第78話 気になるあいつ

 八人乗りのミニバン最後列に押し込まれ、ガタガタと揺れに身を任せる。静かなエンジンの駆動音。窓の外はオレンジ色に染まりつつあった。

 両脇には姉妹すみるり。こいつらに窓側を譲る、という殊勝な心掛けは存在しない。頑として、独占権を主張する。

 

 だが、もっと最悪なことがある。


「すぅ」

 規則正しい寝息を立てる瑠璃。

「むにゃむにゃ」

 時折、謎の言葉を発する姉貴。


「……邪魔くせえ」


 両肩に、酷い重さがのしかかっていた。

 連中、ぐっすりと寝てやがる。長きに渡る移動の数々に、すっかり疲労困憊なご様子。身体の小ささゆえか、体力は皆無ということらしい。


 全く、疲れてるのは、こちらも同じだというのに。気持ちよさそうにスヤスヤしやがって……

 睨んでみるも、帰ってくるのは能天気な寝息だけ。


「浩介も、疲れてるんだったら寝ていいんだぞ」

「いや、平気だよ。ありがとう、叔父さん」


 ミラー越しに目が合って、唇を突き出す。

 運転席に座るのは、親父の方の叔父。今日は父方の墓参りだった。午前中に出発して、こうして陽が沈みかけるまで。夏休みのこれまでの日々の中で、最も多忙な一日だったといえる。

 

