幕間話その9 たまに青春っぽいことをすることもある
「キャッチボールの相手、俺でよかったのか?」
「はい! むしろその……」
続く言葉の代わりに、力強いボールが返ってくる。
二回戦もまた、俺たち男子チームは対戦相手をコールドでのした。そのため、本日最後の試合となる準々決勝までは想定よりも時間がある。
ただ教室に戻っている暇まではなかった。まもなく、女子ソフトの二回戦が始まるとかなんとか。ということで、空きグラウンド周辺でのんびりしていたのだが――
「おっ、いいところに暇人はっけーん!」
一人トイレに行った帰り、若瀬に捕まった。それでこうして、女子のウォーミングアップに付き合う羽目になったのである。
「それにしても、深町って投げるのも捕るのもうまいよなー。さっきの一回戦、結構難しい球も捕ってて凄かった」
「……へ、ほ、ホントですか!?」
その言葉に動揺したらしく、彼女は大きくボールを弾いてしまった。地面の上を転々としていく。慌てて身を翻してそれを追っていこうとする深町。
「ごめんなさい」
「いいって、いいって。ちょっと強かったよな」
「今のはわたしのミスですから……」
すぐにキャッチボールが再開される。どこかの誰かさんとは違って、彼女の身のこなしは軽やかだった。
「でも、バッティングの方は全然ダメでしたよ」
「バントしたり、進塁打うったり、手堅かったじゃないか」
「そうですけど。やっぱり、その、びしっときまってるところを見てもらいたいというか……」
彼女の声は消え入りそうなほどどんどん小さくなっていく。
「まああれだ。もう少しリラックスした方がいいかもな。なんか力んでたようには見えたから」
「はい、次は気を付けます……」
「そんなに落ち込まなくてもいいと思うぞ」
普段通りのスイングができれば、深町は十分強い打球を打てると思う。練習では結構、いい打球が多かった。
「でも五十鈴さんに先を越されましたし」
「先を越されたって……競争でもしてんのか、お前ら」
「いえ、そういうのじゃないですけど」
「確かにあいつはヒット打ってたけど、あれだけ練習すればさすがに……というか、遅すぎる気が――ぐはぁっ!」
深町と言葉を交わしていると、いきなり背中に強い衝撃を受けた。
俺は思わず地面に膝から崩れ落ちた。患部を擦りながら、ぱっと周囲に視線を巡らせる。痛みの原因と思しき白い球体がすぐ近くに転がっていた。
「だ、大丈夫ですか、根津君!」
慌てて駆けよってくる深町に対して、俺はなんともないと手で合図をする。
「ごめんなさい。痛かった?」
「……犯人はお前か」
次に駆け寄ってきたのは、先ほど話題に上ったクラスメイトだった。少しだけ心配そうにこちらを眺めている。
「わざとやっただろ」
「ううん、まさか。すっぽ抜け……って言うんだったかしら」
立ち上がってボールを返してやった。五十鈴はぺこりと頭を下げると、そのまま元の位置へ。ボールを投げた側だから、それなりに距離が空いている。しかし、足遅いな、あの女。
俺に近い位置にいる受け手側の女はというと、微動だにしていない。小憎たらしい顔をこちらに向けている。ざまあみろ、とその表情は言っていた。……若瀬の奴め、後で覚えてろよ。
「本当に平気です? 結構凄い音しましたけど……」
「まあ所詮はあのへなちょこ球だからへい――」
「あぶなーい、ねづくーん」
またしても背後に謎の痛みが走る。少し遅れて聞こえてきた、間の抜けた気怠そうな女子の声。そして地面を転がるボールの姿。途端、俺は全てを察する。
「あの、注意が遅くないっすかね、若瀬さん?」
「あらら、ごめんあそばせ。次は気を付けるわー」
「次があったら困るんだけどな。――五十鈴もちょっと気を付けてくれ」
またしても走り寄ってきた犯人にボールを返す。
「うん。本当にごめんなさい」
内心反省しているのか疑わしいところではある。一回目から大して時間を置かずの二回目。その時点でおかしい。
