幕間話その2 気のいい男たち

 ことことと、俺たちの目の前にグラスが置かれていく。そこには、薄い黄色の液体がなみなみに注がれていた。ニコニコ顔で、姉貴はお盆を胸元に寄せる。壁が二つ平行に並んだ。


「そうだ、レンちゃんは元気?」

 その顔が修の方に向いた。

「ええ。姉も菫さんによろしく、と申しておりました」

 彼の姉とうちの姉は同い年だった。俺も面識がある。

「そっか。今度連絡してみよーっと。――それじゃあ、三人ともごゆっくり~。ただ、あんまり騒ぎすぎちゃダメよ?」


 色気でも意識したのか、思わせぶりな表情で根津菫は唇に人差し指を当てる。しかし、悲しいかな。俺にはお遊戯会の出し物にしか見えなかった。その点で言えば世界レベルだ。

 弟がそんなことを考えているなどつゆ知らず、彼女はそのまま俺の部屋から出て行った。もしバレでもしたら……面倒くさいことになることは必須だろう。


「いやぁ、ほんとお前の姉ちゃんって美人だよな~。羨ましいぜ」

 俺の友人一のチャラ男が軽口を叩きだす。

「そうか? 嬉しくもなんともないぜ、んなこと言われたって。っていうか、若瀬にチクるぞ」

 俺の脅しに友成はひょうきんな顔で肩を竦めるだけだった。


 俺が文芸部に入部した翌日の土曜日。まもなく十四時になろうかといったところ。しばらくぶりに遊ぶか、という流れになって、いつもの三人が俺の家に来襲した。わざわざここまでやってくるとはとんだ物好きだと思う。

 まあ実際は、俺の引っ越し先を見てみたかったのかもしれない。あるいは、こいつの反応を見るに姉に会いたかったか。だとしたら、本格的に少し短気なあの女に密告する必要があろう。


「正直、俺的にはお前の方が羨ましいけどな」

「……お前、沙穂のことが――」

「ちげーよ! 姉弟の話をしてんだろ! ――弟だ、弟。やっぱり同性の方が色々と楽しそうじゃん」

「わかってねーな、お前は。小さい頃ならまだしも、高校生にもなれば鬱陶しくって仕方ねーよ。今さら、仲良く一緒に遊ぶなんてしねーし、ろくに顎で使えもしねー」

 色々と不満があるらしく、珍しく友成は早口でまくし立てた。


「――そうだ。いっそのこと、交換するか? お前んとこの瑠璃ちゃんとうちの茂和」


 こいつの弟は結構なスポーツマンだった。なんでも推薦でいい高校に行ったとか。その時には、兄である友成も自慢していたのに。

 ちょっと想像してみる……うん、それはそれでいい気がする。瑠璃のやつ、妹のくせに結構口うるさいし、ゲーム容赦ないし。時々、本当の姉と比べてどっちが上かわからなくなることも。


「俗にいうトレーディング・シスターブラザーゲームか。胸が熱くなるな」

「ちょっと冗長すぎない、こーちゃん? 盛大に滑ってるよ」

 正面から冷静なツッコミが飛んできて、俺はちょっとだけばつが悪くなった。


 渋い顔で呆れて首を横に振る周五郎は、この場にいる唯一の一人っ子だ。そっちもそっちで羨ましく思うことはある。


「いつまでくだらないことを言ってるのだ。そろそろ始めんと日が暮れるぞ?」


 言いながら、修はリュックサックから大きな長方形の黒い箱を取り出した。それを見て、俺も傍らに置いておいたグリーンのマットを四角いテーブルの上に広げる。

 ――麻雀。中学時代のある日、修の家でチャレンジして以来、俺たちはすっかりそのクソ――ゲームの虜になっていた。ルールは周五郎がレクチャーしてくれた。当時、ギャルゲーのおまけのそれに凝っていたらしい。

