第121話 さっきの話……なんだったんだ?

「今はまだ、前の上映が終わってないんで。あと十分くらい、待ってもらえれば入れます」


 万里が丁寧にそう案内するのを聞きながら、あれ……と疑問を抱く。二人は何しにここに――て、考える余地もない。答えは明らかだ。


「映画、見るつもりですか!?」

「当たり前でしょ。妹の初主演作品よ」と答える蘭香さんの妖しげな笑みは、明らかにがあるそれだった。「何か問題でもある?」

「問題がある……というか、もう問題しかないです!」


 全身タイツ姿で印貴とキスするとこを蘭香さんに見られた日には……どんなからかわれ方をするか分かったもんじゃない!

 しかも、だ。それ以上に不安なのは……。


「たしか、君が脚本書いたんだっけ? 圭くんの幼馴染の……乃木さん、だったかな」のんびり穏やかな笑みを浮かべて、トキオさんがそう万里に話しかけた。「素敵なお話なんだ、て印貴が絶賛してたよ」

「え……いや、そんな……大したものじゃ……」

「一語一句漏らさず覚えて帰るね」

「そんな……いいですよ〜、そこまで言ってもらわなくても」


 いきなり脚本を褒められ、万里はまんざらでもない様子で恥ずかしそうに手をパタパタ振っている。トキオさんの言葉を、小洒落た社交辞令かお世辞か何かだと思い込んでいるのだろう。

 万里は知らないもんな。トキオさんが本気だってこと……。

 俺からしたら、脅し文句だよ。

 俺の全身タイツ姿も、無残な演技も、印貴との(半分本気だった)キスシーンも……その他もろもろ、きっちり覚えて持ち帰り、色褪せぬ記憶としてトキオさんの脳内に永久保存されるという恐怖。

 そうだな……問題があるとすれば、蘭香さんよりもトキオさんの脳みそだ。しかし、『妹の初主演作品を見にきた』と言う姉とその恋人を、追い返すわけにもいかないし。

 実際、印貴は演技も上手だったし、スクリーンにもよく映えて、見てほしいと思う。それに――と、まだ照れているのか、落ち着かない様子で短い髪をいじりながら、視線を泳がせている万里をちらりと見た。

 せっかく、万里が書いた話なんだ。いろんな人に見て欲しいとも思う。『津賀監督作品』に多大な影響を受けたラストのオチは置いといて……。


「十分か〜。ここで突っ立ってても邪魔だろうし……印貴のとこ、ちらっと見に行ってみる?」


 腕時計をちらりと見てから、蘭香さんはトキオさんに訊ねた。


「ああ、そうだね。絶対来ないで、て言われてしまったから、こっそり覗こうか」

「そんなこと言ってきたの!? ほんっと面倒臭いんだから、あの子は」腰に手をあてがってため息ついてから、蘭香さんはウインクでもしそうな愛嬌たっぷりの笑みを俺たちに向けた。「じゃ、また十分後くらいに来るね」


 仲睦まじく、ひらひら手を振り去っていく二人を見送って、


「なんか……すごいフレンドリーな人だったね、印貴ちゃんのお姉さん」


 ぽつりと万里がつぶやいた。

 フレンドリー……と言えば、聞こえはいいが。あの密着具合は『友達』の範囲を超えているし、『彼女の姉』としては反則レベルだと思うんだが。てか、印貴カノジョでさえ、あそこまで所構わずベタベタしてきたりしないぞ。


「変な感じだなー。圭、本当に印貴ちゃんの彼氏になったんだね」


 いや、今更……?


「まだ、本気にしてなかったのか?」

「そういうことじゃないよ」呆れたようにほくそ笑み、万里は壁によりかかった。「なんか実感湧いたっていうか……私の全然知らない人と親しげに話してる圭を見るの、不思議だった、ていうか……」


 独り言のようにそう呟く万里の表情には陰りが見られて、あ――と思った。さっき見た、あの表情と同じ……。


「さっきの話……なんだったんだ?」


 気づけば、そう訊ねていた。


「え」


 ぎょっとして見上げる万里は、不安げで……放っておけなくて、万里の前に立ちはだかるようにして、俺は詰め寄っていた。


「さっき……蘭香さんが来る前、何か言いかけてただろ。それから、お前、ずっと様子変だぞ。なんか大事な話だったんじゃないのか? 蘭香さんと話してるときも、落ち込んでるみたいだったし……」

「う……うそ!? 私、そんなんだった!? 超失礼じゃん!?」

「いや……蘭香さんは別に気にしてないと思うけど……そういうの気にするような人じゃないし」


 そうは言っても、本人は気になるよな。万里は「どうしよう」と表情を曇らせ、その場にしゃがみこんでしまった。


「やっぱ、だめだ……印貴ちゃんのお姉さんにまで失礼なことしちゃって……」


 そんな失礼なことだったとも思えないが……印貴のお姉さん、てどういうことだ?

 膝を抱いて縮こまり、珍しく塞ぎ込む万里に焦りすら感じて、「大丈夫か?」と万里の前に俺も屈んだ。


「もうやめなきゃ……」

「やめる?」


 独り言のような言葉にそう聞き返すと、万里は細いため息ついて、おもむろに顔を上げた。切れ長の目がじっと俺を見据え、


、やめよう」と、すっきりとよく通る、それでいて無理したような明るい声が言った。「圭はもう私の『友達の彼氏』なんだから」

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