第107話 秘めたる想い

 多目的室Bにはコーヒーの芳醇な香りが充満していた。二つの丸テーブルの上に、オーソドックスなカップが並んでいる。

 もはや学校には思えない一風景……まあメイド喫茶の会場なわけだし、多少はいいだろう。


「おー、本格的じゃん」


「普段インスタントしか飲まないからしんせん~」


「えっ、すごっ! そもそも、アタシあんまりコーヒー飲まないんだよなー」


 わいわいがやがや、華やかな声で盛り上がる。あの野郎どもとの茶色い雰囲気とは真逆だ。


 裏方もとい調理班は、女子が多めだった。実際、男子は俺の他にもう一人だけ。作動部に所属する前田は、風貌だけだと柔道部にいそうな強面風のナイスガイ。


 とりあえず実際に飲み物淹れてみない? やはりこれまた誰かが言いだして、即席のお茶会が始まった。味見と称して、お菓子までつけて……なかなか役得である。


「うん、美味しい。根津君って、こういうの得意だったんだ。なんか意外」


「ねー、もっと変な人だと思ってた」


「……それは本人の目の前で言うことなのか」


「ま、まあまあ、あのあたしは面白い人だって思ってます!」


 咄嗟に翠がフォローしてくれた。ただ、ちょっと表現がおかしいと思うのはきっと俺が悪いのだろう。


 最近は、こういう飲み物にもこだわるようになっていた。主に文芸部での活動が理由で。部会という名のティータイムを頻繁に経験して、いつの間にか興味が湧いてきたのだ。

 料理と合わせて、高校入学以来、妙な家事スキルばかりついている。俺は果たしてどこへ向かっているのだろうか。


「でもさ、実際のところ誰がやっても変わんないだろ」


「そんなことないって。さっきキョーコのやつより全然イケてる!」


「なにそれ、ひどい!」


 あはは、と槍玉にあげられた一人を除いて笑い合う。確かに、彼女の淹れたコーヒーは凄かった。やたらと濃かったのだ。


 そんな風に中身のない会話が続く。もっともらしいお題目など、すっかり吹き飛んでしまっていた。

 なんだろう、凄い既視感があるが。まあしかし、これがまた学祭準備というやつだろう。


「まあでも、エースは前田っちだよねー。さっきの紅茶、ヤバかったもん」


「いえ、自分まだまだ修行の身なので……」


「ストイックだな。俺も見習わないと」


「おっ、燃えてるねー、根津君。さすがサホが推すだけのことはあるわ」


「……それどういうことだ?」


「『根津なら五時間ずっと出ずっぱでも平気よ』って。凄い信頼されてるよねー」


「いやぁそれほどでも……ん? 待ってくれ、それは信頼されてるのか?」


 というか、あいつはなんでここまで俺の扱いが雑なんだ? 幼馴染だからか。にしても遠慮がなさすぎる。

 幼馴染って、なんかこうもっと甘ったるい関係じゃないんだろうか……なんて、少し考えただけで気持ち悪くなってきた。カフェインの取り過ぎだろう。


 とまあ、お互いの技量と手際の良さの確認も済んだ。みんな、それなりに作業には慣れていた。さすが調理班として、調理作業を任されるだけのことはある。


「実際には、各時間帯は二人ずつって感じかな」


「うん、いいと思う。接客部隊だって、ずっと向こうってことはないし」


「手順をちゃんとマニュアル化できれば、ある程度は任せられるっしょ」


 お茶会もほどほどに切り上げて真面目な話を再開する。とりあえず、俺が馬車馬のようにこき使われことはなくなったらしい。いや、初めから心配してなかったが。


「詳しいシフトはまた後で、だね。他の人の希望も確認しないといけないし」


「そだねー。いやぁ、ミドリンがいてくれてよかった。ホントしっかり者だ」


「そ、そんなことないよー」


 クラスメイトに大げさに褒められて、翠が少し照れ臭そうに笑う。調理班において、彼女こそ大黒柱だった。

 五十鈴がしっかり者に見えてポンコツなら、翠はその逆だ。控えめで大人しそうだが、芯の強い部分がある。一緒に作業しながら改めてそんなことを思う。


 その後も細かい話し合いを続ける。ものの配置はどうするのか、動線はどうするのか。実際の作業時間と提供時間の目安は……考えることは意外と多い。とても、一日では終わらないくらいに。これは決して無駄話をしてたからではない、たぶん。


