第5話 安寧を得し男
教室に入った途端、俺は突然深い後悔と自責の念に襲われた。今までの人生を一瞬にして、回顧しその全てを嘆いた。何が悪かったといえば、生まれたことが悪かったのかもしれない。お父さん、お母さんごめんなさい。……というのは、質の悪い冗談でいっ! しまった江戸っ子魂が。……行ったことないけど。
気を取り直して。
前方の扉をくぐった瞬間に、敵意のこもった眼差しをぶつけられた。え、なにこれは……? わたしがいったい何をしたというの? 心当たりがなくて、先ほどのように人生をふりかえる会を設けた次第でござる、ニンニン。
あの女……五十鈴美桜はすまし顔で読書に励んでいる。『なにもありません。羽虫に絡まれただけです』みたいな雰囲気をまとってやがる。……完全な被害妄想だけど。
とにかく、居心地の悪さを感じながらも自分の席を目指した。特に男子からの風当たりが強い。おかしいなぁ、まだ新クラスは始動して間もないのに。前途多難、艱難辛苦、臥薪嘗胆、謹賀新年……よくわからない言葉を立て並べつつ足を動かす。
男子ってさ、こんな陰険な集団じゃないと思うんだよ。なんとなくみんな仲良し、みたいなさ。心の奥底では繋がっている、ソウルフレンドみたいなもんだって。この学校、和気あいあいとした雰囲気が売りだし。とりあえず、下ネタをぶつけあっておけ、みたいな。まあ、確かにきつい同町圧力ぶつけてくることもあるけどさぁ。
「おい、やべーぞ。なんか俺、注目されてる」
着席するなり、俺は卓大明神に救いを求めた。
「なんで興奮してんだよ。もちろん、悪い意味でだかんな、これ」
幸いにして、卓君だけは俺の味方らしい。おぉ、心の友よ! ジャイアニズム提唱者の御尊顔を頭に浮かべ拝み倒す。
「で、何があったんです? 第三次世界大戦、とか?」
「いやに壮大だな……。もちろん、お前がいきなり五十鈴を連れ出したからだ!」
「そうだ、そうだ!」
と周りにいる
しかし、なんだここは。新興宗教の集会場か? あるいは、ネズミ講のセミナー。『みなさん、わたしのこと詐欺だと思っているでしょう』『そーですね!』みたいな。以上、主催者とサクラのやり取りから抜粋。みんなも気を付けよう。
「で、なにしてたんだ?」
ぐっと卓は身を乗り出してくる。そして、ぞろぞろと俺の周りに男子どもが集まってきた。うっわー、すっごい人気者だなー、俺。母さん、浩介はこんなにたくさんお友達ができました!
ってか、五十鈴には聞かないんだな。あるいは、何も喋らなかったか。とりあえず、約束は履行されてるらしいから、一安心……なのだろうか?
「世間話。国際情勢について話し合っていた。どうしたら、世界から争いは消えるんだろうって」
「嘘つけ!」
「いや、ほんとだって。それに対するあいつの解答は、『人類がこの世から全て消えれ』――」
「根津君。うるさい」
機械仕掛けのカラクリ人形よろしく、ゆっくりとこちらにその顔が向いた。相変わらず、その瞳には冷たいものしか籠ってない。
すみません、と心の中で呟きながらちょこんと頭を下げた。それでようやく、五十鈴様は再び読書に戻る。いやぁ、なかなかの雰囲気でした。てか、聞いてたんだ……。
「……あのなぁ。お前、さっきまで五十鈴のことを知らなかったんじゃないのか? なんで、初対面の相手にいきなりそんな話題を振るんだよ!」
「卓君、ツッコミはもっと簡素にワンフレーズで。あまり長々と喋るのはよくないぞ? 確かに例えツッコミというジャンルはあるが」
「お前はツッコミ審査官か何かか!」
……そんな職業あるんだ。へー、世の中は広いなぁ。
「――って、目はやめろ!」
「うおっ、お前、エスパーかよ」
ぴたりと心の声を言い当てられてびっくりした。おそるべし、沼川卓!
「はいはーい。騒ぐの止めてー。朝のホームルーム、始めまーすよー」
その時、えらくのんびりした感じに話すスーツ姿の若い女性が入ってきた。身長は少し低めだ。パンツルックは、残念ながら、あんまり好みじゃない。
すると、教室の喧騒が静まってきた。俺の近くにいたファンたちもそれぞれ席に戻っていく。何だったんだ、あいつら?
