第122話 そういうとこ……ほんと腹立つ
「こういうのって……?」
「こういう――『私たち』」
少し困ったように苦笑して、万里はそう答えた。
常に自信満々、堂々と胸を張って歩く姿がなにより似合う万里が、身を小さくしてしゃがみこんでいる。そこには見慣れたクールな『王子様』の姿はなくて、まるで幼い少女みたいな――昔の……まだお互い小さくて、頼りなかったころの万里がそこにいるようだった。
それなのに……と悔しさすら込み上げてくる。何かしてやりたい、と思うのに、万里の言わんとしていることがさっぱり分からなかった。
「あんたが他の女の子と仲良くしてたら、印貴ちゃんだって嫉妬する――て、怒ってやろうと思ったの。でも……そのときさ、『こんなふうに』って言いそうになっちゃったんだよ」
「こんなふうに……?」
「『他の女の子』って私じゃんって気付いて……引いた」と万里は抱えた自分の膝を見つめて、冷笑した。「私が印貴ちゃんの立場なら、こんなふうに彼氏の傍に誰かが居座ってたら絶対嫌。それを分かってて、『友達の彼氏』の傍に居座り続けるような女になるのも、私は嫌。だから、もうやめよう、て……あんたの隣にはもういちゃだめだ、て思って――」
「いや、待て……なんなんだ、それ?」
おそらく、噛み砕いて説明しようとしてくれてるんだろうが、まだ全然飲み込めない。ゴツゴツの岩を口に突っ込まれてる気分だ。
万里は何を言っているんだ?
「大げさだ。てか、考えすぎだろ」
確かに……印貴に黙って花音とモールに出かけたとき、印貴に言われたことがあった。浮気じゃないって分かってるけど、そういうことは自分としてほしい――て。まだ暑かったころ、二ヶ月も前のことだけど、昨日のことのようにはっきり覚えてる。初めて(公式)、キスをした日のことだから……。
万里が言いたかったのは、そういうことなんだろう。それは納得できた。でも……。
「印貴は俺たちが幼馴染だって知ってるし、付き合う前から一緒にいるとこも見てたんだ。そういう仲なのは分かってるんだし、今更、気にしないって」
「なんだ……ちょっとは変わったかと思ったけど、相変わらず、アホね」と万里はそれでなくても冷たい印象のある端整な顔立ちに、冷めた笑みを浮かべた。「全然、分かってないな。――印貴ちゃんだって、女の子なんだよ?」
女の子なんだよ? て、何を思わせぶりに言ってるんだ、万里は?
「いや……分かってるぞ。印貴を男だと疑ったことなんて一度もないし……」
「行間を読め!」
くわっと万里は覚醒でもしたかのように目を見開いて、いつもの調子で怒号を上げた。身に染み付いた癖というか条件反射で、平手打ちが飛んでくるかと身構えたが、一向にそんな気配はなく……万里は何も言わずに、すっと立ち上がった。
カラスのごとく「アホ」を連発する声も、スペーンと響き渡るキレのいい音も無く、平手打ちを免れた頭は薄ら寂しい気さえする。
なんだ、これ。不本意ながらも物足りなさを感じつつ、俺も立ち上がった。
やっぱ、落ち着かない。万里がしおらしいと……調子が狂う。
万里とは昔から、罵り合って、バカにしあう関係で……確かに、数々の暴力行為を理不尽だと思ったことは多々あるが、嫌だったわけじゃない。俺にとってはそれが日常だったし、そういう関係が居心地もよかった。別に、印貴と付き合い始めたからって、それを変えたいとも思わないし、変えなきゃいけない、とも思えない。
「万里、あのさ……」
じっと黙り込む万里に声をかけようとした、そのときだった。
視聴覚室の中から椅子を引く音が響きだし、アンケートがどうの、と語る早見先輩の高らかな声が聞こえてきた。
上映、終わったのか――。
「もし、印貴ちゃんと圭が出会ってなかったら……て、考えちゃう自分がいるんだ」
視聴覚室の扉へと視線がずれた瞬間、そんな抑揚のない声がふっと耳に流れ込んできた。
ハッとして目線を戻せば、万里は顔を隠すように俯いていた。
「印貴ちゃん、せっかく仲良くなれたのに。相談だって乗ってるのに。それなのに、もし、印貴ちゃんが現れなかったら、どうなってたんだろう――て考えるときがあって……すごい自分が嫌になる。蘭香さんに『仲良くしてくれてありがとう』なんて言われて……全部、見透かされてるんじゃないか、てすごい怖くなった」
「それで……」
蘭香さんへのあの態度は、そういう後ろめたさからだったのか。なるほど――て、いや、なんで?
印貴と俺が出会ってなかったら? 何が変わってたっていうんだ? たぶん、何も変わってなかった……よな。万里は、いったい、何を心配してるんだ? 印貴とケンカした、てわけでもなさそうだし……。パラレルワールドにでも興味を持ったのか? 宇宙のことを考え始めたら、漠然と不安になるアレみたいな感じ……?
とにかく。万里が何に悩んでいるのか、さっぱり分からないが……こんなに覇気も元気もない万里を見るのは初めてで、俺には想像もつかないような苦悩を抱えているんだろう、とそれだけは分かった。それだけは、俺にも分かったから……。
「お前が何を悩んでいるのか、ほんと良く分からない」
「あんたね……もはや尊敬するわ」
なにこれ、殺気?
「いや、たださ……」と目だけはいつもの鋭さを取り戻して睨みつけてきた万里に、俺は慌てて手を挙げて制した。「万里のことは悪友……ていうか、兄妹みたいに思ってて……。それは、印貴と付き合ってなくても、変わらなかったと思う。今までもこれからも何があろうと変わらない。――それだけは心配しなくて良いからさ」
万里はぽかんとして、それまでの緊張感が嘘のように惚けてしまった。魂でも抜けてしまったかのような、今にもふにゃりと紙っぺらみたいになって風に飛んで行ってしまいそうな……。
想像してもいなかった反応――というか、異様なほどの無反応っぷりに俺は慌てて、「だからさ」と考えなしに口走っていた。
「もし、パラレルワールドに迷い込んでしまっても、俺のとこに来れば良いっていうか……」
「何言ってんの……?」
本当にね……!?
かあっと恥ずかしさが火のように込み上げてきて、頭まで茹で上がるようだった。
そんな俺に万里はぷっと吹き出し、
「そっか……兄妹、ね」と、見たこともないほど柔らかな笑みで俺を見上げてきた。「ずっと、それは変わらないんだ? 何があっても?」
「もちろん! 絶対変わらない」
「もちろん、って……はっきり言ってくれちゃうよね」
がらりと視聴覚室の扉が開いて、万里はふいっと身を翻した。
「そういうとこ……ほんと腹立つ」
「え……なんでだ!?」
良いこと言ったはずなのに!?
「でも、聞けてよかった」
どこかすっきりした声でそう言って、万里は「ありがとうございました」と扉から出てきた女子生徒に駆け寄った。
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