 たぶん大人ぶりたかったんだ、俺たちは。背伸びしたい年頃、それは今もだけど。とにかく、四人揃えばこのとても時間のかかる遊戯に興じることが多かった。


 ケースにぴっちりとしまわれた牌をぶちまけて、点棒を素早く配分する。もう何度もやってきたことだけあって、その作業によどみはない。


「で、ところで、その妹君は今日はいるのか?」

「なんだ、お前。姉貴の次は瑠璃かよ……。そろそろ本気で通報するぞ?」

「やれるもんならやってみな。俺と沙穂の仲はそんなやわじゃねぇ」

「かっこいいね~、ともくんは。――そこ、さりげなく仕込みをしない!」

「ちっ、バレたか……ちなみに通報先はお前の家だ」

 俺はびくっとしながら山を崩した。


「おまっ、それはひきょーだろ!」

「はっはっは! 浩介にしては、えらく頭が回っているではないか。一本取られたな、友成」

「しては、は余計だっ!」


 ジャラジャラと牌をかき混ぜ、山を積みながらくだらない話をする。何の変哲もない時間だが、なぜか今日は酷く楽しかった。久しぶりだからだろうか。最後にやったのは――


「どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「……いや、最後にこの四人で卓を囲んだのって」

「始業式の前の日だね」

「お前がエロ本を――」

「みなまで言うなっ! くそ、今日は絶対に負けん! 負けられない闘いがここにあるんだ!」

 アドレナリンで手が震えてきた。いい感じ。


 あの日のことを、俺は決して忘れないだろう。ただ、麻雀で負けただけで俺の運命は一変した。もう二度とあんな思いはしたくない。……悪いことばかりではなかったが。


「一人盛り上がってるね~、こーちゃん」

「バカだからな。――罰ゲームどうする? 今度こそ、告白か?」

「異議。お前さん、すでに彼女がいるんだから、何の罰にもなっとらん」

「じゃあ週末課題にしようぜ。全クラス同じだろ、あれ。四位が全員分を仕上げる、というのでどうだ?」

 量が量だけにめんどくさいなぁとは思っていたのだ。


「……いやそれ、勝った人にもリスクあるよね。先生方にバレそうじゃない」

「もちろん、バレないように筆跡は工夫してもらう」

「いいんじゃねーか、それで。結構、量あったしな。――修は嫌がりそうだが」

「そんなこともない。これくらいだったら許容範囲だ」

 にやりと彼は渋い笑みを浮かべた。


 ということで、無事に罰ゲームも決まり、俺たちはゲームを開始した。スムーズに親決めが行われ、配牌をする。……なかなかに最悪の手牌だった。一瞬敗北の文字が脳裏を過る。


「そういやさ、俺、文芸部に入ったんだわ」


 何も書かれていない一見不良品と思しき牌を捨てながら、俺は何げなく呟いた。スムーズに右隣の友成が山から牌をつかみ取るはずだが、なぜか場の流れは止まったままだった。


「なんだよ?」

 顔を向けると、奴は少し呆然としていた。

「い、いや、お前が文芸部ってのはなぁ」

「うんうん、信じられない。豚に真珠ってやつでしょ、それ」

「猫に小判とも言う」

「お前らなぁ」


 ぐるりと連中の顔を見渡すが、どいつもこいつも失礼な顔をしている。まあ、自分でも未だに不思議だから、無理もないか。怒鳴り散らすのはやめておこう。


「だってこーちゃん、そんな本読まないっしょ」

「中学の時とか、朝読書で絵本読んでたよな?」

「号泣してたこともあったぞ」

「……うるせーなっ、若気の至りだ! へいへい、どうせ俺には文学は似合いませんよーっだ」


 ちなみにその話は、たまたま欠伸をしたところを運悪く隣の口やかましい女子に見つかって、ばっちり尾びれ背びれを付けられたのだった。さすがの俺も、絵本で感動して泣きはしない。……ちょっとクるものはあったけれど。


「でもいいんじゃないか。今度はしっかり続けられるといいな」

「確かに。部活辞めてからの、こーちゃん、ちょっと元気無さそうだったもんね~」

「ま、でも案外すぐにやめたりしてな――って、そういや文芸部といや、五十鈴も一緒じゃねえか。いいね~、お前は興味ないんだろうけど」


 文芸部の話をこいつらにするのは初めてなのに。よく知ってるな。さすが柏浦友成。学年中の可愛い女子の情報は全て知っているということか。やはりこいつが学年一のプレイボーイ……長考しながら牌を切った。うん、意外といい感じ。


「どうだろ~、実はこーちゃんが狙ってたり?」

「確かにあれは珠玉の美人だったからな。わからんでもない」

「勝手に言ってろ、アホどもめ」

「しっかし、お前が文芸部か……ははっ、これは沙穂にも教えてやらねーと!」

 ばちんと強く友成は牌を叩きつけた。


「ロン!」

 瞬間、俺は勢いよく手牌を開示する。勝った、第一局完っ!


「点数は――」

「浩介、それ上がれてないぞ?」

 水を差したのは修だった。無表情で俺の手元を指さしてくる。


 慌てて俺は自分の手牌を確認する。そこには、この状況で上がるための絶対必要な要素が欠けていた。俺は完全に焦ってしまっていたのである。――晩年、この光景を振り返って。


 大丈夫、まだゲームは始まったばかり。焦るような時間じゃあない。それでも、俺の手の震えは止まらなかった。思いがけないその始まりに。あるいは友人の冷やかしに。俺は少なからず動揺してしまっていた――

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