五十鈴美桜もまた、本をしまってぼんやりと教壇の方を眺めている。果たして、その横顔の裏では何を考えていることやら。その冷めた表情に、どことなく不安を覚えてしまうのは、きっと自分の後ろめたさからだろう。
*
古来より、何とか式というものほど、学生――いや、人類にとって意味のなさない集まりはない。例えば今行われている始業式なんか最たる例だ。
別にいいじゃねえか、わざわざ全校生徒を集めなくとも。教師と生徒、互いに労力の無駄遣いだと思う。放送で一本『これからみなさんには、新学期を始めてもらいます。以上!』みたいな形でよくない?
ステージ上では校長先生と思しき初老の男性が、何か言葉を操っている。俺には初めから聞く気がないので、全くその内容は伝わってこなかった。
しかし去年から思っていることだが、高校生にもなって廊下に出席番号順に整列して、そのまま体育館まで来るというのはどうにも。現地集合、現地解散。所謂、帰るまでが遠足ですスタイルではだめなのか。……たぶん絶対来ない奴いるな。
「……で、結局何してたか教えてくれないのか?」
隣の男、中々の悪だな。こういう時は喋ってはいけない、というのが鉄則なのに。ばれてケツバットとかされても知らないぞ。
しかし、無視するのもかわいそうに思えた。やはり学年が上がったばかりだから、友人は是非とも大事にしないと。俺はそういう打算的でありながらも、どこか優しい男になりたいです。
「大した話じゃねーよ」
「もしかして、告白とか?」
「お前が――」
ぎろりと壁側に立つ教師の瞳がこちらに向いた気がした。
俺たちは慌てて口を閉じる。気分は蛇に睨まれた蛙だった。まあ仕方ない。相手は、生徒指導部且つ体育教師の権田。めちゃくちゃ厳格で、さらにサッカー部顧問だった気がする。……あれ、卓の天敵だ。
「なあ、あいつってそんなに告白されてんの?」
「……え? まだ続けんのかよ……まあ、いいけどさ。――みたいだな。何人も玉砕したって。噂によれば先輩とかもそうらしい。サッカー部にも――」
卓がそこで言葉を切った理由はよくわかる。完全に権田先生にロックオンされてるからだ。周りにも話している奴はいるのに。しっかりと、その目は俺……特にサッカー部のゴールキーパーに注がれている。
「ちなみにお前は?」
我が友は力なく首を振った。結構興味ありそうだったのにな。まあいいけど。もっとイケイケな奴だと思ったが、評価を改める必要があるらしい。
しかし、五十鈴美桜っていうのはすごいんだな。まあ、確かに見た目は人気になるのも頷ける。物静かで、落ち着いた感じ。長い黒髪は、ザ・ヤマトゥ・ナデシコォといったところか。
……まあ俺は別になんとも思ってないけど。例のエロ本購入未遂事件のことが、ばらされなければどうでもいい。少し話しただけで、あまり周りに興味ない奴だってのがわかったし。
だいたい人は第一印象とはよく言ったものだけど、結局中身を知らないとどうともいえないのが本当のところだと思うんだ。……そんなこと言ってるから、この年まで彼女できたことないんだけど。
自分に酔った言い方をすれば、俺は女性との運命的な出会いを待っているみたいな。参考書を探している時に、指が触れ合うようなべたなやつでいい。同じ本屋でも、エロ本買うのがバレるのはノーサンキュー。その時点で相手の第一印象は最悪だろうしな。
などと、意味のないセンチメンタルなことを考えていると、いつの間にか、壇上からあの校長らしきおっさんは消えていた。人が消えるなんて、俺はマジックショーでも見ていたというのか。
――その後、ほどなくして式は幕を閉じた。やはりというか、卓殿は早速、権田大神官に呼ばれてしまった。仕方なく、俺は一人で教室に戻ることに。ここで適当な奴に話しかける勇気は持ってない。ホームルーム前のこともあるし。
途中までしっかりと列をなしていたが、体育館を出てすぐにみんなばらけ始める。これで騒がしくすると、教室に戻った時に怒られる、というトラップなわけだが。まあ誰もきにしちゃいない。
ふと、廊下の端の方を歩く姿勢の良いクラスメイトの姿が目に入った。教室ではあんなに騒がれたっぽいのに、その近くには誰もいない。しかし、彼女は滑らかにひたすら足を動かし続けている。
……バレたのが、あいつでよかった。あの感じなら、絶対情報漏洩はない。俺はようやく心の安寧を得ることができた。もはや、これから一年間の二組での学生生活に光明すら見える。
――それを俺はこの後、一時間もしないうちに後悔することになるんだが。
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