第100話 知りたい
外に出ると、すっかり、陽が暮れて薄暗くなっていた。
今から予備校に向かうという先輩たちと別れ、駅まで送る道すがら、
「今日はありがとね」
花音はそう唐突に切り出した。
ありがとう……て、迷惑をかけた覚えしかないのだが。
「いや、俺はなにも……。お礼を言うのは、俺のほうで。また相談に乗ってもらっちゃって……」
「んーん」と花音は灯り始めた街灯の下、軽い足取りで歩きながらうっすら微笑んだ。「洋服も買えたし、圭の話も聞けたし、映画も観れたし。楽しかったよ」
映画……か。
ついさっき、別れるまで、津賀先輩と夢中で話していた花音の様子が脳裏をよぎる。いつも以上に声を弾ませ、コロコロと表情を変えながら語る花音は、天真爛漫そのもので。見ていて気持ちがいいほど楽しそうだった。言葉にも、仕草にも、どこにも飾るところはなくて、これが
「意外でした。花音が銀河大戦争に興味あるなんて」
「ねー」と花音は恥ずかしそうに笑った。「周りの友達にも言ってないの。言っても、どうせ盛り上がんないからさ。銀河大戦争なんて、彼氏に誘われて仕方なく見に行く子くらいしかいないもん」
「まあ、そうでしょうね」
偏見かもしれないが……銀河大戦争と言えば、古き良き男のロマンが詰まった映画だ。女の子が進んで見に行くような映画……とは、とてもじゃないが言えない。
「だからさ、すっごく嬉しかったんだよ。あんなに気兼ねなく語れたの」
「ですよね。津賀先輩も嬉しそうでしたよ」
津賀先輩――の名を出した途端、ぱあっと花音の表情が華やぐのが分かった。
「嬉しそうだった!? そっかー、良かったー。語りすぎちゃったかなーとか思っちゃって」
「いや、それはないです」
即答していた。間違いなく、津賀先輩のほうが語っていた。いつ、息してるのかな、てレベルで。
「すごいよね、津賀先輩」ふわりとウェーブがかった髪を揺らして、花音は紫がかった夕焼け空を見上げた。「好きなものを真っ直ぐに『好きだ』って言えるのって、格好いいと思ったよ。あんなに目をキラキラさせて、『後悔させない、信じてくれ』なんて言われたらさ、ついて行っちゃうよね〜」
「あ……」
ぐっと来たって、言ってたのは――と頰を赤らめて話す花音の横顔を見ながら思い出していた。
確かに……津賀先輩ほど、オンオフの切り替えが極端な人を俺は他に知らない。興味のあることに関しては子供のようにはしゃいで、興味のない話題(ほぼ恋愛話)になれば石像と化す。自我が強い――というより、芯がある、と言うのだろう。そういうところに、もしかしたら早見先輩も惚れ込んで、あんなに甘やかしているのかもしれない。まあ、それしても……とも思うが。
「恋でもなんでもさ、一生懸命な人って素敵だよね」
ふとそう呟いてから、花音はにんまり笑んで俺に振り返った。
「瀬良さんも、圭のそういうところを好きになったんだろうね」
「はい!?」
なぜ、いきなり俺の話に!?
「今の私には瀬良さんの気持ち、よく分かっちゃうな〜」ふふん、と誇らしげに花音は言い放った。「瀬良さんを好きだ、ていう圭の情熱に、瀬良さんもクラッと来ちゃったんだよ。瀬良さんを愛する圭の一途な想いが通じて、瀬良さんも圭のことを好きになって……」
銀河大戦争を見たせいなのか、津賀先輩に触発されたのか、古臭いナレーションのごとく熱く語りだした花音に、もう、やめてー! と叫ぼうかというとき、花音ははたりと言葉を切った。
「あれ」と花音は眉をひそめると、「それじゃ、変か」
「はい?」
変?
「何が……ですか?」
「そういえば、私ってさ、瀬良さんが圭を好きだって聞いたから、圭の魅力を知ろうとしたんだよ。それなのに、その『瀬良さんが好きな人』の魅力が、瀬良さんを好きなこと――て、おかしいよね。じゃあ、どっちが先に好きになったんだ!? てならない?」
分かるような、分からないような。
そういえば……津賀先輩も、成り立たない、とか口にしていたが、同じような意味だったんだろうか。鶏が先か、卵が先か――て、どっちから先に好きになったのか、てこと?
