幕間話その3 姉弟のだんらん

 今ここに闘いは終結した。傷ついた勇士たちを、ヴァルハラへと続く回廊まで見送る。言葉を発する者はいなかった。ひたすらに無言。空気は重苦しい。

 彼らはそれぞれに靴を履き始めた。狭い空間だから、どうしても錯綜してしまう。俺は力なく、その滑稽な姿を眺めていた。


「それじゃあねー」

 一番背の低い男が扉を押し開けた。

「明日、ちゃんと取りに来いよ!」

「今からきれいな字が書けるよう、練習しておくことを勧める」

「……お前はえげつねえほどに、字汚ねえだろうがっ!」


 クールに行こうと思ったが、無理だった。それはズルいと思う。修の字の汚さは昔から有名だ。『次、丁寧に書かないと0点な』と担任から脅されるほどに。もちろん、そこはこの妙に古めかしい男は首を縦に振らず。結局、点数はついたものの長く職員室で怒られてた。


 はぁ、まぢサイアク。あの課題がまさか四倍に増えるとは……。元々が数学のワーク十ページ分だったから、それは今、致死量となった。しかも筆跡真似ながら、とか。明日は一日、潰れたな。南無三。

 やっぱり初回のチョンボが聞いた。俺たちはそういうことを絶対に許さない。容赦なく点棒は飛び立っていった。ちなみに今回の一位は周五郎だ。意外と強いのだ、こいつ。かわいい顔して、なかなかに老獪ろうかいな手をうってくる。もちろん、運が絡むゲームではあるから、技術が全てではないけれど。


 そんな風に玄関でグダグダやっていると、バカ連中の肩越しに、小さな女の子が歩いてくるのが見えた。まっすぐにこちらに向かっている。スーパーの袋を両手にぶら提げていた。

 制服を来ていなければ、それはおおよそ高校生には見えない。お使いを頼まれた小学生というのが、我ながらしっくりくる。近所のおばさんに「あら~、偉いわね~」と誉められても不思議ではない。


「あっ、みんな遊びに来てたんだ。いつも、アホがお世話になってます」

 恭しく瑠璃は頭を下げた。不穏な言葉が聞こえた気がしたが、見逃そう。


 集団の後ろで立ち止まる同じ高校の後輩を、みんな微笑ましそうに見ていた。以前から何度かうちで遊んだ関係で、全員妹のことは知っている。むしろ、俺たちの輪に加わることも何度かあった。

 ただこの一年は、奴がさすがに受験生ということもあって、すっかりそういうこともなくなっていたけど。いや、そもそも四人であまり集まってすらいなかった。


「瑠璃ちゃん、久しぶり」

「うん、しゅーちゃん、おひさ~」

 瑠璃と並ぶと、周五郎が背が伸びたように見えるのは人類の七不思議のひとつだ。

「――そうだ、友成さん。シゲは元気?」

「ああ。生きてはいるぜ。それ以上は不明だ」

 すげえ返答だな、俺は思わず噴き出した。


 二人は同い年で、さらに中学の頃も同級生だったらしい。しかしそういうことを尋ねる辺り、二人にはそれ以上のことは何もないのだろう。おにいちゃん、ちょっと心配しちゃった!

 妹はそのはぐらかしたような返答が気に食わなかったらしい。あからさまに、唇を突き出した。しかし優男は真面目に相手をするつもりはないようで、ハリウッド俳優よろしく肩をすくめるだけ。


「ふむ。して、なにゆえに制服姿か」

「部活だったの。あたし、弓道部なんですっ!」

 どや顔をしたが、俺にはその気持ちは全く意味不明だった。


「はー、兄妹そろって仲いいこって」

 バンバンと友成は俺の方を叩いてくる。揶揄するように笑いながら。

「そんなんじゃねーよ!」

 少し大げさに、その腕を振り払う。すると――


「こらっ、何騒いでるの。ご近所迷惑でしょう?」

 

 ちょっと声が大きすぎたか。それは、大魔王あねき召喚の呪文になってしまったらしい。奥の部屋から顔だけ突き出したと思ったら、ずかずかとこちらに近づいてきた。

 わざとらしくむくれた顔をしている。そのまま少し離れたところで仁王立ち。腰に手まで当てちゃって。なかなかにおどろおどろしい雰囲気がある。


 それを見て、蜘蛛の子を散らしたように奴らは帰っていく。口々に別れの言葉を告げながら。あいつらは俺の姉のことを何だと思っているのか。鬼とか悪魔、だろうな。怒ると手が付けられないことを、連中もよく知っている。


