幕間話その8 激闘、決勝戦!

「――ふんっ!」


 バットが力強く振り抜かれる。手のひら大の白球と激しく衝突。白球はその運動方向を変えた。多少上向きに角度がついて、ボールは勢いよく俺の頭上を飛んで行く。

 せめてもの矜持で、俺はその行方を目で追うことはしなかった。しかし、打ち砕かれたという実感はある。


「ホームランっ!」


 審判の気合の入った声が、無情にも辺りに響く。――初回先頭打者ホームラン。先制点を挙げたのは相手チーム。そしてグラウンドは、熱狂の渦に包まれた。


 決勝戦だけあって、観客の数はこの上ない。歓声は轟音となって、マウンドまで襲い掛かってくる。

 だが、その全てが相手側の三年生の味方ではない。意外にも、こちらのチームを応援してくれてる人もいるらしい。もちろん、うちのクラス以外で。試合前に声を掛けられたりした。

 だからか。歓喜の声に混じって、しっかりしろーとかいう野太いげきがとんできた。まあ、嬉しいことこのうえないわ! ……はぁ。


 相手の一番バッターがベースを回り終える頃、うちの内野陣がぞろぞろ集まってくる。俺は気恥ずかしくて、足元を気にする素振りをしながら仲間たちを待った。


「盛大に持ってかれたねぇ、大将!」

 まず話しかけてきたのは、セカンドのお調子者陸上部の福田君だ。

「まあ、相手方さんにも花を持たせてやらないと、ってやつだ」

 強がって見せて、彼と一緒に盛大に笑う。


「そんなこと言えるってことは、まだまだ余裕あるみたいだな……」

「沼川、そんな呆れなさんな。打たれたの、そこまで悪くなかったし何とかなるさ。なあ、ねづこーよ」

 そんなキャッチャー中村の励ましは心に染みる。


「それに一点くらいなんだ! 俺が何とかしてやるさ」

「裕太、野球部でもないのに凄い自信だな……」

 そんな風に呟く宮林は野球部でも正遊撃手だった。


 その後、特に意味もないやり取りをして、審判がやってきたところで解散した。打席に入った二番打者と向かい合う。なんかオーラが見えるのは気のせいだろうか……。


 いや、何を恐れることがあろうか。まだまだ試合は始まったばかり。バックには、心強い味方がついていてくれている。そうだ、思いっきり投げればいいんだ――


 一回の裏が終わった時、スコアボードには5という文字が刻まれましたとさ。


 

 そんな感じで、決勝戦は波乱の幕開けだった。


 俺は四回までをなんとか十一失点でまとめ……いや、すみません、まとめられませんでした。えげつないほどに打たれた。アウトにできたのはたまたま守備の正面に打球が転がった時くらいだ。連中に情け、はないらしい。


 対して、我が二年一組はといえば――


「すごい乱打戦だね」

「ああ、俺もびっくりだ、晴樹。意外とみんな、打てるもんだなぁ」


 何とか二点差まで追い上げた。一回の表こそ無得点だったものの、出るわ、出るわのヒットの嵐。相手チームとは対照的に、繋ぎの打撃で効率よく得点を挙げていた。

 そんな中、一回の裏あれほど意気込んでいた男はというと――


「お前もノーヒットだろ!」

 蔑むような目を向けたら怒鳴られた。

「違いまーす、僕はまだバットに当たってまーす」

「塁に出てないんなら無意味だろうが……」

 冷ややかな卓の声が飛んできた。


 正直な話、割とへとへとだった。ばかすか打たれるからといって、手を抜けるわけじゃない。そんなことをすれば、歴史的な大差がつく。そんな悪名を、俺は刻みたくはない。


 いっそのこと、誰かピッチャー変わってくれとさえ思う。肉体的にだけでなく、精神的にも疲労は堪っていた。実際のところ、一度打診してみたことはあったのだ。


「もう俺は限界だ。このまま続けたら、俺の心が壊れちまうよ……」

「お前ひとりの心でこの試合が乗り切れるんなら儲けもんだ。頑張れよ、根津!」

 と、キャプテン宮林にすげなく撥ね退けられてしまったが。


 まあ交代相手がいない、というのが本当の所なんだが。こんな状況でマウンドに登りたいという馬鹿もとい自意識過剰なやつはいない。俺だって、もし他のポジションにいたらそれを死守する自信がある。

 ということで、ボコボコに打たれながらもなんとかここまでやってきたわけである。俺、偉い……誰も褒めてくれないからって、これはただ虚しいだけだな。


「まったくあんたたち! 本当に情けないわよ!」


 偉そうにをかけてくるのは、クラス委員の若瀬沙穂さんその人だ。こちらの攻撃の最中、ベンチでやたらめったらうるさい。

 

「特に根津! あんたよ、あんた!」

 びしっと指を突きつけられて、さすがにドキッとした。

「えらっそうに美桜ちゃんに教えてたくせに、全然だめじゃないの!」

「ひゅー、相変わらず若瀬さんは苛烈だねぇ」

「仕方ねーだろ。俺だってなぁ、打たれたくて打たれてるわけじゃないわい! うわーん!」

 いつもとは趣向を変えて、とりあえず泣きまねをしてみることに。


「キモイわね、背筋が凍るほどに」

「……救護所まで案内しようか?」

「やめてくれ、晴樹。その反応が一番傷つくから」

 周りにいる人たちの反応は至極冷たかった。


 五回の表、うちのチームの最後の攻撃が始まる。打順は下位からだが、みんなここまでヒットが出ている。そしてこの回もまた――


「うぉぉぉー!!!」


 大きな歓声が上がった。またヒット。走者が一人帰り一点さ。なおもノーアウトランナー一三塁で、逆転のチャンス。

 二番バッターがネクストバッターズサークルから出ていくのを見て、俺はヘルメットとバットを手にして立ち上がった。


「凡退したらどうなるか、わかってんでしょうね!」

「……若瀬、脅すなってば。頑張れよー、浩介」

「根津君! あの、頑張ってください!」

 友人たちの声援を背に、ゆっくりと歩いていく。

「しっかりね、根津君。……なに?」

「いや、別に」

 まさか五十鈴にまで声を掛けられるとは思ってなかったので、つい足を止めてしまった。

 

 気を取り直して、用意された円の中で来るべき瞬間への準備を始める。バットを支えにしながらしゃがみ込み、じっと前の打者の打席を見守る。相手のピッチャーのボールは決して打てないわけじゃない。……どの口がって感じだけれど。


 二番バッターはフォアボールだった。これで満塁。未だアウトカウントは0のまま。逆転のお膳立てとしては完璧だ。

 ゆっくりと打席に入る。ここがこの試合、一番のターニングポイント。打てばぐっと勝利に近づく。しかし、凡退しようものなら――


 大きく深呼吸しながら、バットを構える。正面にいるクラスメイト達の姿がふと視界に入った。そのかなりの盛り上がりに、軽いプレッシャーを感じる。たかが球技大会、されど球技大会。ここでやらねば男じゃない。