「自分としては、もう少し当日のイメージをはっきりさせたいですね」


「うんうん。まあ今日は初日だし、物品も全部揃ってるわけじゃないから、明日行こうかな。――どう思います、浩介君?」


「いいんじゃないか。それにほら、もう時間が」


「え……? ヤバ、もうこんな時間じゃん」


「早く戻らないと」


 白熱した議論に、すっかり誰もが時間を忘れていたようだった。授業はないが、帰りのHRはちゃんとある。一応そこが一区切り……文芸部は活動はないが、他の部は活動するところもあるようだ。


 慌ただしく手分けして荷物を片付ける。と言っても、学祭が終わるまで、この部屋はうちのクラスに貸し出されてる。ある程度整頓しておけば文句は言われない。


「これでよしっと」


「お疲れ」


「根津君も」


 鍵をかけ終えた翠と言葉を交わす。他のみんなは、すでに先に出ていた。廊下の先にその姿があった。


 翠と一緒に仲間たちを追いかける。こうして横に並ぶと、その背の高さがよくわかる。


「結局、浩介君ってば一度も練習観に来てくれませんね」


「……え、ああ。そういえばそうだな」


 取り繕うように答えて、こっそり相手の方を窺う。

 どこか責めるような言い方だった。それでいて、冗談だとわかるくらいには大げさ。でも、その表情には少しの変化も見られなかった。


 だが、見られていることに気づいたらしい。

 ゆっくりと、彼女はこちらに顔を向けた。しかし、やはりどこまでも真面目な表情だ。力強く真っ直ぐに見据えてくる。


「約束したのに。意外とウソつきなんですね、浩介君」


「いや、それはだな……確かに今度行くとは行ったけど、なかなかハードルは高いというか。第一、途中で部活止めた身でもあるし――ごめん」


 視線に耐えられなくて、つい謝罪の言葉が口を出た。我ながら、しどろもどろに雑な言い訳を並べ立てたと思う。


 ふと、夏休みの終わりに弓道場で二人きりになったときのことが蘇る。

 もっと前のことかと錯覚するが、ほんのひと月半ほど前の出来事だ。色々ありすぎて、時間間隔がバグってるな。


 あれ以来、こうしてちゃんと向かい合うのは初めてだった。別に避けてたわけじゃないけど。

 そもそも、同じクラスだから顔を合わせることは何度かあった。そのときにはちゃんと挨拶はするし、流れで世間話だってそれなりに。

 変な話、クラスの中に限れば五十鈴よりも話す機会は多い。


 不意に、翠の表情がガラリと変わった。噴き出すように笑みを溢す。


「なんて、言ってみただけです。そもそもあんなの、社交辞令みたいなものですし……まあ本当は、きてくれないかなーって少しくらい期待もしましたけど」


 彼女は小さな声でちょっと恨みがましく付け加えてきた。言い方とその残念そうな表情に心が痛む。


「いや、ホント重ね重ね申し訳ない」


「ふふっ、いいですよ。ちょっとイジワルしたかったんです。こうして話せるの、本当に久しぶりだったから。実際、文芸部の方で忙しかったですよね。学校祭に出す部誌の件で」


「……まあそうだけどな。理由にはならねえよ」


「じゃあ――」


 言いかけて、翠は不自然に言葉を飲み込んだ。ちょっと寂しそうに目を伏せてしまう。


 会話が終わり、俺たちは黙々と向けて歩いていく。廊下は恐ろしいまでに静かで、それがまた居たたまれなさを加速させていく。教室までの道のりが異様に長く感じる。

 頭の中では、先ほどの続きが気になっていた。何を言おうとしたのか。それはやはり見当はつかなくて――


「あの、浩介君」


 角を折れる前に、翠がピタリと足を止めた。


 つられて立ち止まると、ゆっくりと彼女は顔を上げる。ショートヘアが肩口で小さく揺れた。


「学校祭、一緒に回りませんか」


 おずおずと、躊躇いがちに。でも、その瞳にはどこまでも強い光が宿っていた。

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