第二章 居心地の良い場所

第32話 新たなひだね

 新緑煌めく五月中旬。依然として大型連休ロスに囚われていた俺は、手早く帰宅しようとしていた。今日は木曜日だから、文芸部の活動は休み。さらに掃除当番もないとなれば、帰宅RTAリアルタイムアタックに挑むのもやぶさかではなく。むしろ、進んでやりたいみたいな。

 

 とにかく、チャイムが鳴るなり、意気揚々と立ち上がったのだが――


『根津君、今日委員会』


 という悪魔の一言により、俺の目論見は無残にも砕け散った。許すまじ、五十鈴美桜! 抗議の念を込めて強く睨んで見たものの、彼女は全く相手にしてくれなかった。


 ということで――


「さて、何か質問のある人はいますか?」


 長方形のテーブルには、彼女を含めて九人の図書委員がついている。どちらの辺にも椅子が八つずつ。なので、彼女は短い辺に一人ぽつんと座っていた。


 全体で確認する内容が終わると、班別行動となった。書架整理班は忙しなく室内を歩き回り、ブッカー班は司書室で楽しそうに作業している。広報班はコンピュータールームに行ってしまわれた、などなど。

 そんな中、俺たちイベント班も絶賛話し合いの最中。議題は来月末に開催されるという、小学生向けの朗読会の内容について。近隣に小学校に殴りこみに行くらしいよ。怖いね。


 今のところ、委員長の問いかけに答える者はいなかった。概要が説明されたばかりで思考が追い付いてない、というのが正直なところだ、俺は。

 例年、各学期に二回ずつやっているんだって。地元の子どもたちを集めているとか、なんとか。文化祭のいい予行練習になるとも言っていた。

 

「あの、ひとついいっすか?」

「ええ、もちろんですよ。ええと――」


 委員長はにこやかに応じてくれたが、ちょっとその形の良い眉が寄った。どうやら俺の名前がわからなかたらしい。無理もない。自己紹介がなされたのは、一月前のこと。現に、俺はこの場にいる中で知っているのは四人しかいない。しかも全部文芸部員だし。


 なので。


「すみません、名乗りもせず。二年五組の松平寛英まつだいらかんえいです。それでですね――」

「待って! あなた、根津浩介君でしょ?」


 しかし、すぐに五十鈴のカットインが発動した。ちらりと見ると、珍しくその顔には動揺が現れている。これは面白い副産物だ。これが委員会という厳かな場でなければ、ポケットから取り出したスマホでパシャパシャする。そして、その画像を二組グループにばら撒くのに!


 そんな生真面目な彼女のせいで、この場が静まり返ってしまった。もともと、沈黙が続いていたのだが、そこに気まずいという属性が加わった。……はぁ、全くこの女は。


「ええと、それで根津君。なんでしょう?」

 委員長殿は五十鈴さんを信用したみたいだ。悔しいなぁ……。

「朗読会って、六月の最終土曜日にあるんですよね。だったら、今から準備する必要はないんじゃ?」


 その質問に意味はないことはわかっていたが、このまま無言の時間が続くのに堪えられなかったのだ。正直、今からそんな先のことを考えろ、って言われてもあんまり身が入らないのよね~、っていのもあるけど。


「それはですね、来月の中旬にはテスト、ありますから。今からやらないと、スケジュール的に厳しいんですよ」

 その言葉にどこかしらから、ため息がこぼれた。


 ……忘れていた。確かにそんな物騒なものがあった気がする。俺も誰かみたいに憂鬱な気分になってしまう。はぁ、こんなこと知りたくはなかった。知らないままだったら、幸せだったのに。


「さて、他に何かある人いますか?」

 俺から視線を外すと、委員長はぐるりとメンバーを見渡した。

「……なに馬鹿なことしてるの」

 同時に小声で五十鈴が話しかけてくる。

「だって~、場を和ませたくてつい……」

「真逆の結果になったけどね。変なことしないでくれる? 恥ずかしいから」

 言うだけ言って、彼女は姿勢を正した。


 俺は肩を竦めて、辺りを見渡す。どこの班も楽しそうに作業しているのが見えた。ここだけだ。とても真剣な雰囲気で話し合っているのは。空気が引き締まっているのは、この超絶真面目委員長のせいだろう。