釈然としないものの、五十鈴が元の場所に戻っていくのを見送った。そして、念を入れてこちらのキャッチボール場所を変えることに。
「初戦であいつが送球エラーを起こさなかったのが、不思議だよ……。内野だったら、深町過労死してたな」
「ふふ、そうかもしれませんね」
ちなみに、五十鈴のノーコンはわざとではなかったらしい。その後も、若瀬が四苦八苦しているさまを見て、少しだけスッキリした。
まあそれでも始めた頃よりかは進歩はしている。勘を取り戻したのか、暴投は段々と減っていた。しかし疑問なのは、これ二回戦の前なんだよな……ま、まあ、時間が少し開いたから仕方ないんだろう。俺はそう結論付けた。
「よし、こんなもんか」
「はい。本当にありがとうございました。試合終わったばかりだったのにすみません」
「いいよ、楽しかったし。別にやることもなかったしな」
他の女子連中が集まり始めたのを見て、俺たちもキャッチボールを止める。
「じゃ、深町。試合頑張れよ」
そんな風にして過ごす、球技大会の空き時間なのであった。
*
「げ、またお前か……」
「なかなかぞんざいな挨拶ね、根津君」
声の主がゆっくりとこちらに顔を向けた。
シャッターの下りた購買前の自販機スペース。飲み物を買いにやってきたら先客がいた。またこのパターンかと、ふと水飲み場でのことを思い浮かべた。
五十鈴の手には財布しかない。となると、まだ買い物は済んでいないようだ。……もうすでに一本のみ終えているという可能性を除けば。こいつがそんな飲みっぷりのいい娘には思えない。
彼女は三つある自販機のちょうど真ん中に立っていた。再びその視線が前に戻る。すると、頭が左右にゆらゆらと揺れ始めた。長いポニテは小刻みに跳ねる。
何を買うか悩んでいるらしい。この高校、なぜか自販機のラインナップが幅広い。目移りするのはよくわかる。時間的余裕はあるので、五十鈴が退くのをのんびりと待つことに。
…………あまりにも静かすぎて、なんだか気が遠くなってきた。時折聞こえてくる大歓声がなければ、時間が止まったかと錯覚するほど退屈だ。
「根津君、先いいよ」
やがて彼女がくるりとこちらを振り返った。
「いや別に待つけど」
「まだまだかかるから」
そう言われれば、再び断る気は起きず。優柔不断な五十鈴に少し呆れながらも、立ち位置を入れ替わった。そして握っていた硬貨を入れ、速やかに目当てのボタンを押す。
ピッ、ガタンゴトン。聞きなれた言葉と共に、機械がペットボトルを排出する。取り出そうと思ったら――
ピロピロピローン!
……ハイテンションなSEと共に、もう一本飲み物が落ちてくる音がした。
「出るんだ、アタリ……」
五十鈴のその一言で、この自販機がアタリ付きなのを思い出した。
「二本もいらねーな……。五十鈴、よかったら」
「嬉しいけれど、スポーツドリンクの気分じゃないから」
すぐに彼女は首を振った。その顔は、珍しく申し訳なさそうだった。
再び彼女と位置を代わる。目的を達成した今、グラウンドに戻ればいいのだが、どうもすぐにこの場を離れる気にはなれなかった。二回戦を終えたばかりのこの女が、果たしてなにを選ぶのか。純粋に興味があった。
壁にもたれかかりながら、二本のうちの一本の封を切る。ぼんやりと五十鈴の姿を眺めながら、ペットボトルを傾けた。酸味と甘みがよく混じった冷たい液体が喉を通ると、なんだか疲れがとれる心地がした。
「――よし、決めた」
ぽつりと呟くと、ようやく五十鈴が手を動かした。
選んだのは、色物が多い左の自販機。しっかりとしゃがみ込んで取り出し口から、彼女は缶を取り出した。
何を選んだんだ、そう訊くと彼女はそれを見せてくれた。
「……よくそんなの飲めるな。試合終わったばっかりだろ」
「美味しいよ?」
『振るだけカンタンティラミスドリンク』――また変なものを……。目の前のクラスメイトのセンスを本気で疑った。
