第33話 異学年コミュニケーション

「――三井綾香?」


 退屈しのぎに、俺はこの部屋にいるもう一人の人物――文本望海に昨日の出来事を話してやることにした。まあ向こうから、その話題を持ち掛けられたんだけど。この部で唯一図書委員ではない彼女は、その内容について余計に気にかかるようだ。

 他の部員たちはまだ姿を見せていない。俺は入口に背を向ける形で、文本と向かい合っている。五十鈴は掃除当番。他のメンバーはよう知らん。おそらく、同じ事情なんじゃないかと思う。


 金曜日の放課後の雰囲気は火曜日のそれと比べてどこか間延びしている。そんなことに気が付いたのは、ついこの間の活動の時だった。……と、柄にもなく感傷に浸るフリをする。


「そそ。それが委員長の名前」

「へ~、なんだか名前からしてしっかり者感ありますね~」

 文本は意味不明なことを呟きながら、うんうんと何度も頷いている。

「名は体を表すってやつだな。確かに、あの人はとても優秀層だった。文本望海、とかおちゃらけ能天気ガール感しかない。お前にぴったりだ」

「それ、全国の文本望海さんに失礼だから、根津先輩。もちろん、あたしにも!」

「その点、根津浩介ってすごいよなぁ。なんか優等生みたいな感じするもん。まさに、ザ・俺、って感じだ!」

「ギャグだよね、それ。そうじゃなかったら、病院行った方が良いですよ、先輩」

 俺の顔をじっと見ながら、奴は大きなため息をついた。


 失礼な奴だな、こいつ。俺は二年で、彼女は一年。文芸部においては、同じ一年目、かもしれないが。先輩は先輩。親しき中にも礼儀あり。上下関係はあまり好きではないが、やはりしっかりとわからせておく必要があるかもしれない。


 そんな風に思い悩んでいると、文本は立ち上がった。そのまま、廊下側の戸棚に近づく。


「たけのこ」

 彼女の狙いがわかって、俺はその背中に声をかけた。

「ありません」

「……は? いやいや、無いってことはないだろ」

「ないものはないんです」


 残念そうな口調で言葉が返ってきた。ごそごそという音がした後、くるりと彼女は振り返った。活発そうにポニーテールが揺れる。その手には、菓子が大量に積まれた盆を持っていた。

 そのまま、もといたところに座る。盆をテーブル中央に置くと、一つの小袋をひょいと摘まみ上げた。魚介類をモチーフにした形のスナック菓子だ。


「ないものはない、ということはあるんじゃないのか?」

「え……? どういうことです?」

「だって『無いものは、無い』ってことだろう?」

 短時間の間に疑問符が俺たちの間を行き交う。


 すると、文本はそのまま考え込むような仕草を取った。いつもの明るい表情が一気に、思案げなものに変わる。その唇からはうわごとのように同じ言葉が漏れている。

 そろそろ話を元に戻したかったりするのだが、なんとなく彼女の思考を邪魔をするのもやぶさかに思えた。とりあえず、茶でも淹れるかと、席を立つ。


「あっ、ありがとうございます」

 湯飲みを置くと、ようやく彼女は現実に戻ってきた。

「とにかくですね、みんな、たけのこばっか食べるから、無いんですよ。きのこじゃダメですか?」

 そして、積み上げられたお菓子の中からそれを摘まみ上げる。

「愚問だな、却下」

 その二つには、どうにも埋めようのない差があると思うのだ、俺には。


「で、委員会が終わった後、その三井って人が話しかけてきたんだよ」

「それは聞きました。何の用だったんです?」

「世間話だ。三井先輩って、今年の三月まで文芸部にいたらしいぜ?」

「えっ、それ本当ですか?」

「ああ。昨日帰り道に、静香先輩に確認したから」


 彼女の話によれば、受験に専念したいからと辞めてしまったらしい。ただこの部のことは気に欠けていたようで、もし人数が足りなかったら名前は貸す、とどこかで聞いたような申し出があったとか。

 どおりで、文芸部のメンバーに詳しいわけだ。三井先輩は、同学年の二人はもちろん、五十鈴のこともよく知っているようだった。かなり親しげな感じだったので、特に禍根とかも残ってないらしい。

 

 それでようやく合点がいったことがある。勧誘活動がうまくいってないのに、先輩方にあまり気にした様子がなかった理由だ。俺と三井先輩がゴーストになることで、一応なんとかなると当てがついていたからなんだろう。


「へぇ~、そうなんですね。ってか、図書委員に文芸部にすぎじゃない?」

 ぶうと、不満げに彼女は頬を膨らませる。

「この部活に入るやつに本好きが多いってことだろ。なぁ、?」

「いや、それはその……ってか、その呼び方やめてください、って言いましたよね!」

 一瞬、ばつが悪そうにしたものその表情はすぐに怒りに変わった。


「いいじゃん。ふみもっちゃん」

「やですよ、普通に呼んでください」

「こればっかりは譲れん!」

 俺は強く後輩の顔を睨み返す。


 少しの間、睨み合いが続く。やがて、先に音を上げたのは向こうだった。はぁ、と渋々な感じにため息をつくと、顔を逸らした。


「……詩音も不思議がってましたよ。どうして、あたしたちのこと、変な風に呼ぶんです?」

「少しでも親しみの持てる感じを演出しようと思ってだな」

「うっそだぁ~――まあ、いいです。こうなったら、瑠璃にチクるから」

 彼女は悪戯っぽく笑った。


 しかし、そんな脅しに容易く屈する俺ではない。前例を作ってはいけない。こういうタイプはすぐに増長する。俺は詳しいんだ。


「ちゃんと名前で呼んでもらえないの~、って? 妹も途方に暮れるだけになるから、やめとけ」

 俺は少し小馬鹿にするように浅く笑った。

「いいえ、違います。あんたのお兄ちゃん、あたしのことをいやらしい目で見てくるの、って」

 にやりと文本さんはいい笑顔を浮かべる。


「待て、それはやめろ。火のないところに煙を起こそうとするな」

 もはや先輩としての余裕を俺は完全に失っていた。

「これで、ふみもっちゃんも今日で終わりですね」

 ふふんと、彼女は勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。


 瑠璃を引き合いに出すのはほんと卑怯だと思う。いやそれはまだしも、さすがにそう言うデマを撒かれると。内容が内容だけに、大魔王までもが目覚めそうだ。

 やられた。一個下の小娘にいいようにやられるとは……。しかもこの話も、きっと瑠璃様に伝わっていくんだろうなぁ。また一つ、兄の威厳は失われてしまう。


 こほん――


「でもさ、びっくりしたよ。俺たちと話してる時の三井先輩、全然雰囲気が違ったんだぜ?」

「どんなふうに?」

「口調もぞんざいでさぁ、言葉遣いもかなり砕けて」

 当人を知らないから、文本はぴんと来てないようだった。


「ともかく、猫被ってたってやつさ」

「がおー」

 やる気のない口調で、後輩ちゃんは謎の動物物まねを披露する。

「俺の知ってる猫はそんな声で鳴かねぇ」

 堪らず俺はポリポリと頭をかいた。


「あれだな、例えるなら強化版五十鈴だ」

「美桜先輩の強化版?」

「ああ。あの不愛想さに攻撃性を加えれば、あの時の三井委員長が完成しそう――って、どうした?」

 いきなり、目の前の少女の顔が曇りだした。

「根津先輩、後ろ、後ろ」

 目を丸くして、彼女は後ろを指さす。

「へ?」


 ゆっくりと振り向くと、そこにはとても髪の長い少女が一人。しかも、不思議なことにその顔はとてもよく五十鈴美桜に似ていて――


「不愛想で悪かったわね」


 と、珍しく不満げな声を上げるのだった。

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