 どうもそういう雰囲気は苦手なんだよな~。肩が凝って仕方がない。ふと、同じ人種みくせんぱいの方を見ると、彼女はかなり眠そうにしている。椅子に座っている姿勢も悪いし。


「では、とりあえず本の選定からですかね。何か思い当たる物があれば、どんどん挙げてください。……文芸部の皆さんにも期待してますよ?」


 彼女はにこっと満面の笑みを浮かべた。しかし、その裏に空恐ろしいものを感じてしまい、俺は思わず身を竦める。なぜ文芸部が名指しされるのか……。そして、彼女が我が部の代表者に意味ありげな視線を送ったのを俺は見逃さなかった。





        *




 

 今日はまだ、完全な本の選定には至らなかった。雑談まじりにこんなのがいいんじゃないか、とか話し合った程度。本格的な議論は議論は来週の昼休みに持ち越しとなった。イベント班だけの追加作業である。やっふぅーっ! ……はぁ。


「――それでは、もし参加できる人がいれば別途教えてください。明日の朝のホームルームでの周知もお願いしますね」


 本当にこの委員長はとても有能な感じがする。すらすらと淀みない話し方をするし、人当たりの良さそうな笑みは絶えない。まさにこういう役割をするために生まれてきた人間、という感じ。もちろん、誉め言葉でございます。


 朗読会だが、なんと四つの小学校でやるらしい。そのため、イベント班だけでは到底たらず。委員会全体に対して、追加招集がかかった。

 あとお手伝いも募集中とのこと。そんな物好きがいるとは思えない。そもそも、こんなイベントがある自体、俺は知らなかった。もう二年生なのに。


「先生方から何かありますか」

「ないわね~」

 続いて、竹本先生、中野さんと首を振った。


「では、終わりということで。――お疲れ様でした」


 男女の復唱する声が、バラバラにこだました。俺も慇懃無礼に頭を下げる。

 

 長時間の拘束から解放されて、俺はまず長く太い息を吐き出した。さすがに疲れた。大部分は話を聞いていただけだし。


「や、こーすけくん。今日も相変わらずだったね~、輝いてたよ!」

「えへへ、お褒めに預かり光栄でございマッスル」

 無理して力こぶを作ってみせる。

「やめてください。増長したら、どうするんですか」

「それに、美紅ちゃんの方こそ、絶好調みたいだったけど?」


 近くにいた文芸部のみんなと合流する。我が部きっての内気ちゃん、三田村詩音もいた。……なんかフルネームで呼びたくなるんだよねぇ、この子。今は静かに微笑んでいる。


 それにしても、彼女まで図書委員だとは。しかも同じイベント班。俺と五十鈴は全く気づいてなかった。さすが人の顔覚えられない同盟(非公式)である。

 先輩たちはわかっていたようで、それで盛り上がったりもしたわけだけど。彼女の入部したその日に。


「いやぁ、メンゴメンゴ。なんかつい熱が入っちゃって~」

「ホントだよ。さっき、ほぼあなたしか喋ってなかったからね!」

「でも聞いてて面白かったですよ、美紅先輩の話。何冊か、読んでみたくなりました」

「おお、ありがとー、しおしお! キミだけがあたしの味方だよ

~」


 大袈裟に部長は一年生部員に抱きついた。それを見て、俺の隣で副部長殿がため息をつく。

 仲良きことは美しきかな。別に小動物ガールも嫌がってないし。俺としては非常に微笑ましい光景だと思うのだが。周五郎とか、過剰に喜びそう。


 こほん。美紅先輩はその騒がしい雰囲気に反して、意外に読書家らしい。さっきのフリートークの時間、遺憾なくその知識量は発揮されていた。……児童書だったり、絵本だったりしたけれど。


「しかしこれはあれだね。今こそ文芸部の意義が問われる時が来たね!」

「どういう意味です?」

「読み聞かせに適した本をピックアップするなんて、我々のオハコだろう?」


 自信たっぷりに演説しているが、副部長も会計もどこか苦い顔。まあ、普段あんまり、読まない分野だろうしなぁ。……俺? 言わずもがな、ですよぉ。


 だから、堅物委員長はやり玉にあげてきたのか。しかし、なぜ美紅先輩が部員だと……いや、それはまだ説明がつくとしても、、というのは……。


「皆さん、ご機嫌いかがかしら?」


 そんな些細な謎に頭を悩ませていたら、思いもよらない人物が俺たちに話しかけてきた――

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