第55話 一緒だよ

 こくりと頷く瀬良さんは不安げで、でも、俺をまっすぐに見つめる眼差しは、はじらう気配はありつつも躊躇う様子はなかった。その顔はまだほんのりと赤みを残しながら、落ち着きを取り戻し、引き込まれるような瞳の奥には、覚悟――とでも言えばいいのか、迷いの無い確かな眼光が見えるよう。

 ただならぬ気迫を感じて、俺は言われるままに身を屈めて瀬良さんに耳を差し出した。

 ざっと土を踏む音がする。

 瀬良さんがそっと近寄る気配がして、耳元に瀬良さんの息遣いを感じた。それだけで、背筋がぞくりとして、身体がじわじわと熱を帯びていくのが分かった。心臓が耳障りなほどの爆音を鳴らして、呼吸が荒くなっていく。

 いったい、それはどれくらいの間のことだったんだろうか。瀬良さんが一つ息を吸って、言葉を発するまで。そのたった数秒の世界の中で、自分の身体が狂っていくのが手に取るように分かった。すぐそばに――ちょっと手を伸ばせば抱き寄せられるところに、瀬良さんがいると思うと、それだけで今にも理性を失ってしまいそうだった。

 そんな俺をまるで慰めるかのように、「一緒だよ」とかすれた声が耳元で囁いた。


「私も永作くんと同じ気持ち……」


 熱っぽい吐息のように注がれるその甘い声に、脳が溶かされていくようだった。

 ああ、もう限界だ。これ以上は、抑えきれる気がしない。


「だから――」


 と言いかけた瀬良さんの言葉を遮るつもりで振り返り、「ちょっと待って」と言おうとした口がふわりと何かに触れた。ふにっと柔らかくて、マシュマロみたいな……。

 ハッとして目を見開くと、瀬良さんがすぐそこにいた。ぴたりと目蓋を閉じて……。重なり合った長いまつ毛の一本一本まではっきりと見えるようだった。月明かりに照らされて白く輝く滑らかな肌が、文字どおり、目と鼻の先にある。

 火照った身体を冷ますような気持ちの良い夜風が、木々の間を通り抜け、葉を鳴らして通り過ぎていった。

 一瞬、呼吸が止まった。いや、できなかったんだ。唇が塞がれて……。


「ん……!?」


 て、待て。え? え!?

 この状況って……これって、紛うことなく、キ――。


「スミマセン!」


 咄嗟に飛び退き、額を膝にぶつける勢いで俺は頭を下げた。

 なんてこった! なんであのタイミングで、顔を向けたんだ、俺は!? 違うんだ、違うんだ。決して、ワザとではなくて……!


「あた……当たっちゃいましたー! 事故……事故で、タイミングが良かっ――」言いかけ、ハッとして俺は顔を上げ、必死に首を横に振った。「違っ……! タイミングが悪くて、ぶつかってしまっただけで……」


 すると、瀬良さんは困ったように曖昧に笑って、首を傾げた。


「キス……のつもりだったんだけど」

「え……」ぱちくりと瞬き、俺はアホみたいに惚けてしまった。「キス……? 今のは……接触事故ではなく……?」

「キス……のつもりです」


 かあっと顔を赤らめ、瀬良さんは俯いてしまった。

 途端に、俺の身体は思い出したように慌てだした。心臓が再び、今にも火を噴く勢いで駆け出し、頭の中でうるさいほどの思考が溢れ出す。

 キ……キス? キス、したの? 今、俺? 瀬良さんと……!?  え……でも、なんで? なんで、瀬良さんが俺に――?

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