「気を付けて帰るんだよー。――お帰り、瑠璃ちゃん」

 妹の姿を見つけると、すっかりいつものにこにこすみれちゃんに戻った。

「ただいまお姉ちゃん」

 ニコッとほほ笑みかけると、そのまますっと妹は家の中に上がる。


「……俺は?」

「別にいいでしょ……って、そんな悲しそうな顔しないでよ」

「えー、そんなー。そこをなんとか!」

 拝みたおすように手を合わせた。

「――はぁ。ただいま、お兄ちゃん」

 そんなぶっきらぼうな妹を見て、いい子に育ったものだ、と俺は感動していた。


 そのまま、三人一緒にリビングへとなだれ込む形に。夕食を待つにはいい時間だ。それにあの部屋には戻りたくない。あそこには、苦い記憶がいっぱいだから。


「どう、部活は。楽しい?」

「……ぜーんぜん。二人ともわかると思うけど、まだろくに弓引かせてもらえないし」

「引けない、の間違いな。今まで使ってこなかった筋力だから、いきなりは無理さ。それにただ引けばいいってもんじゃなし。色々と型、があるだろう?」

「胴づくり、とか、弓構え、とかでしょ。ああ、ダメ。頭痛くなってきた……」

 

 頭を振りながら、瑠璃はキッチンに入っていく。今日は彼女が夕飯を作ってくれるらしい。土日は割と、テキトーだ。一緒に準備することだってある。もちろん、姉貴は仲間外れだぞ。

 俺と姉貴はバラバラに食卓に陣取った。ポケットに手をやった時、スマホを部屋に置いてきたことに気付いた。今さら取りに行くのも面倒くさいので、ナマケモノごっこをすることに。ぼけー。


「うふふっ、思い出しちゃうなー、あたしも。初めて矢を放てた時はとても嬉しかったっけ」

「あんた、見た目は子どもなのに、言ってることはババくさ――」

「浩介?」

 菫お姉さまにしては珍しくその声にはすごみがあった。


 しまった、今のは失言だった。と思った時には、すでに遅し。ゴゴゴゴゴ、と根津菫の身体からは真っ赤なオーラが燃え盛っている。……沸点低すぎ、とか思ってはいけない。意外と、自分の見た目が子供っぽいことを気にしてるのだ、この女。


「すみません、自分の意思とは反して口が勝手に……」

 俺は思わず姿勢を正す。危険を感じた。必要であれば、土下座だってする。

「いいよ、お姉ちゃん、そのままシメちゃって。そいつ、いっつもそういうことばっか言ってんだから」

 悪意しかない言葉がキッチンから飛んできた。


 それは姉様にとってはいい燃料になったみたい。一層、その目の光が鋭く光る。まさに俺のことを射抜かんとするほどに。

 いよいよ、俺は死を覚悟する――


「すみません、許してください。菫お姉ちゃん!」

 俺はなりふり構わず切り札を切ることにした。

「……はあ、仕方ないなぁ。じゃあレッドカードね。次やったら、許さないよ?」

 少し嬉しそうな辺り、チョロい姉である。チョロねえだ。


「いや、姉君。それを言うならイエローです。それ、一番重い奴だ」

「そーなの?」

 菫ちゃんはちょっと困ったように首を傾げた。


 知らないのに無理するから、というのは心の中で吐き捨てた。それを口にした日には、またしても導火線に火が点くことになるだろう。


 少しの間、静寂が訪れる。穏やかな三姉弟の憩いのひと時。キッチンからは下手くそな鼻歌と、ごそごそと調理の準備を始める音が聞こえてくる。なんとも格調高いBGMだな、全く。いい感じに集中力がかき乱されてしかたない。


「――で、お兄ちゃんの方はどうなの? 楽しい、部活?」

 妹ちゃんはすっかりご機嫌らしく、その声は弾んでいた。

「まだ一日しか行ってないからなぁ」

「あっ、文芸部入ったんだよね! 木ノ内さんたちが嬉しそうに教えてくれたよ~」

「なんだかんだ言ってたのにねぇ、ツンデレだね、お兄ちゃん」

「ねー」


 二人は勝手に盛り上がっている。ああ美しい、姉妹の形がここに――


「やかましいわいっ!」

 抗議の声を上げるが、黄色い声が止むことはなかった。


 ……しかしこれ、どこで誰に話が繋がってるかわかったもんじゃないな。姉に対しては三年生ルート。妹については、文本ルート。ああ、とても楽しい環境だなぁ。……はあ。余計な気苦労が増えそうだ。


「あれでしょ? さん、って子が好きで――」

「まていっ!」

「それ、のぞも言ってた!」

「だから、まていっ!」


 ガセネタもまたすぐに広まるらしい。あいつら、覚えてろよ! 俺は静かに闘志を燃やす。来週の火曜日、文芸部室には血が流れることだろう。


「まあ理由が何であれ、打ち込めることが見つかったのはいいことです。頑張ってね、浩介君! 瑠璃ちゃんも!」


 ふんすと張り切る姉貴の目つきは、完全に保護者のそれだった。こういう姿を見ると、やはり長女だなぁと思う。


 ぐぅ~。


 そんな腹の音が全てを台無しにしたけれど。

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