第95話 分かっちゃうなぁ
あ、いつもの国平先輩だ。
ばっと早見先輩に振り返ってツッコミを入れた国平先輩に、ほっと安堵してしまった。
さすが、早見先輩。一瞬にして、国平先輩を落ち着かせてしまうとは。手慣れている。
「なんで、今、それ言うの!?」
花音の肩から手を離し、早見先輩に向かい合う国平先輩の声からは、さきほどまでの迫力はなく、すっかり泣き言を言うようなそれになっていた。
「なんでって、あなたね」さらっと早見先輩はミディアムヘアを手ではらい、相変わらずの蔑むような目で国平先輩をねめつけた。「自分の身だしなみもなってない奴に、人様の胸ぐらを掴む権利はないわよ」
「確かに……!」
確かに!? 納得しちゃうの?
「ありがとう、のりちゃん。俺、つい熱くなって調子に乗ってたみたいだ」ぐっと苦渋に満ちた表情を浮かべ、国平先輩は俺のほうへ顔を向きなおした。「ごめん、ナガサック! 胸ぐら大丈夫!?」
「胸ぐらは……大丈夫ですけど!? って、胸ぐらを掴む権利ってなんですか!?」
「ユミのこと、引きずりすぎよ。周りを巻き込むのもいい加減にしてほしいわ。気持ち悪い。もっと人の話も聞きなさい、国平」
さらっとそんなひどいことを言ってから、「ねえ、相葉さん」と早見先輩はついっと視線を花音へ向けた。
「永作は何も悪くないんでしょう?」
「え」
熱でもあるかのようにぼうっとしていた花音。突然話を振られ、しばらくぽかんと早見先輩を見つめてから、ハッとして立ち上がった。
「はい! 圭は……全然、悪くなくて! 私が勝手に嘘吐いただけなんです!」
「立ち上がらなくてもいいけど……ありがとう」抑揚のない声でそう謝辞を述べ、早見先輩は国平先輩の腕を掴んだ。「ね? 永作は悪くないって。解決よ。行きましょう。これ以上は道広の胃がもたないわ」
「いや……でも、のりちゃん! 私が悪いの――て、皆、そう言うんだって! 気になるっていうか、放っとけないっていうか……」
「皆って、誰? ユミだけでしょ」
ずばりと早見先輩に一蹴されて、言葉に詰まる国平先輩。まるで親子の喧嘩でも見ている気分だ。
そんな二人の様子を眺めながら、ああ、なるほど、と納得してしまっていた。
急に人が変わったような――そんな国平先輩の変貌の理由がようやく分かった気がした。なぜ、あのタイミングで『キレた』のか。何が国平先輩のスイッチを押してしまったのか。何が国平先輩の開けてはいけない記憶の扉を開けてしまったのか……。
そうか……国平先輩。浮気現場を目撃したあとに、『私が悪いの!』なんて言われちゃったのか。きつい……ものすごくきつい。
今までなら、他人事だったのだろうが――正確には、今も他人事ではあるが――夢の中で、同じようなシチュエーションを疑似体験してしまった今、国平先輩の当時の心情を思うと胸が痛い。もらい泣きしてしまいそうだ。
「永作が浮気していようがいまいが、ここから先は本人たちの問題。昨日もそういう話になったでしょう。なんでもかんでも、浮気だ、NTRだって、騒ぐのはやめてくれる?」
「ええ……? いや、でも……みっちーが最初に、『浮気しとるー!』て叫んで……」
「道広はいいの。好奇心が豊かなの」
「贔屓が過ぎるよ、のりちゃん!?」
問答無用で国平先輩の腕を掴んで連行していく早見先輩。いつにも増して、マイペース……いや、津賀ペースというか。国平先輩の不満ももっともだ。あの早見先輩の『道広贔屓』はなんなんだろうな、とぼんやり考えながら、遠ざかる三人の背中を黙って見送っていると、
「分かっちゃうなぁ」と、嚙みしめるように花音がつぶやいた。「私が悪い……て、つい、思っちゃうんだよね」
「はい……?」
急に、何の話だ……?
「真くんのときもそう。大曽根先輩に浮気されてたときもそう。小沢さんが他に本命がいた、て分かったときもそう。私が悪かったんだって……私に男を見る目がなかったんだ、て……いつもそう思ってたんだ」
「――花音?」
「さっきの、国平先輩……だったよね。三年のイケメン、て有名な……」
先輩たち――いや、国平先輩の背中を見つめながら、ふっと力なく微笑む花音の横顔は、いつもの元気いっぱいな笑顔とはまた違った魅力があった。しっとりと雨が似合う、艶やかで切なげな笑みで……ぞくりとした。
「すごいね。全部、見抜かれちゃってた。恋愛経験豊富なんだね。きっと、素敵な恋もしてるんだろうな」
「いやぁ、恋愛経験豊富といえば、そうなのかもしれませんが……質的な意味で……」
ぐっと胸に鈍い痛みが走る。
見抜いた――というより、国平先輩は経験済みだから……。国平先輩も花音と同じような経験をしているから、通ずるものがあった、というだけだろう。素敵な恋どころか、未だにトラウマを呪いのごとく抱えたまま、彼女募集中だし。『あまのじゃくの恋』の主演だって、それをネタに早見先輩にうまいこと唆されて引き受けたんだ。あの映画で、本当に彼女ができるのか、甚だ疑問だが……。
いい人なんだけどなあ。見た目もよくて、中身も良くて、難があるとすれば、アレルギーかのようなNTRへの異常な拒絶反応くらいで――。
「ん……?」
それは、天啓が降った……というにふさわしい、そんな感覚だった。
唐突に、閃いた。いや、気づいたんだ。
絶対に、浮気しない人……いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます