第80話 なんで、否定しないわけ!?

 腹立たしさと興奮で、頭に血が上っていたのだろう。あのときの苛立ちは――握った拳の感覚は、しっかりと残っているのだが……。一語一句何を言ったかまでは思い出せない。とりあえず、『運命の人』と言った覚えはある。その上で、相葉さんが嫌がるようなことはやめてほしい、という旨を相葉さんの幸せを願う友人代表として平野に伝えたはず……だ。


「ちょっと、何黙ってんの!?」


 ズカッといきなり椅子を蹴られて「何するんだ!?」と振り返ると、


「なんで、否定しないわけ!? 相葉さんが『運命の人』だなんて、言ってないわよね!?」


 目を見開き血相変えて……ほぼ脅すように万里が詰問してきた。

 なんだ? なんで、そんなに取り乱しているんだ……?


「言った……ような気はする」

「気はするって……何考えてんの!?」

「あ」と、慌てて俺は訂正を入れた。「でも、『あいつに近づくな』なんて、そんなカッコ良いことは言ってないぞ! あと、名前を呼び捨てにするようなこともしていない! 俺にそんな度胸はないはず……」

「あんたの度胸はどうでもいい!」とさらに迫力を増して、万里はずいっと俺に顔を寄せてきた。「なんで、相葉さんが『運命の人』なわけ!?」

「なんでって……本当のことだから、な? 相葉さんのおかげで、俺は今、幸せで……」

「はあ!?」かあっと顔を真っ赤にし、万里は般若のごとく憤怒に顔を歪めた。「本当のこと!? いつのまに、相葉さんのおかげで幸せになってんのよ!? 津賀先輩の映画より唐突すぎてついていけないわ! 印貴ちゃんはどうしたのよ!?」

「瀬良さん? 瀬良さんは、今、沖縄で……」

「そういう意味じゃない!」


 キーッと奇声でも発しそうな勢いで短い髪をかき乱す万里をよそに、「すごーい!」と小日向さんが嬉々とした声を上げた。


「『運命の人』って本当に言ったんだー。永作先輩って男らしいとこあるんですね」ときゃっきゃと言ってから、小日向さんはキラキラとした眼差しを、俺に――ではなく、手元のスマホに向けた。「瀬良先輩とノンノン先輩が永作先輩を取り合いしてる、て噂聞いたときは、なんでこんな地味な人を? とか思っちゃったんですけど……今なら納得できるかも」

「取り合い……?」

 

 え、待って。そんな噂……あったっけ?


「そっか、そっかー」何やら夢中でスマホに打ち込みながら、小日向さんはうんうんと頷いた。「永作先輩はノンノン先輩を選んだんですね。大番狂わせだったなぁ。皆もびっくりしてますよー」

「皆? 皆って……なに?」 

「皆です、皆」小日向さんは顔を上げると、「ほら」とスマホの画面を見せてきた。「クラスのグループチャット、その話題で持ちきりなんですよ〜」


 グループチャット!?

 ぞっと背筋に悪寒を覚えながらも覗き込んだ小日向さんのスマホの画面には、


『今、永作先輩から言質取ったどー! 運命の人発言は本気らしいです! 永作先輩、男気はじめました(笑)』


 というやんわり失礼な小日向さんの発言に始まって、


『永作先輩、まじか! ノンノン、おめでとう』

『駅前で愛を叫んだ永作(笑)』

『ノンノン、返り咲き!? 夏休み、何があった!?』

『セラちゃん先輩、振られたってこと!?』


 と、バーチャル井戸端会議の如く何やらわいわいとテンション高めなメッセージが、現在進行形で次から次へと湧いて出てきていた。

 ちょ……ちょっと待て! 本当に待って!?


「瀬良さんが振られたって……なんで!?」


 今にも小日向さんのスマホを奪い取らん勢いで身を乗り出した俺に、小日向さんは警戒もあらわにスマホを引っ込めた。


「なんでって……そういうことじゃないんですか?」


 そういうことってどういうこと!?


「小日向さん――」と問いかけた俺の声を遮って、「どういうことだよ!?」とガタッと音を立てて遊田が立ち上がった。


「うちのクラスにグループチャットなんてあんのかよ!?」


 そこかよ!? と思わず、叫びそうになってしまった。


「あ、遊田、入ってないのか」ぷっと吹き出しながら、小日向さんも席を立った。「私が遊田に招待送っとく、て皆に言っといたんだけど……忘れてた」

「雛子、お前、わざとだろ!」


 ああ、そういえば、二人は同じクラスだったか。中学からの仲らしく、撮影中もよく喧嘩をしていたっけ。「映画、よかったでーす。さよなら、国平せんぱーい」と上機嫌で出て行く小日向さんを「待て、雛子!」と追いかけていく遊田。まるで海辺でいちゃつくカップルでも見守るような気分でそんな二人を見送って――俺はハッと我に返った。


「いや、待って、小日向さん!」

「ナガサック!」


 小日向さんを追いかけようとした俺を、聞いたこともないほど張り詰めた津賀先輩の声が引き止めた。

 え、と振り向けば、いつのまにか、駄作……いや、新進気鋭のSF青春恋愛妖怪映画を褒め称えあっていた三人組が深刻そうな面持ちでこちらを見ていた。いつも以上に青白い顔をした津賀先輩の手にはスマホが硬く握られていて――嫌な予感がした。


「お前……駅前でノンノンにプロポーズしたって……!?」

「それは絶対、してません!」


 噂がとんでもないスピードで飛躍してるんだけど!?

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