第116話 ずっと意味が分からなかったの
俺が……俺が、て言った?
「な……なんで!?」とぐいっと顔を寄せて、問い詰めていた。「なんで、俺……!?」
「なんでって……あの噂、永作くん、ずっと嫌がってたから。そういう噂が立つの、好きじゃないのかと思って」
「あの噂って……どの噂?」
もう笑えてくるくらい尾びれ背びれに足まで生えたような噂が出回っていて、もはや瀬良さんがどれの話をしているんだかも分からないくらいだった。
しかし、だ。どれもこれも悪ふざけにしか思えないようなものではあったけど、嫌だった噂なんて、これといってなかった気がするんだが……。
必死に思い返していると、しゅんと小さく縮こまって、瀬良さんはぽつりと言った。
「私が永作くんのこと好きだって噂」
「はい……?」
それは、一番最初の、原点とも言える噂。全ての混乱はそこから生まれて、今ある数多もの噂はその派生とでもいえるだろう。確かに、初めてその噂を聞いた時は、あまりに突拍子がなくて驚いて、戸惑いはしたけど……。
「別に嫌がってなかったよ?」
「でも」と瀬良さんは沈んだ顔でうつむいた。「変な噂とか、あんな噂絶対に信じない……とか、嫌そうだったから」
「それは、言ってたけど……」
あまりのことに、言葉が途切れた。
気づかなかった。
瀬良さんが俺なんかを好きなわけがない――と、思い込んでいたから、あの噂は誰かの悪意のあるイタズラだと信じ込んでいた。そういう意味では、確かに、俺はあの噂を忌み嫌っていたのかもしれない。瀬良さんを傷つけるためのものだと、そう思ってたから。
でも、そんな俺の態度が瀬良さんを傷つけていた……のか?
「あの噂、流れ出してから、永作くん、私のこと避けるようになっちゃったでしょ? それまで一緒に教室まで登校してたのに、途中で『ここでお別れです』てバラバラに通うようになって……学校で目が合っても挨拶もしてくれなくなっちゃって……。あの噂の話になると、必死に否定するし……そういう噂が立つの嫌だったんだ、て分かって、申し訳なくて……」
そこまで言って、瀬良さんは重い溜息をついた。
「あの噂が流れるようになったの……きっと、私のせいだし」
「私のせいって……」
なんでそうなる!?
「いや、あれは……一緒に登校してるのを見た誰かが、おもしろがって流し始めたんだろうし。俺のせいでもあって――」
「編入してから一週間くらい経ったころだったかな。『二組の永作とよく一緒にいるけど、付き合ってるの?』てクラスの人に聞かれたことがあって……そういうこと聞かれるの初めてだったし、びっくりしちゃって、とっさに言っちゃったの。『違うの、私の片思いなんだ』――て」
「え……」
「ごめんね」と瀬良さんは握り締めた俺の手を見下ろしながら、ぽつりと言った。「まさか、あんなに噂になっちゃうとは思ってなくて……。それから永作くんと気まずくなっちゃうし……だから、気をつけなきゃ、て思って、それからはそういうことは人前で言わないようにしてたんだけど、手遅れだったみたいで」
いやいや。ちょっと待って。瀬良さん、何を……言ってるんだ?
天地がひっくり返るような、俺が信じていたこの世の理を根底から覆されたような……そんな衝撃だった。頭の中は混乱のさなかにあって、整理がつかない。とりあえず、言わなきゃいけないのは――。
「まず、ですね……」動揺しすぎだ。息が上がって、言葉がつっかえる。「俺は迷惑だとか思ってたわけじゃなくて……ただ、その噂で瀬良さんに余計な気苦労をかけたくなかったからで……」
「うん、それね」と瀬良さんは顔を上げて、困ったように苦笑した。「永作くん、そう言ってたけど……ずっと意味が分からなかったの」
『意味が分からなかった』と言う瀬良さんのその言葉の意味が分からなかった。
だって……あの噂のせいで、瀬良さんは――。
そのとき、脳裏をよぎったのは、もう随分と昔に思える記憶だった。瀬良さんと出会って間もなく、まだ浮かれていた頃。甘酸っぱいというには苦々しすぎる思い出だ。
偶然、家の前で瀬良さんと出くわしては、一緒にのこのこ登校し、集まる視線さえ気にならないほどに有頂天になっていた。そんなある日、偶然聞いてしまった。
『あれが、セラちゃんが好きだっていう永作? 地味っつーか……普通だな。なんだよ、セラちゃん、男の趣味はビミョーだな。意外と誰でもワンチャンある感じ? 高嶺の花感がよかったのになー。なんかがっかりだわ』
あのとき……あの嘲笑交じりに廊下で話す声を聞いたとき、腸が煮えくり返るほどに怒りがこみ上げた。調子に乗って軽率な行動を取っていたこと……その結果、あらぬ誤解を生んで、瀬良さんの名を貶めてしまった自分に。
だから、距離を置こうと思ったんだ。人目のあるところでは極力会わないようにしよう、と決めて避けるようになった。あの噂を助長するようなことをして、また瀬良さんの評判を落とすようなことをしないように、と……。
「気苦労とか、嫌な思いとか、困らせるとか……何のことなんだろう――てずっと思ってたんだ」と隣から、ぼんやりと懐かしむような声がした。「だって、私が永作くんのこと好きなのは本当だし、皆に知られちゃいけないことだとは思わなかったから」
その瞬間、ぐっと肺が今にも潰されそうな、そんな込み上げてくるものがあって、息が詰まった。なんだ……これ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます