第6話 新学年が始まる時って面倒だよね

 二時間目はロングホームルームだった。新学期が始まったから色々な係や委員会を決めるんだろう。あと、自己紹介。……苦手なんだよなぁ。


 それで、次々と、モグラたたきよろしく男子生徒たちが立っては座るを繰り返している。これを俯瞰ふかんしてハンマーでたたく遊びをしたら絶対楽しい。学祭とかで模擬店にするのも悪くないと思うのだ。


「はい。じゃあ次~」

 

 この緩い感じの女性こそ、我がクラスの担任。矢島薫子やじまかおるこ。住所不定、年齢不肖、職業英語教師。肩口くらいの長さのライトブラウンの髪の毛は毛先がくるんとカールしている。なんかやる気のなさが顔から滲み出ていた。たれ目なのがそれを際立たせている気がする。

 卓曰く、当たり、とのことらしい。去年も二組の担任だとか言ってた。我が八組の英語教師は違う先生だったので、縁がなかったからよく知らんけども。


 とにかく、がたった今、自己紹介を終えた。当たり障りのないことを言ってた。名前と部活。あとこれからよろしく、という決まり文句。なんだか、工場のライン工の仕事に似てるな。

 

 というわけで、俺は静かに席を立った。クラス中の視線が一斉に俺に集まる。……なんだか、照れちゃうなぁ。男子の方から、なんとなあく敵意を感じるのは気のせいでしょう。


「――はい。根津浩介です。中肉中背、右投げ右打ち、利き足も右……えと、あと何を言えばいいんでしたっけ?」

「そもそも、そんなことを話す必要はないのよ~」

 矢島先生はにこにこしている。優しそうな人で良かった

「ええと、帰宅部の活動に一生懸命ですけど、一年よろしくお願いします」

 結局何も思いつかなくて、ありふれたことを言って俺は頭を下げた。


 パチパチパチ。拍手は少なめ。そして、一切笑いは起こらなかった。


 うん。盛大に滑った。でも仕方ない。身体が勝手に動いてしまった。頭に血が昇って、という奴である。反省もしてないし、後悔もしてない。適当なくらいが、男子たちとの距離が近づくからいいのだ。事実、卓はにやりとしながら、ちょっとだけこちらを向いてくれたし。


 最後の男子――山本君が席に座っていよいよ女子の部が始まることに。流石にハンマーで叩くのはどうかと思うので、何だろう……ティアラでも被せていきますか? お姫様作りゲーム、みたいな。ダメだ、絶対流行らない。社会情勢を考えるに、炎上不可避。


 ちなみにうちのクラス構成は男子十六名、女子二十四名という偏った感じになっている。一列当たりの机の数は六つ……ということは――


「五十鈴美桜です。文芸部に所属しています。読書が趣味です。よろしくお願いします」


 隣の席の女子が、立ち上がったと思ったら座った。何を言っているか……って言葉、便利だと思う。


 その時に起こった拍手は、たぶん今日一で盛大だ。男子の盛り上がりが特に酷い。何人かのお調子者は、一生懸命囃し立てている。対して、女子の方はまあ疎ら。いや、最低限の量は確保されてるけれど。


 その後も淀みなく自己紹介タイムは続いていく。時折、卓が「あいつよくない」とか話しかけてくるが、正直興味はなかった。ただ何気ない平穏な毎日を過ごすことができればいいと思うのです、わたくしは。


 結局、最後の生徒になるまで、俺はぼんやりと女子の姿を眺めていた。今のところ、五十鈴しか顔と名前は一致していない。……まあ、困ったことにはならんでしょ。


若瀬沙穂わかせさほで~す。バスケ部やってま~す。みんな、よろしくね~」


 終わりを飾ったのは、底抜けに明るい感じに話す馬鹿っぽい奴。明るめ色で少しウェーブがかったボブヘア。男女含めて、唯一の知り合いだ。同じ中学……友成の彼女ともいう。


「は~い、みんなありがと~。これから一年間、仲良くしましょうね~」


 矢島先生は小学校の教師だったかな? その締め方はなんとなくおかしいと思う。そんな違和感を覚えるのは、きっとこの人のゆるふわな雰囲気のせいだろう。


「じゃあ次は係と委員会を決めますよ~。とりあえず、議長と副議長、書記二名を募集しま~す」


 その一言に何人かの生徒の手が上がった。いつも思うが、クラス編成ってうまくできてると思う。中学含めて、ここで躓いた覚えはあんまりない。

 スムーズにそれらが決まり、選ばれし四人――奇麗に男女二人ずつ――が教壇の方に現れた。居場所を失った担任は、空いている席に適当に避難する。


「じゃあ進行はよろしく~」


 すると、眼鏡をかけた几帳面そうな男子が黒板に文字を書きだし始めた。手元の紙を見ながら。学級委員、美化委員……とにかく名だたる係・委員を記していく。


 途端、教室が――いや、廊下も騒がしくなる。シンキングタイムを兼ねたお喋りの時間がやってきた。教室の雰囲気が少し柔らかい感じがするのは、自己紹介のお陰だろう。


「なあどれにする?」

 卓もまた、こちらを向いた

「楽な奴。ほら、音楽係とか、書道係とか?」

「いや、そもそもその授業が今年はないから……」

 彼は心底呆れきっていた。


 まあそれは冗談だけど、本当に仕事がない奴がいい。委員会は元より、鍵係、とか体育係とかは地獄だ。なんか適当な科目の係を選ぼう。そう思ったら――


 ぐいぐいっと学ランの袖を引っ張られた。結構強い感じに。


 ……気のせいかもしれない。あるいは幽霊とか。ほら、あの自転車で爆走してたら蜘蛛の巣にかかった感触がするアレみたいな。


「で、卓は何にするんだ?」

「……体育委員だよ!」

「サッカー部の宿命ってわけか、可哀想に……」


 他にも同じ部活のやつはクラスにもいるが、たぶん話し合いで決まったのだろう。あるいは、先の始業式の出来事が決定打となったか。


「……ちょっと?」


 あれれ、おかしいな。今度は声が聞こえますよ。か細い声。本当にお化けかもしれない。俺にも、霊感があったんだ!


「……なあ、五十鈴がお前に話しかけてんぞ?」

 卓が顔を近づけて、声を潜めてくる。ちょっと不機嫌そう。

「なわけないだろ。あの五十鈴さんだぞ? 俺になんか興味は――」

「根津君。えっち――」

「何でございましょうか、五十鈴姫?」

 俺は九十度横に向きを変えて座り直した。まっすぐに五十鈴の顔を見据える。


「図書委員」

「はい?」

「やりたいものないなら、図書委員」

 やれ、ということらしい。それにしては言葉が足りないとおもう。


「おいおい、五十鈴さんとやら。人にものを頼む時には態度――」

「ねえ、沼川君。面白い話があるのだけれど――」

 即座に彼女は顔を俺の友人の方に向けた。


「いやぁ、やりたいと思ってたんですよ、図書委員! 奇遇だなぁ」

「な、なあ。五十鈴、その面白い話っていうのは――」

「鏡見てみな、とかいう話だろ?」

 なぜか顔を赤らめている卓に、俺は容赦なく言葉を浴びせた。


「……よし、表出ろ、浩介」

 プルプルと震えているのは怒りからでしょうね。

「アハハ、イヤダナー、ジョーダンですよ?」

「……はあ。お前って、ほんと変な奴だよなぁ」

「それは私も同意するわ」

 二人してもっともらしく頷いている。俺ほど普通な奴も珍しいと思うんだけど。


 やがて俺たちがいる列の番になった。不幸にして、図書委員は空欄のまま。席を立った時、またしても五十鈴は俺の方を見てきた。……拒否権はないらしい。

 一歩ずつ躊躇いながらも俺は黒板に近づいていく。面倒くさいなぁ、何やるか知らないし。


「なぁ、なんで五十鈴はお前にあんなこと言ったんだ?」

「好きなんだろ、俺のこと」

「は、はあっ!?」

 

 卓があまりにも大きな声を出したので、一瞬教室内が静かになった。俺たちに、その視線が注がれる。


「冗談だって。ほら、とにかくさっさと書いて戻ろうぜ」

 ポンとその肩を叩いたら、ようやく友人は動き出した。


 それぞれ、図書委員と体育係のところに名前を記す。どちらも俺たちが初めての男だった。なんだか誇らしい。謎の高揚感と共に席に戻る。


 しかし、さっきの卓の言葉、あれはこっちのセリフだ、というやつである。なぜあの女、俺に図書委員になるよう求めてきたのか……。

 

 ――その答えはすぐに出た。


 図書委員のもう一つの空白に、ととても几帳面な文字が刻まれた。へーってあんな字、書くんだ~……じゃなくって――


「おいおい、浩介君? これはどういうことかな?」

 彼の額に青筋が浮かんでいるのが見える。

「どういうことかな、とはどういうことかな?」

「マトリョーシカみたいなこと言うの止めろ」

「……ごめん、卓。解説いいかな?」


 適当に友人をあしらいつつ、俺は戻ってくるあいつの顔に目を向けた。相変わらず、何を考えているかわからない無表情のまま。そして俺の方など一瞥すらせず、すっと座る。


 その後、無事に俺とあいつが図書委員に選ばれたのは言うまでもない。一度書いたものの変更は認められなかったからだ。


 ……これは、その、なんでしょう。なんだか面倒くさいことが起きそうな予感がしますね。誰だよ、バレたのが五十鈴でいいって言ったやつ――俺か。タイムマシンに乗って、その時の根津浩介をを張っ倒したい気分になった。

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