第77話 なんだよ、彼氏だからって偉そうに

 カラフルな装飾に、ポップなミュージック。ショーウィンドウには色とりどりのドーナツが宝石のように並び、それをキラキラと輝く瞳で眺めていた瀬良さんが、


「圭くん、見て。かわいいよ!」


 と俺に振り返る。そこで、俺はすかさず、


「印貴ちゃんのほうがかわいいよ」


 とか……言えたらなぁ! 

 ああ、妄想ばかり膨らんでいく。現実ではドーナツ屋にも一緒に行けていないという有様だというのに。

 はあ、とため息ついて、恨めしくドーナツ屋を眺めることしかできない。

 学校までの道すがら、通りがかる駅前で否が応でも差し掛かるこのドーナツ屋。窓の向こうでは、亡霊のようにうっすらと浮かび上がる俺の姿と重なるようにして、楽しげにドーナツを頬張るカップルが。

 おかしい。なぜだ? 窓一枚隔てたすぐそこには、俺の妄想通りの世界が広がっているというのに。なぜ、俺はあちら側にいけないんだ!?

 ぐっと握りしめたケータイは、うんともすんとも言わずに黙り込んでいる。


『さっきは、ごめん! 何か変なこと言ったかな?』


 そうメールを送って一時間は経っただろうか。既読にもならない。

 うーん。沖縄って圏外だったかな? いや、まだ沖縄……なわけないか。じゃあ、空港か? 空港が圏外なのか?

 ちらりとケータイを見るが、そこにはじいちゃん家の秋田犬が舌を出してこちらを見ているだけ。いや、かわいいけども……かわいいけどね!?

 ああ、と魂まで抜け出しそうなため息ついて項垂れた。

 瀬良さんの写真一枚無いなんて。付き合って半月、なにしてたんだ? しかも、せっかく、瀬良さんがわざわざ写真撮りにうちまで来てくれたというのに。そのチャンスをみすみす逃して、撮り忘れるなんて!?

 あと二週間……俺は瀬良さんの笑顔一つ見れずに耐えなきゃいけないのか。

 惨めな俺をあざ笑うかのような真夏の日差しに、くらりと立ちくらみがした。そのときだった。


「あれ、お前……?」


 地縛霊のごとく立ち尽くす俺の傍で、誰かが立ち止まる気配がした。

 え、と見やれば、


「やっぱ、そうだ。お前、この前の……」


 不躾に俺を指差し、そこに立っていたのは、きっちりとした格好をした賢そうな顔の男だった。縁無しメガネをかけた静謐そうな顔つきに、じわりと滲み上がる俗っぽい笑みには、はっきりと見覚えがあって、「あ」と俺は声を上げた。


「『真くん』!?」

「なんだよ、馴れ馴れしいな?」と『真くん』はあからさまに不快そうな顔をした。「君付けとか気持ち悪い。つーか、下の名前もやめろよ。平野だ」


 なんだなんだ、と平野の周りで夏真っ盛りなゆるい格好の少年二人がこちらをじろじろ見ている。平野とは違い、日に焼けて活発そうな二人。髪もサッパリとして、体格もしっかりして、おそらく運動部だろう、と予想がついた。


「今日は花音と一緒じゃ無いのか?」


 きょろきょろと平野は辺りを見回し、ちらりとドーナツ屋の中まで覗いている。さりげなさを取り繕っているが、必死さが透けて見えるようだ。

 前回の態度からして……相葉さんはこの『真くん』とはもう関わりたくなさそうだった。たしか、付き合っていながら、裏で『バカノン』とバカにしてたとか。けしからんやつだ。


「急いでるんで、じゃあ」


 いくら、相葉さんの知り合いとはいえ、愛想よくしてやる必要もないだろう。ぶっきらぼうにそう言って、去ろうとした俺に、


「ちょっと待てよ!」


 なぜか、無駄にトレンディに呼び止めてくる平野。

 いったい、何の用だ?


「なんすか?」

「花音に、メールくらい読め、て伝えといて。既読もつかねぇんだけど」


 ええ? なんで、俺にそんなこと頼む?


「いや……それは、既読がつかない時点でお察ししたほうが……」

「はあ?」

「読みたくないから、無視してるだけ――」


 言いかけ、ハッとした。そして、いや、と心の中で強く否定する。違うぞ。俺の場合は違う。慌てて、「もしくは!?」と裏返った声で続けていた。


「もしくは、沖縄にいて圏外の場合でしょうか!?」

「いや、沖縄は圏外じゃ無いだろ。相当な離島とかでもなければ」

「じゃあ……空港ですかね?」

「空港も圏外じゃ無い……てなんで、俺に聞くんだよ!?」


 確かに。この人に聞いても仕方ない。


「とにかく」と気を取り直し、俺は平野と向かい合った。


 前、『真くん』に出くわしたときの相葉さんのリアクション。思い出すだけで、胸が痛くなる。あの向日葵のごとく明るい相葉さんが、ぞっと顔色を無くして怯えたような表情をしてたんだ。二度と会いたく無いくらいだったんだろう。

 相葉さんには瀬良さんとのことで、ずいぶんとお世話になった。恩返しなんて恩着せがましい事は言うつもりは無いが……せめてものお礼の気持ちをこめて、俺は平野をきっと睨みつけ、


「相葉さんにはもう関わらないでください。メールももうやめたほうがいいと思います。じゃあ」


 言ってやった。

 もう二度と、会うこともあるまい。ははは。

 勝ち誇った気分で踵を返すと、


「なんだよ、彼氏だからって偉そうに」

「んっ……!?」


 彼氏? 瀬良さんの彼氏……ですが? 瀬良さんの知り合い……なのか?

 颯爽と立ち去るつもりだった足がぴたりと止まっていた。


「彼氏って? この前、真がドーナツ屋で見かけたっていう?」

「それそれ。ここのドーナツ屋でデートしてたんだよ。偶然、会ってさ」

「ああ! 言ってたな。相葉花音だろ!?」

「そう」と平野は鼻で笑って、「バカノンの彼氏」


 おおい!?


「違いますけど!?」


 ばっと振り返り、思わず、俺は会話に入っていた。

 

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