の如く振り下ろし、花音はぺこりと頭を下げた。
ジャカジャカと鳴り響く激しいBGMが流れる中、ヒソヒソと囁き声が辺りにこだましていた。集まる視線を背中に感じつつ、それを気にする余裕すらなく、俺はぽかんとして花音の頭を見つめていた。
まったくもって、状況が掴めていなかった。
だって……あれ? 俺が謝罪するために、今日、こうして会うことになったんだよね? なのに、なんで……なんで、花音が謝ってんの!?
「いやいやいや! 顔を上げてください!」
狼狽まくって、とりあえず、俺は花音の顔を覗き込んだ。
「謝るのは俺のほうなんで!」
「ごめんね、こんなところで。でも、もう耐えられなくて……。気付かないふりして、このままデートしてもさ、どうせ惨めになるだけだし。ついついズルズル流れでキスなんかしたら、ずっと引きずることになるし。今まで、そうやって失敗してきたんだもん。もう、そういうのはやめるんだ。私、今度こそ、幸せな恋をする、て決めたから!」
「応援してます! ――じゃなくて……いや、応援はしてますけど、何か、勘違いしてますよ!? 俺は、そんな……花音と浮気したり、二番目にしようとかそういうことなんて……」
すると、ばっと花音は顔を上げ、屈んだ状態の俺と目線を同じくして、真剣な眼差しを向けてきた。
「勘違いじゃない。今はまだ自分では気づいてないのかもしれないけど、圭は……瀬良さんのことが好きなんだよ」
「……」
ん……? んん……!?
しばらく、お互いに腰を曲げながら、老夫婦のごとく、じっと見つめ合い……俺は今にも溢れ出しそうな数多もの疑問をぐっと押さえ込み、ゆっくりと口を開いた。
「実は、二週間前に気づきまして……今、付き合ってます」
「へ……?」
花音は間の抜けた声をポロリとこぼした。
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