第4話 来ちゃった
いつ頃からだったか。『瀬良ちゃんの好きな奴がいる』と喜怒哀楽様々に俺のクラスを覗きに来る奴が現れ、俺を見つけるやいなや落胆もあらわにげんなりとして帰っていくようになった。人違いでもしているのだろうと思ったが、やがてはっきりと俺の名前を噂で聞くようになり、その付随語のように漏らされる『がっかりだ』という言葉が、俺ではなくて瀬良さんに向けられていることにしばらくして気がついた。
非の打ち所のない完璧美少女に思われた瀬良さんが、実は俺のような冴えない男が好みだったなんて。男を見る目はないんだな、と嘲笑まじりに囁かれるようになってしまった。
俺のせいで! 俺が偶然、隣に住んでいるせいで! 毎朝のように瀬良さんに出くわして、ふわふわと空でも飛ぶかのように浮き足立って登校していた俺を殴りたい。完全に浮かれていた。
「ま、家が隣同士で、毎日一緒に登校してきてたらねぇ。面白がって誰かが辺な噂を流し出しても不思議じゃないわ。ああいう完璧美少女を妬んでくだらないことする暇人もいるからさ」
「そうなんだ。本当に、そうなんだ。俺が自分の立場もわきまえず、のこのこ一緒に登校してしまったばかりに。瀬良さんの評判に傷をつけてしまった……」
「確かにねぇ。転入早々、あんたなんかに惚れてるとか言いふらされちゃったら、超迷惑。かなりの深手だわ」
ホームルーム前、まだ騒がしい教室で、ケラケラ隣で笑うクラスメイトを俺はギロリと睨む。
「その通りだ」
「いや、ちょっとは否定しなよ。気の毒になってきた」
隣の席で偉そうにふんぞり返っていたそいつは、急に笑みをこわばらせると心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
ベリーショートというのだろう。まるで少年のように短い髪に、印象的な切れ長の目。俺と同じくらいの長身で、小顔ですらっと手足が長く、小学六年のときからすでにモデルのようなスタイルだった。鼻筋がすっと通った賢そうな顔立ちもあいまって、よくハーフに間違われていたもんだ。そんなこいつと俺は幼稚園からずっと一緒で、年頃になり、どんどんモテだしたこいつの傍らで、俺の影はみるみるうちに薄まっていった。
「とりあえず、噂を真に受けなかったのは評価するわ。あんたアホだから、舞い上がって面倒臭いことになりそうなのに」
「当たり前だろう! 見くびるなよ」と俺は万里にびしっと言ってやった。「瀬良さんが俺なんかを好きになるわけがないだろう! そんな噂本気にしてたら、恥ずかしすぎだ。瀬良さんに申し訳ない!」
「申し訳ない、ねぇ」細い足を見せびらかすかのように足を組み、万里は頬杖ついてそっぽを向いた。「なんか私の立場ないんだけど……」
「あ? お前の立場がなんだ?」
「ま、いいけど」ぼそっとそう言ってから、「そんなことより!」と万里はいつもの張りのある声で切り出した。「はい。新作でーす」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて万里が机の中から取り出したのは、右側でひもとじされたA4サイズの紙の束だった。
さあっと血の気が引くのを感じた。
嫌だ。受け取りたくない。
「なによ、その嫌そうな顔は。受け取りなさいよ! これ、あんたの分なんだから。部長から預かっといてあげたのよ」
「部長……」
その単語に、一抹の不安がよぎる。
映画研究部部長。数々の駄作を全力で生み出してきた人である。なぜか、全てが宇宙人オチになるという鬼才なのだ。
「逆に退部届を渡しといてくれないか」
「逆ってなによ! いいから、はい!」
バン、と容赦なく机の上に叩きつけられたそれを、俺はただ睨みつけることしかできなかった。
数えずとも分かる。三十枚だ。三十枚あるはずだ。三十分の尺の脚本は、だいたいそれくらいだから。
日頃、ダラダラと部室で研究と称して好きな映画を見て、気が向いたら数分のショートフィルムを撮るというゆるいウチの映画研究部だが、毎年、文化祭には三十分の映画を作って流すのが伝統だった。今年もそろそろその話が出てくるだろうとは思っていたが。
「まさか、もう脚本まで出来上がっていたとは。しかも、部長の脚本で三十分の……」
まるで走馬灯のように、過去にやらされた羞恥プレイのごとき迷場面が一瞬にして脳裏を駆け巡った。
「なんとしても、裏方に……」
「部員不足なんだから、当然、あんたも演じるに決まってんでしょ」
「いやだー!」
「近所のよしみで瀬良さんも観に来てくれるかもよ。気兼ねなく恥を晒しなさい!」
そうだったー! とそのとき、気づいた。文化祭で流すと言っても、体育館で大々的に流すわけではない。視聴覚室でこぢんまりと申し訳程度に上映するだけ。毎年、義理で数人見に来ればいいほうらしく、去年もそうだった。観客より出演者のほうが多くないか? と思うほど。だから、そこまでダメージもなかったが。
しかし……そうだ。今年は、瀬良さんがいる。
お優しく義理堅い瀬良さんのこと。お隣さんの俺が出てると知ったら、気を遣って見に来てくれるかもしれない。今朝も、『気になる』と言わせてしまったばっかりだし。ご近所付き合いが、ここに来て仇になるとは……!
頭を抱える俺の横で、ははは、と勝ち誇って笑う万里の高笑いが――いきなり、ぴたりと止んだ。
いや、というか。
騒がしかった教室が静まり返っていた。担任が来ても、こんなに一斉に皆が黙るようなことないはずなのに。
何事だ、と顔を上げようとしたときだった。
「私がどうかした?」
ふわっと柔らかな声が降ってきた。羽根が耳元をかすめていったような――。
ハッとして咄嗟に顔を上げると、いつのまにか、彼女が俺の席の前に立っていた。クラス中の視線を浴びながら、後ろに手を組み、少し居心地悪そうに彼女は「ごめんね、永作君」と小声で言った。
「来ちゃった」
瀬良さん――!?
びりっと電撃が全身を駆け巡ったようだった。思わず、俺はがたんと大きな音を立てて立ち上がっていた。
瀬良さんは驚いたようにびくっとして、「違うの!」と切羽詰まった様子で声を上げた。
「別に、永作君に会いたくなったとかじゃなくて!」
「そうでしょうとも! 回覧板ですか!?」
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