第17話 どんだけ、好きなのよ

「あんた……頭、大丈夫?」


 もともと切れ長の目をきっと細め、万里は苛立ちさえ感じられるつっけんどんな声で訊ねてきた。

 なんだ、その聞き方は。可愛げの欠片もない。


「大丈夫だよ」心配されている気分にもならず、俺はぶっきらぼうに答えた。「たんこぶもなかったし。瀬良さんがすぐ先生見つけてきてくれて、診てもらったけど、『さっさと戻れ』て頭叩かれたくらい――」

「あんたの頭の心配なんてしてないわよ! あんたが石頭なのは昔から知ってるし!」

「はあ? 大丈夫、て聞いただろうが!」

「そういう意味じゃない!」


 長机の向かいで、万里はキーっとでも言いだしそうな勢いで短い髪を両手でくしゃっと掴んだ。


「鈍感すぎる! あんたは、ほんっと……脳みそまで凝り固まって石頭なのか! 行間をもっと読みなさいよ!」

「行間!? 何の話だ!? お前は俺の話をちゃんと聞いていたのか?」

「こっちのセリフだ! あんた、印貴ちゃんの話、ちゃんと聞いてた!?」


 なんでだ? なんで、俺は万里に叱られてるんだ?

 放課後、部室棟にある映画研究部の部室に着くなり、万里は俺の向かいに座り、尋問よろしく五時間目の一件を事細かに聞いてきた。初っ端からしかめっ面で腕を組む万里は、さながらベテラン刑事。もはや事情聴取だ。そんなものすごい話しづらい空気の中で、俺は丁寧に質問に答えてやったつもりなのだが。


「もー、不毛すぎる! 印貴ちゃんが不憫すぎる!」


 とうとう頭を抱え、万里は机に突っ伏してしまった。

 なんなんだよ? 何が起きてるんだ?


「昼休みまではさ、印貴ちゃん、今日、部活うちに来てくれるって言ってたのに。五時間目終わった途端、『やっぱり、今日は無理かも』てメールきたのよ。何かあったんだろうと思ったら、そういうことかー」

「どういうことだ!?」

「あんただ、あんた!」ばっと顔を上げ、万里は泣きたいのか、怒りたいのか、よく分からない形相で俺を睨みつけてきた。「ぜーんぶ、あんたが悪い! 『好き』って口にするのがどれだけっ……」


 そこまで言って、急に万里は言葉を切った。ものすごく何かを言いたげにこちらを睨みつけている。唸り声をあげる狂犬でも前にしている気分だ。いっそのこと、吠えてくれたほうがマシなんだが。

 そうして、万里はしばらく黙りこんでから、ふうっと息を吐き出すと、今度は落ち着いた面持ちで俺のほうをじっと見つめてきた。


「単刀直入に聞くわ。圭は、印貴ちゃんのことどう思ってるわけ?」

「どうって……お隣の……」

「お隣さん、なんて簡単に済ませないでよね? しっかり考えて。具体的に」

「具体的にって……お隣の素敵なお嬢さんで、挨拶もしっかりとして……」

「町内会長か! そうじゃなくて! たとえば……ほら、印貴ちゃんのこと考えると、どう感じる、とか、何が思い浮かぶ、とかそういうの!」


 何を聞きたいんだ、万里は? 心理テストか?

 瀬良さんのことを考えると……か。うーん。そうだなぁ……と、俺は天井を振り仰いだ。瀬良さんの傍にいるときの、あの感覚。あれはなんなんだろうな。言うなれば、あの感じは――。


「銀閣寺……?」


 するりと口からその単語がこぼれ落ちていた。


「は?」

 

 今にも怒号が飛び出しそうな不穏な気配を察知して、俺はばっと万里に顔を向きなおした。


「ほら、中学んときの修学旅行で一緒に行っただろ!? 庭で写真撮ったじゃん」

「行ったけど……」万里はなぜかムッとして、視線を逸らした。「なんで、今、その話になるのよ?」

「あの感じだな、て思ったんだ。厳かで格式あって、でも、そこにいると落ち着く。そんな感じなんだ。瀬良さんも……」


 不思議なんだよな。眩いばかりのオーラがあって、人を惹きつける才みたいなものがあって……そんな瀬良さんは、俺にとって、別世界の、まるで天使のような存在なのに。一緒にいると、すごい自然なんだ。ふわりと空に飛んで行ってしまいそうな彼女が、しっかりと地に足つけて俺の隣を歩いている。子供みたいにクスクス笑って――。


「その空間が居心地よすぎて、ずっとそこに居たくなる。でも、それ以上、踏み込めない。もっと近づいてみたいけど、少しでも触れたら台無しにしてしまう気がして……」

「ふぅん」


 つまらなそうな万里の相槌が聞こえて、俺は目が覚めたようにハッとした。催眠術にでもかかっていたかのようだった。

 なんだ、今の? なに言っちゃってたの、俺? ちょっと待って。すごいキモイこと言ってなかった!?


「引くわー」


 ですよね!? 俺もドン引きだよ!

 今にも椅子に正座する勢いで猛省する俺に、万里はクスリと笑った。バカにするふうでもなく、どこか寂しげな力無い笑みだった。


「どんだけ、好きなのよ」

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