「まあ……別に、どっちが先でもいいんじゃないですか?」
「良くないよー! どっちから好きになってどっちから告ったのか、て恋バナで一番盛り上がるところで、醍醐味じゃん。気になるっていうか、はっきりさせないと気持ち悪いっていうか……」
俺にはよく理解できない悩みを口にしながら「うー」と唸っていたかと思えば、急に花音はぱあっと表情を輝かせ、こちらに振り返った。
「そうだよ! 馴れ初め! そういえば、圭たちの馴れ初め聞いてなかったじゃん! どうやって付き合うことになったの? 瀬良さん、圭のどこが好きだ、て!?」
「さ、さあ……」
「さあって、何よ。瀬良さんに告られたんでしょ!? なんて言われたの?」
「告られた!?」
俺が瀬良さんに!? とぎょっとして――ああ、そうだった、と思い出す。
あの日――瀬良さんを泣かせてしまったあのとき、瀬良さんは消え入りそうな声で俺に訊いたんだ。付き合ってくれる? って……。
あれって……告られたのか。
今更ながらに、かあっと胸の奥が焼けるように熱くなった。どんな顔をしているのか自分でも想像もつかなくて、俺はとっさに花音から顔を逸らしていた。
「わ、分かりません! そのときは……バスケの話をしていると思ってたもので!」
「それが本当に分からないわ」と呆れた声が返ってきた。
ですよね。
いったい、その勘違いはどこから来たのか。たしか、保健室の会話がどうのって話から始まったような? 保健室でバスケの話をしたんだっけ? いや、そもそも、それが間違いで……。
「もー! 女の子が一生懸命、想いを伝えたってのに、勘違いするとか有りえないからね!」
「お……おっしゃる通りで……」
「その辺も、ちゃんと謝らないとね」
「はい……」
そういえば……そうだ。
俺は一度、瀬良さんを振っているんだ。いや、勘違いだったんだが……そんなつもりはなかったんだが……瀬良さんを傷つけたことに変わりはない。せっかく、瀬良さんが告ってくれたというのに、その気持ちをないがしろにするようなことをしてしまった。その件を、まだ謝っていなかった。
――いや、まあ、謝ったことは謝ったんだが。バスケを好きな瀬良さんの気持ちをバカにしたわけではないんだ……とかなんとか見当違いな謝罪すぎて。今思い出すと、恥ずかしくなってくる。
謝らなきゃいけないことばっかりだ。いったい、どこから謝ればいいのか迷うくらいだが、とにかく……とりあえず、俺が今、瀬良さんに言いたいのは――。
「ここでいいよ。送ってくれてありがと」
ちょうど、駅前に差し掛かったときだった。濃紺の空の下、眩い光を放って佇む駅ビルを背にして足を止め、花音はにこりと微笑んだ。
「早く電話したいよね。――瀬良さん、きっと待ってるよ」
「えっ……!?」
まるで心を読まれたようだった。ぎくりとする俺に、花音はクスクス笑って「じゃあね」と身を翻す。
「今度はちゃんと伝えるんだぞ。会えなくて寂しい、早く帰ってきてー! てさ。圭の心は、もう圭だけのものじゃないんだから。瀬良さんにもちゃんと分けてあげなきゃ――なんちゃって」
「そ……そうします!」
「素直―」
あはは、と無邪気な笑い声を響かせて、帰宅ラッシュで混みだした駅前の人混みの中に花音は飛び込んでいった。小柄な背中はあっという間に飲み込まれて、その澄んだ笑い声だけが余韻となって耳に残った。
一人になって……一息つく。
駅を背にして歩いていくと、徐々に街の賑わいから遠ざかって人気のない路地へとたどり着く。住宅街の中を往くその道は、瀬良さんと一緒に登校していた通学路だ。
ちょうど、ここだ――と、その路地へ曲がる角で立ち止まる。急にぐっと狭くなる路地を前にして、懐かしさと気恥ずかしさのようなものを覚えて苦笑していた。
ここでお別れです――俺は毎朝のように、瀬良さんにここでそう言った。
瀬良さんが俺のことを好きだ、という噂が流れ出し、瀬良さんに迷惑をかけたくなくて、人前で一緒に行動するのはやめようと決めた。それでも、少しでも一緒にいたくて。ここまでにしよう、と決めた境目。それがここだったんだ。俺にとって、夢のようなひとときと現実の境界線。この先は俺のわがままで、越えてはいけない、と思っていた。
でも、今は……。
相変わらず、しんと大人しいスマホを手にとって、俺は躊躇うことなく、指を動かした。もう迷う理由も、迷う必要もなかった。言いたいことも、聞きたいことももう決まってる。
コール音が鳴り出したスマホを耳に当てて待っている間も、不思議と緊張も何もなく、落ち着いていた。
「瀬良さん――」
ぷつりとコール音が途切れて、俺はすぐにそう切り出した。声ひとつ出させる暇も与えず――。
「すみません、嘘つきました! 平気じゃないです。二週間どころか……この先一歩でも、傍に居られないのは耐えられません! 夢のようなひとときだった――なんて、もう満足したくない。ずっと、一緒にいたい」
落ち着いていた心臓が、急に駆け出していた。腹の奥底で薪でもくべてるかのような……そんな得体の知れない熱がこみ上げてきていた。
まずい、止まらない――と思った。
「ずっと……不安だったんだ。本当の俺を知って、瀬良さんが『こんな人だとは思わなかった』てがっかりするんじゃないか、て……。でも、今は……がっかりされてもいいから、知って欲しいと思う。それで、教えて欲しい。瀬良さんの気持ちを――知りたい」
はっとそこで息が切れ、ようやく口が止まった。よくも言葉がこんなに次々と出てきたもんだ、と自分で驚いた。息継ぎすることさえ忘れていたようで、急に息苦しさを覚えて、俺は思いっきり息を吸い込んだ。
不思議な高揚感がしていた。
こんなこと、初めてだった。考えもなしに、衝動をそのまま口にしていたような。次から次へと言葉が出てきて……正直、何を言ったのかもはっきりとは覚えていないくらいで。まるで、何かに乗り移られてたみたいな――。
チカチカと街灯が頼りなく照らす路地で一人佇み、どれくらい経ったのか。一瞬だったのか、しばらく間があったのか、緊張気味に息を吸う音がスマホの向こうからして、
『――ゴメン、永作くん』
そう返事が聞こえた。
その瞬間、え……と、俺は息を呑んだ。なんで……瀬良さん? なんで、そんなに声、低いの? まるで、別人――ていうか、男!?
『うっかり、電話取っちゃった』
と、瀬良さんとは思えぬ野太く低い声が申し訳なさそうに言った。
「って、誰ですか!?」
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