 ――カキン! 小気味いい金属音、ぐんぐんと伸びていく打球。俺は無我夢中に走った。全ての音が遠く聞こえる。

 一塁ベースが迫ってもなお、外野からボールが返ってくる気配はない。俺は足を緩めることなく走り抜ける。


「アウトっ!」


 スライディングも虚しく、審判のアウトコールが響き渡った。歓声が悲鳴に変わり、そして大きなため息へと果てる。

 ばつの悪さを感じながら、俺は駆け足でベンチに戻った。


「あんた、何してんのよ?」

「省エネだ、省エネ。俺には次の回をちゃんと抑えるという使命があるから」

「その割にはかなり疲れてるように見えるぞ」

「……必要経費だ」


 なんともしまりの悪い結果になったが、二点入り見事逆転。続く宮林もヒット、さらに一点追加。まあ押元がゲッツーを打ったせいで、押せ押せムードは急激に冷え切ったが。



 そして――


「ぜったいぜつめー、ってやつだね、これ。どーすんの、ねづっち?」

「どうやら、あれを使うしかないようだな」

「何か策があるのか、ねづこー?」

「ああ。ライズボールだ!」

「ライズボール! お前、まさか本当にあのボールを」

「知っているのか、みやばや――」

「ユータ、そういうのいいから」


 九回裏。ワンアウトランナー満塁。またしてもうちのへぼピッチャーが打ちこまれたらしいっすよ。……本当にすみません。

 とりあえず、守備のタイムをとって盛り上がっている。おかげでなんとなく落ち着いた。


「ああ。こんなこともあろうかと、昼休みヨートーベで動画を見た」

「……え!?」

「キミたち、また長いぞ」


 不穏な空気のままに、仲間たちがそれぞれの守備位置に散らばっていく。


 そして俺は逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれたわけである。




        *




「お前、行かないのか?」

「後から行く。さすがに疲れた。ちょっと休ませてくれ」

「お前、全試合一人で投げ切ったもんな。……負けたけど」

「それは言わなくていい」


 ぞろぞろと卓たちが教室を出て行くのを見送った。一気に教室の中ががらんとする。俺を含めて、残っているのは数人しかいない。

 俺はそのまま机に突っ伏した。冷たい感触が少し気持ちいい。そんな風にかなりのんびりとした気持ちになっていたら――


「あの、根津君。よかったらこれ……」


 いきなり声がかかって、ことりと机に何かが置かれる音がした。顔を上げると、そこにいたのは深町だった。そして、差し出されたのはエナジードリンクの瓶。


「えと、昨日のお礼です」

「昨日の……? ああ、あれか。別にいいのに」

「じゃああの、決勝を終えたご褒美というか、なんというか……」

 彼女ははにかみながら、どこかで聞いたような言い回しを口にした。


「みどりん~、そんなの放っておいて早く行こうよ~」

「うん、今行く! ――それじゃあ根津君、本当にお疲れ様でした」

「ああ、ありがとな、深町」


 ぺこりと頭を下げて、彼女は出口の方に駆けていった。そこに待ち構えているのは、若瀬を中心とした集まりだ。


「そだ。根津、あんた美桜ちゃん知らない?」

「知ってると思うか?」

「そういう返しはムカつくわね」


 不愉快そうに鼻を鳴らして、若瀬たちは去っていった。深町が最後に手を振ってくれたので、俺も軽く応じる。そして、貰ったばかりの瓶の封を切った。

 中身をぐっと飲みほして、そのなんともいえぬ独特の後味に舌を巻いていると――


「おい、若瀬たちが探してたみたいだぞ」

 すっかり元の髪型に戻った五十鈴が教室に入ってきた。

「さっきすれ違った」

「ふうん。何の用だったんだ?」

「バレーの決勝観に行こうって」

「へえ。行かないのか」

「うん。うちのクラスは出てないし、あんまり興味ないから」

「そうか」


 なんとなくこいつらしいと思った。賑やかなスポーツ観戦の場にいるより、物静かな空間でひっそりと佇んでいる方がよく似合う。

 そのまま自分の席に戻ると思ったら、奴はなぜかこちらまで近づいてきた。


「だいぶ疲れてるみたいね。そんなに負けたのがショックだったの?」

「別に。ベストは尽くしたんだ、悔いはない」

「潔いのね」

「清廉潔白こそ、俺の信条だ」

 彼女はくすりともしなかった。


「そうだ。ちょっと待ってて――」


 すると、彼女は一度自分の席の方に戻った。そのままごそごそと鞄を漁ると、またこちらにやってくる。


「疲れには甘いもの、というから」

「おう、ありがと……って、部室に買い置きしてたやつだな」

 彼女がくれたのは包装された一口サイズのチョコレートだった。

「この間貰ってきてからちょこちょこ食べてるの」

「チョコだけ――」

「なにか?」

 彼女の目はぐっと細まった。でも今のはこいつが悪いと思う。


 気を取り直して、貰ったばかりのそれを口に含む。その甘さに少しだけ疲れが和らぐ気持ちがした。まあ、エナドリの後味と合わさったせいで、すぐに口の中が阿鼻叫喚なことになったけども。

 

 五十鈴はそのまま近くの空いている席に座った。そしてスマホを取り出す。きっと何か書き物をしているのだろう。いつも通り、指が素早く動くのが目に入る。


 俺は再び机に顔を付けた。教室の中はあまりにも静かすぎて、そのまま目を瞑れば眠れてしまいそうなほど。

 球技大会二日目の午後の教室は、そんなとても穏やかな空気が流れているのだった。

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