 車内はとても静か。日中とは大違いだ。年の離れたいとこたちも、すっかり夢の中にいるらしい。

 みんな年下で、最年長ですら中二。子どもの元気の良さにすっかりあてられてしまった。


 くたびれながら、シートに預ける。窓の外を眺めていく景色は、黄昏に暮れ、哀愁を感じるみたいな。どこを走っているかは、だいたい想像がつく。


「夕飯、何か食べたいものはあるか?」


 またしてもドライバーの声。

 少し待っても、誰も反応しない。薄々気づいていたが、叔母さんも眠ってしまったようだ。

 となると、今の問いかけは俺に向けられているらしい。


「いつもの寿司屋じゃないの?」

「まあ、母さんたちはそう言ってるだろう。でも、たまには趣向を変えるのも悪くないはず。毎年同じもん食ってると飽きる」

「また父さんみたいなことを……」

「いないから、代わりを、なんてな」


 叔父さんは豪快に笑い飛ばす。背は低いが恰幅の良いこの人は、なかなかに気持ちの良い性格をしている。

 父さんとは違った方向でテキトーだ。叔父の方がマシともいえる。


「三人暮らしはもう慣れたか? 結構、大変だろう」

「まあぼちぼちさ。もうそろ半年だし」

「全く兄貴たちもお気楽だ」


 叔父に合わせて、俺も苦笑する。

 元々放任主義的なところはあったが、盆まで戻ってこないとは思わなかった。じいちゃんたちもすっかり呆れていて、ちょっと肩身が狭かった。


「しかし、女に挟まれてると色々やりにくいんじゃないか?」

「……まあそれなりに苦労はしてるかな。上が全く使い物にならないから」

「そうなのか? 菫、しっかり者だろう。兄貴がいつも自慢してくる」

「あの人が身内びいきなだけだよ」

「まあそうかもな。お前も瑠璃も、いいことしか聞かん」


 うちも一緒だが、とまたしても朗らかな笑い声が車内に響く。ずっと運転していたにもかかわらず、かなりご機嫌だ。


「……ん。こうすけ、くん」


 騒がしかったからか。あるいは、大きく車内が揺れたからか。

 右隣の方がゆっくりと目を開けた。頭を変わらずこちらに傾けたまま、とりあえず顔を手で擦り始めた。


 まるで、オーガイみたいなことしやがる。奴もよく俺の身体に乗っかってきて、毛づくろいを始めたりするものだ。

 彼は家でお留守番。その飼い主は、俺たちが出かけるのと同じタイミングで、今日も病院に出かけて行った。


 ふと、あいつは夕飯をどうするつもりか気になった。

 遅くなるかもと伝えると、適当に済ませておく、と言っていたが。適当、という言葉は奴にとっては危険だ。


 そもそも、うちにだって入れない。合い鍵を貸すと姉貴が言ったが、大丈夫だと言って固辞した。見舞いの後は、どこかで時間を潰すとも。


「ふぁああ」

「おっ、でっかいあくびだなぁ」

「わぁ、叔父さん、見てました? は、恥ずかしい……」

「気にすんな。そうだ、菫は何か食べたいもんあるか? 寿司以外で」

「えっ⁉ いきなり、どうして? だってこの後――」


 先ほど聞いたやり取りが繰り返される。

 聞き終えた姉貴は、腕を組んで考え事を始めてしまった。


 そんな姉貴の腕を小突く。先ほどの違和感は膨れ上がり、ろくでもない企みが脳内を支配していた。


「姉貴、ちょっと」

「ん、なあに浩介君。何か思いついた?」

「いやそうじゃなくて」


 きょとんとする姉に耳打ちをする。

 初めは怪訝そうにしていたものの、段々とその表情は晴れていく。ついには、暖かい笑顔に変わった。


「うん、わかった。叔父さん、浩介は行けないって」

「何に?」


 二人のやり取りを聞きながら、俺はメッセージアプリを起動する。


『夕飯、何か食べたいものあるか?』


 素早くメッセージを送ると、すぐに既読マークはついた。




        *




 帰りがけにスーパーによって、足りない食材を買った。昨日も食事当番だったので、冷蔵庫の中の物はある程度頭に入っている。


 だが、俺はすぐに、自分の行いを反省することに。

 意外と重い。せめて、一度家に帰ればよかった。


 けれど、全ては後の祭り。選んだ道順が悪い。今からだと、引き返すことになり、二度手間だ。


 一度しか来ていないのに、目的地にはすんなりと辿り着いた。家の外見にはちゃんと見覚えがある。

 表札を確認して、インターホンを押す。


「はい、五十鈴ですが」

「……根津だけど」

「でしょうね。待ってて」


 今のやり取りは果たして何だったんだろう。応答せずに、速やかに出てきてくれればよかったのに。


 がちゃり。


 扉が開くと、あいつが現れた。半日振りのその姿。別れた時と変わらず、制服を着ている。


「お前さ、私服持ってないわけ?」

「だってこっちの方が便利だし」

「ズボラだねぇ」

 肩を竦めて、顔を歪めざるを得ない。

「誉め言葉として受け取っておくわ」

「大物だな、ほんと」

「根津君も」


 今どこにその要素があったんだろう。激しい論理の飛躍がそこにはあった。

 相変わらず、五十鈴美桜はよくわからない。


「行くぞ」

「うん。あ、それって」

「お前なぁ、なんでもいい、っていうのは一番困るんだ」


 それが五十鈴からの返答だった。おかげで、叔父さんが家の近くまで送り届けてくれるまでの短い間に、脳細胞をフル活動させる羽目になった。


 あいつがちょっと申し訳なさそうな顔をしたのに満足して、歩き出す。


「辛いのは大丈夫だよな」

 ちらりと見ると、彼女は軽く頷いた。


 メニューは麻婆豆腐にするつもりだった。一番の得意料理だし、それになにより、こいつにはまだ振舞っていない。


 すっかり薄暗くなった中、無言で歩いていく。共同生活もしばらく経つが、あまりこの女と会話が盛り上がった例はない。

 それはお互いに気まずいからではなく、基本的に五十鈴美桜という女が無口なだけ。姉妹すみるり、果てはオーガイに至っても同じ感じ。


「……どうだった、お墓参り」

「別にいつも通り何も変わらず。親戚と顔合わせて、色々連れ回されて」

「そっか」


 珍しく話題を振ってきたかと思えば、すぐに会話は終わった。

 こうなってくると逆に気になってしまう。


「お前の方は何してたんだ?」

「おばあちゃんのとこ行って、図書館で本読んで、家で小説書いて」

「なかなかの充実具合だ」

「そうかしら」


 少なくともイベント数では、こちらが負けている。ただ、中身を検討すると別の答えが出そうだが。


 昼間はうだるように暑かったのに、この時間はとても過ごしやすい。これはこの土地の唯一ともいえるメリットかもしれない。本州は熱帯夜続きだと聞いた。

 まあ、近年はそれでも、気温は上がり続けている傾向にあるとかないとか。確かに、子どもの頃を思い返せば、日中ももう少し涼しかった覚えはある。


「そういえばさ、五十鈴は墓参り行かなくてよかったのか? ほら、実家の親父さんから帰ってこいとかって」

「言われたけど、おばあちゃんのことを持ちだしたら黙った」

「……それは、強いな」


 意外にも語気がちょっと強くて、俺はつい面食らってしまう。彼女がこうした感情を露わにするのは珍しい。


 さすがの姉貴も、五十鈴の家の事情については根掘り葉掘りは聞いていない。簡単に家族構成を聞いたくらいで終わった。

 というのも、話している時の五十鈴の雰囲気が、いつもとはかなり違っていたから。菫ちゃんは、決して空気が読めない子ではない……たぶん。


 結局、当たり障りのない会話をしつつ、ようやく自宅へと戻ってきた。

 数時間ぶりということもあり、どっと疲れが湧き出す。


 玄関の扉を開けると、オーガイはお行儀よく俺たちを待ち受けていた。おかげで玄関のライトはついたまま。


「あれ、菫さ――お姉ちゃんと瑠璃さんは」

 猫を撫でながらも、五十鈴は目ざとく玄関の靴の数が少ないことに気付く。

「いねえよ。あいつらは、食ってくると。だから、別にそんな呼び方をする必要はない」

「もしかして、わざわざ帰ってきてくれたの? 私のために」


 オーガイから手を放し、五十鈴は立ち上がる。ちょっと目を丸くしながら、ちょこんと首を傾げた。


 俺は素早く靴を脱いで、先に家の中へと上がった。奴の顔を、決して見ないようにして、答えを返す。


「勘違いすんな。久しぶりに長い時間、外出したから疲れただけだ」

「だったら、お夕飯、作ってくれなくても」

「どうせ食べないといけないんだから、手間じゃねえよ、これくらい。それとも、お前が作ってくれるのか?」


 五十鈴の料理の腕もまた壊滅的。それをわかっていながら、振り返って意地の悪い笑みを浮かべてみる。


 彼女はちょっと困ったように、眉を寄せた。そのまま目線を横にずらす。


「ええと、インスタントラーメンくらいなら」

「却下」

「……イジワル」

「なんか言ったか?」

「何も」


 すっかり無表情に戻ってしまった五十鈴に、つい微笑ましいものを感じてしまう。大人ぶる瑠璃を相手にしている気分だ。


「じゃあパパっと準備するから、お前は風呂沸かしてくれ」

「わかった」


 初めての二人きりの食卓はとても物静かだった。だがそれは、決して悪くない者だった。


 こうしてまた、夏の一日が過ぎていく。

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