「私、一度教室に戻るから」
「おう、そうか」
「またあとでね。三回戦も頑張って」
「お前もな」
そのままあっさりした感じに、彼女は去っていく。いつも通りその背筋はピンと伸ばして、奇麗な歩き方だ。さすがクール系……俺の中でもう、そのイメージはないけれど。
ほどなくして、俺も外に向かうことに。誰も呼びに来ないところを見ると、まだ試合開始までは余裕があるらしい。
未開封のスポドリを持て余しながら、少し急ぎ目に歩く。裏玄関までは一本道だ。
「おっ、いいところに」
ちょうど中央階段に差し掛かったところ、よく知ったクラスメイトの女子が下りてきた。あまりにもいきなりすぎたためか、向こうは少し目を丸くしている。
「これやるよ」
「えっ!? えっと、これは……」
さらに深町の混乱は深まったらしい。目を白黒させながら、俺の顔とスポドリを交互に見比べていた。
「悪い、悪い。いきなりすぎたよな。自販機のアタリが出てさ、でも二本もいらないから」
「あの購買の自販機の、ですか!」
目を見開いて、素っ頓狂な声を上げる深町。どうやら、かなり当選確率は低いらしい。それでも、五十鈴といい驚き過ぎな気はするが。
「というわけで、貰ってくれないか?」
「ええと、そういうことなら。でも……」
「ああ、いらないんだったら無理しないでも――」
「いえ、そういうわけじゃなくて。ただ、申し訳ないなぁって」
そのままちょっと顔を伏せた。控えめな深町らしいといえばらしい。これが若瀬やのぞなんかだと、喜んで受け取りそうだ。その絵面が容易に頭に浮かぶ。
しかし、貰ってくれないとある種困るわけで。このまま男子連中のところに戻って、適当な奴に押し付ける、という手は確かにある。だが、なんとなくそれは気が引けた。
俺としては是非とも、グラウンドに出る前にこの問題に肩を付けたいわけである。
「――じゃああれだ。お祝いってことにしよう。さっきの試合、大活躍だったからな、深町」
打っては三安打、猛打賞。そして守備は相変わらず堅実。女子チームの勝利に大いに貢献したといってもいい。
完全に思い付きだったものの、深町には受け入れてもらえたようだ。ゆっくりとその顔が綻ぶ。そして、両手でペットボトルを掴んでくれた。
「じゃあありがたくいただきますね。大切に飲みます」
「いや、そんな大層なもんじゃないけどな。俺としても助かったよ、ありがとう」
「お礼を言うのはこっちです。これもそうですけど、あんなに打てたのは、根津君のお陰ですよ」
「俺の? なんかしたかな」
「力を抜けってアドバイス、打席から根津君の顔を見た時に思い出して、それで」
にっこりと笑う深町に、俺はどうにも気恥ずかしさを覚えてしまった。
「――っと、やばっ。そろそろ時間かも」
タイミングよく、道の先に中村の姿が見えた。どうやら俺を呼びに来たらしい。バッテリーを組んでいる都合上、この球技大会中、奴とは行動を共にすることが多かった。
「あっ、そろそろですか。頑張ってください、応援してます」
「おう、サンキュー」
先ほどとは逆に深町から声援を受け取って、中村の方へ走っていく。奴は呆れたように手に腰をついて、俺が来るのを待ち構えていた。
「今度は深町か、ねづこー。いい身分だな、エース様は」
「だったら次の試合、お前が投げてもいいぜ? すごい力強い球、投げられそうだし」
「……うーん。どうにも俺には、そのウインドミル投法とやらが合わんのだよな。何度やっても、上手くいかんのだ」
中村はその細い目を一層補足しながら、腕をぐるりと回し始めた。確かにどこか窮屈そうである。
残念だ、せっかく二番手ピッチャーが誕生するかと思ったのに。まあ、俺が全試合投げ切って押さえればいいだけの話だから――
この時の俺は、今後の試合で待ち受ける運命など全く知らないのであった。
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