第88話 だって、来てくれたもん
炎天下の中、駅前を走り抜け、たどり着いたショッピングモール。ひとたび足を踏み入れれば、それまでまとわりいてきた猛暑が一瞬にして消え去り、冷房の風が汗だくの体を芯まで冷やした。寒気にぶるっと震えながらも、人ごみの中を早歩きで突き進む。
円形になったショッピングモールの真ん中は三階まで吹き抜けになっていて、日当たりがいい――なんて生半可なものではない容赦無い真夏日が注ぎ込むそこには、二つのエスカレーターに挟まれるようにしてインフォメーションセンターが置かれていた。その背後にはずらりとベビーカーが並び、それを借りようと親子連れが列をつくっている。
しかし、そこで待っていると連絡をくれた相葉さんの姿はなく……。
肩を上下させ、息も絶え絶え、見回していると、
「圭!」
家族連れの賑わいの中、鞠が弾むような声がして、俺ははっとして振り返った。
「汗だくだ。走ってきてくれた?」
燦々と注ぎ込む太陽の光に負けないほど、溌剌とした眩い笑顔を浮かべ、相葉さんが立っていた。
何やら英字がプリントされたTシャツに、ミントグリーンというんだったか、爽やかな薄い緑色のミニスカート。Tシャツをインしたスタイルは、俺がやったら間違い無くオタクファッションになっているだろうが……相葉さんがやると、雑誌を切り抜いてきたかのように様になっている。
足元には、強制的に爪先立ちをさせられているような高いヒールのサンダル。それでも、小柄な相葉さんの背は俺の肩くらい。おかげで常に上目遣いで……愛くるしくあどけない顔立ちでそんなことをされ続けたら、ただでさえ起き抜け猛ダッシュでフル活動中の心臓がいつまでも落ち着けそうにない。
しかも……ほっそりとした脚の長さが際立つそのミニスカートの罪深さよ。いろいろとギリギリスレスレで、見ているだけでそわそわしてくる。
無邪気で、それでいて、悪戯に男心をくすぐってくるような……なるほど、これが小悪魔というやつか? そんなことを考えて茫然としていると、「はい」と相葉さんはペットボトルの水を差し出してきた。
「え、俺に……?」
「喉乾いてるでしょ」
「いいん……ですか? ありがとうございます」
恐縮しながらも受け取って、あ、と気づいた。ひんやり冷たいペットボトルは、今まさに自販機から出てきたような……。
「もしかして、わざわざ……買ってきてくれてたんですか?」
「圭はきっと急いで来てくれると思ったから」
ポニーテールにくくった波打つ髪をふわりと揺らして、相葉さんは頭を傾けた。
照れたような、それでいて嬉しそうな相葉さんの笑みに、ずきりと胸が痛んだ。右手に持った五百ミリリットルの水がずしりと重みを持って、右手にのしかかってくる。
「すみません。俺が遅刻したのにそこまで気を遣ってもらって……」
「いいの、いいの。だって、来てくれたもん」
「え……いや、そりゃ、当然……」
「待たされるの、慣れてるからさ。待ってる間も楽しいくらいなんだ。来てくれたとき、すごい嬉しいじゃん」
慣れてる……? 待たされるのって、慣れていいものだっけ? 答えに困ってぐっと閉じた口の中で、苦々しい味が広がっていくようだった。
『真くん』こと平野といい……相葉さん、今までいったい、どんなお付き合いをされてきたんですか!?
「さあ、こんなところで立ち話なんてもったいない! 太陽は常に回っているのだ。早く行こー」
弾けんばかりの声を響かせ、相葉さんは俺の腕を取って歩きだした。
いや、回っているのは太陽ではなく、地球じゃ……て、それよりも、腕! さりげなく、腕組んじゃってるけども……!?
あまりにぎゅうっと腕を絡めて身体を寄せてくるから、歩くたびに弾むそのやんちゃな膨らみが肘に当たって……俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。相葉さんの薄いTシャツの生地から生々しく伝わってくる柔らかなその感触と重量感たっぷりの振動に、冷房で瞬間冷却されたはずの身体が再び熱を帯びていく。
ああ、これはまずい。
友達同士のじゃれ合い程度のつもりなのか、相葉さんは当然のことのように平然としているが……この距離感、俺には異文化交流並みだよ!
「相葉さん、あの、胸――じゃなくて、腕……」
「あ、そうそう。それ。相葉さん、てやめて」ぷうっと桃色の頬を膨らまし、相葉さんは俺をジト目で睨みつけてきた。「花音か、ノンノン。どっちかでしか、返事しないから」
「ええ!?」
馴れ馴れしさを謝りにきたというのに……さらに馴れ馴れしくなってないか!?
「じゃ、じゃあ……花音……さん?」
「なに、そのクエン酸みたいな言い方。いやなんだけど。花音がいい」
「は、はあ……」
か、花音!? 花音、て呼ぶの? 想像しただけで、かあっと顔が熱くなる。
腕を組んでモールを練り歩き、名前で呼び合うって……まるで、恋人みたいじゃないか。
相葉さん――いや、花音は気にしてないみたいだけど……いいのか? こんなこと……俺、瀬良さんともしたことないのに……?
その瞬間、のぼせ上がっていた頭がさあっと冷えたようだった。
松江先輩――と、夢の中で熱っぽく呼ぶ瀬良さんの声が蘇る。ただの夢だ、完成度の低い悪夢だ、と分かっているのに……胸の中がぐちゃぐちゃとかき混ぜられるような不快感に顔が強張った。
なんだ、これ。すげぇ、いやだ。
「圭」
ふいに、そんな落ち着いた声がして、俺はハッと我に返った。
「幸せにしてくれる……んだよね?」
ふわふわとポニーテールを揺らして歩きながら、花音はにっと悪戯っぽく笑って言った。
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